新季語の誕生
さて、新季語は、どのような過程を経れば成立するのであろうか。私がかってに新季語を作り使用したとしても、みんなは認めてくれないように思うのである。過去において、新季語として登場した例で考えてみよう。
万緑(ばんりょく)の中や吾子の歯生え初むる
中村草田男
万緑とは、夏の草木が緑を濃くし、広々と生い茂っている様子を表現しているが、草田男が初めて使用したものである。草田男はこの当時、俳人として認められており、また高浜虚子などからもこの句は賞賛されている。現在では名句の一つともなっている。
つまり、新しく使用された句がすばらしい作品であり、なおかつ、作者が俳人としてよく知られている場合、新季語として認められるということである。
これは典型的な例であろう。これ以外では、大結社の主宰者が新季語を考え出し、作品も作り、弟子たちに積極的に作るよう指導した場合なども、新季語として少しずつ認められていくであう。また、歳時記の作成者が俳人の場合、意図的に新季語を入れることも考えられるであろう。歳時記に載れば、ほぼ認められたといってよいであろう。
新季語は積極的に増やすべきであると思うのである。新季語から、新しい俳句が生まれる可能性があるからである。古い感覚の人は新季語を認めない傾向にある。古い感覚の人は古い季語で俳句を作るからである。新しい季語を使用しようなどとは決して考えないのである。新季語による俳句、この辺りに俳句の可能性が秘められているように思うのである。
2007.9.9