竹の春、竹の秋という季語
ある句会で「竹の春」に出会った時、てっきり春が季語だと思った。まさか秋だとは思いもよらなかったのである。角川書店の歳時記によると、竹は普通の植物とは反対に春から夏にかけて落葉し、秋には若竹も成長し、親竹も青々と枝葉を茂らせる。それで「竹の秋」「竹の春」という季語ができたとのこと。
本当にそうなのか、秋に実際に近くの竹林を見に行くことにした。10月中頃の午後であり、日差しもだんだん短くなってきた。まだ竹林の周囲の紅葉もそれほど進んではいなかったが、竹林の笹は青々といきいき成長しており、別空間の雰囲気であった。この空間を俳句の季語によく表現したものだと感心した。一体だれが季語として考えだしたのだろう。それについてはよく分からなかったが、詩心豊かな俳人なのであろう。だが竹の春の名句は聞いたことがない。竹の秋もそうである。角川の歳時記からいくつか句をあげてみる。
唐門の赤き壁見ゆ竹の春 高浜虚子
竹の春水きらめきて流れけり 成瀬桜桃子
うしろよりわが名呼ばるる竹の春 原ヨウ子
竹の秋菜園繁りそめにけり 石田波郷
午後からは黄なる太陽竹の秋 三橋敏雄
竹の秋迅き流れが貫けり 林 徹
どうであろう。竹の春や竹の秋はとても強い心象の季語である。そのため、その前後に具象をもってこなければなかなか俳句にならないように思える。これらは、これだけで味わえそうな雰囲気のある季語であり、他に何をもってきても全体として味わいのある俳句にはならないように思えるのである。とても難しい季語である。私も詠んでみたが、ろくな句が作れなかった。才能のない人はあまり手を出さない方がよさそうである。
2005.12.3
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