新俳句とは

 この頃よく新俳句をつくろう、とか、未来に向けた新しい俳句を目指そう、とか聞くのであるが、それが一体どのようなものであるかはよく分からないのである。それは新俳句を明確に定義づけていないからである。まず定義づけてその基準にそって多くの方々が俳句をつくり、また評判が良ければ、新俳句としての存在が認められるということである。

 新俳句の定義である。この定義は私の直感で決めさせていただいた。

 1 基本的に、五七五であること。
 2 季語はあってもなくてもよい。すなわち、俳句と川柳の区別をなくする。
 3 口語体であること。よって、「や・かな・けり」などの古い切れ字は不要である。また、歴史的仮名遣いも不要である。

 たったの3つである。すっきりと分かりやすいであろう。
 まず、1についてであるが、五七五は俳句の絶対的条件である。これを否定するとただの一行詩となってしまうのである。
 2についであるが、季語はなくても句は存在できるのである。川柳がよい例である。季語がない句を川柳と呼ぶ方が多いが、美しい句も川柳ということには抵抗があろう。季語に比重を置かなくてもそれほど問題はないであろう。
 3についてであるが、若者は文語体が苦手である。若者が寄りつかない原因の一つともなっている。また切れ字にも違和感を持つ若者が多いのである。日常会話で「けり」とか「かな」などは全く使用しないのである。であるから、その切れ字の感覚も身につけていないのである。切れ字がなくても俳句は存在し、また現代的感覚にも相応しくないのである。それから歴史的仮名遣いは全く不要である。これは説明不要であろう。
 要するに若者に受け入れやすい内容ということである。若者が見向きもしない文芸はそれだけでおしまいの文芸ということである。

                                         2009.10.12