単純化と深み
俳句でいう単純化とは何であろう。人々がほとんど気づかなかった対象の特徴を的確に瞬間的に表現するということであろうか。対象とは動物、植物、風物、自然など無数にあろう。その中から、比較的分かりやすい植物を選ぶこととする。植物の俳句である。その植物を選んで、単純化された句を詠めればいいのであるが、人の句を活用することとする。名句がよいであろう。
流れ行く大根の葉の早さかな 高浜虚子
冬の冷たい川に一枚の大根の葉が流れてゆくが、その葉の速さや流れる姿に感動して詠んでいるのである。その流れの場面がくっきりと頭に浮かび、一瞬を見事に捉えている。余計なものがなく、余計なことを考えることもなく、実に印象的であり、くっきりとした名句である。名句は頭に残るのである。残って頭に余韻を響かせるのである。深みとは頭に句を響かせることでもある。このように瞬間の場面をくっきりと切り取ることが単純化であり、それが心にずっと響くような場面である場合、深みがあるということである。深みは一点に対する深みであり、広がりではない。葉の流れの一点への感動の深みである。このような句は、滅多に詠めないのであり、単純化と深みの句は、一生にいくつもできないということである。
2007.11.6