俳句の添え書き
俳句を始めた頃、「俳句は大地に打ち込まれた一本の杭である」というような文句を私の記憶から聞いたことがある。この意味は、俳句だけですべてを語らなければならないということであり、足腰の弱い年寄りが使う杖のような「添え書き」は俳句に必要ないということである。俳句は若くて溌剌としていなければならないということなのであろう。ずっと俳句とはそういうものだと思っていた。添え書きを付けるのは、その俳句が弱いからだろうと思っていた。しかし、である。この頃少し考え方が変わってきたのである。
「俳句は挨拶である」という強い考え方がある。たしかに相手を意識して詠む俳句が存在しているのである。葉書などに俳句で伝言する場合もあるし、気持ちを伝える場合もある。文学的価値などと勿体を付けて言わなくても、気楽な気持ちで俳句を詠むことがあるのである。また、芭蕉の「奥の細道」のあの名句にも、何処何処で詠んだという添え書きがついているである。添え書きは句を分かりやすくしている一面もあり、「写真俳句」などが文芸としての位置を築き始めている現在、添え書きを認めないなどとみみっちいことを言うべきではないのである。俳句に添え書きはあってもいいのである。ただし、「俳句は大地に打ち込まれた一本の杭である」というような俳句には敵わないのである。
2008.1.7