俳句の主体
俳句の主体はたいてい作者である。たとえば、
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
この句の作者である子規が、茶屋などでお茶を飲みながら柿を食っていると、法隆寺の方から鐘が鳴るのが聞こえてきたということであろう。つまり作者がその環境の中にいて、俳句を詠んでいるのである。こういう句がほとんどである。だが、作者が第三者及び物に成り代わって俳句を作る場合もあろう。そういう句を試しに作ってみよう。
円空の空見上げるや蟻地獄 孝治
蟻地獄が巣の中から上を眺めると円形をした空が広がっていたということである。蟻地獄の立場で句を作ってみたのである。こういう眺める視点を変えて俳句を作る方法もあろう。このような作り方で俳句を作ってみるのも面白いと思うのである。このような作り方は恐らくそれほど新しい見方ではないように思う。ただ方法論として意識していたかどうかは別である。いろいろな観点で俳句を作るのもおもしろい試みであろう。もしかしたらこの辺あたりから新感覚の句ができるかも知れないのである。
2007.8.14