俳人と他の分野

 昔の俳人は俳句ばかりをやっているという訳ではない。正岡子規はいくつかの小説を書いている。読んで見ると残念ながら俳句ほどには才能はなかったようである。また、高浜虚子も一時期小説家を目差したこともあった。やはり今ひとつであり、俳句に戻っている。
 歌人では「土」を書いた長塚節や「野菊の墓」を書いた伊藤左千夫らがいる。比べて見ると歌人の方が俳人よりも小説は上手なようである。だが少人数の比較であるので、確証があるという訳ではない。
 さて、俳人は時には他の分野に挑戦してみては如何であろう。俳句ばかりやっているとどうも行き詰まるのではなかろうか。俳句の思考回路は短いのである。時には頭を切り替えて短編小説なんかを書いてみるとまた新しい俳句の分野が切り開かれるのではなかろうか。だがこれも確実に言えることではない。そのまま他の分野に行ってしまうこともあると思うのである。だが、俳句をやった人は俳句にいつか戻るのである。俳句には嫌みがないのである。大人の文学なのである。形式は小さいが許容範囲が広く、基本的には受け入れるのである。他の分野に行ってしまったとしても俳句が破門するなんてことはないのである。 さて、私はいろいろな分野に手を出してしまったが、俳句が一番安心できるのである。だから俳句から離れないのである。俳句をつくらなくても、その周囲をふらついているのである。この文章もその一環である。俳句は短い文学であるが、研究できる分野がまだたくさんあると思うのである。これからも時間があれば探っていきたいと思うのである。

                                     2007.12.23