新聞投稿について考える
私が俳句を作り始めた頃、発表の場がなく、またどれくらいのものであるかも分からなかったので、地方新聞の投稿をしてみた。多くの方々にそのような経験があるであろう。最初はなかなか載らなかったが、投稿して四ヶ月目に初めて一句載ったのである。その時の感激は今でも覚えている。一ヶ月に一句程度載っていたであろうか。載ることに強く興味を覚えた。新聞を見た近所や職場の方々から、載った俳句のことを誉められることもあり、とても気分がよかった。載れば一人前の俳人であると錯覚していたように思う。新聞俳壇のレベルはとても高く、才能のある方々の集まりなんだろうとも思っていた。新聞に載ることが俳人として認められたと思い込み、選者の好みそうな作品を無意識のうちに作り始めたのである。
それから、新聞投稿と同時にいろいろな俳人の句を学び始めた。すると自分の気に入っている俳人の傾向が見えてきた。私は写実俳句を好む傾向にあった。子規、虚子などの句が好きであった。また、草田男のような句も一方では好きであった。
さて、一年もすると結社に入ろうと思い始めた。そのまま新聞選者の結社に入るのも良かったが、残念なことに病気でお亡くなりになってしまった。それでずっと結社には入らなかったのである。
新聞俳句選もなかなか良いように思う。それで 俳句に対する興味関心が高められる方もいるし、自分の才能に気づく方もいるのである。載ることを生き甲斐にしているお年寄りもたくさんいるのである。新聞投稿などをしないで結社に入られる方の中には新聞投稿を一歩低いものとして考えている方がいるが、新聞投稿も決して低水準ではないと思う。結社の上位選とそれほど大きく変わらないように思う。
しかし特に力のある方は、新聞投稿を長くしない方がよいであろう。新聞投稿は基本的には練習の場である。新聞俳句を専門俳人は認めていないのである。ある方に「まだ、新聞投稿をしているのかね。」などといわれたことがあった。これには、はやく卒業しなさいという意味が込められていたのであろう。しかし、趣味で十分という方は新聞投稿で楽しんだ方がよいであろう。楽しむということはとても大切なことである。
ひとつもどる