定点批評

 句会では俳句に点数を付けた後批評しあう。的確な批評から的はずれなものまで様々である。批評者の能力に違いがあるから仕方ないのであるが、俳句を何年詠んでも批評がなかなかうまくならない方が結構たくさんいる。その方々の批評を聞いているとその場その場で批評がくるくる変わるのである。初心者はなるほどという顔をして聞いているが、どれだけ参考になってるかは分からない。
 曖昧な批評は批評の定点が定まっていないことが多いのである。すなわち、「うーん、季語がいま一つですね」「平凡ですね」「作者が見えません」「切れ字がねえ・・・・」「心象風景だな」「わが流派とは違う句だな」などなど分かるようでよく分からないのである。
 私は批評の大きな観点を「写実」に定めている。すなわち、句に現実感があるかないかである。「この句には現実感がありません。特にここの部分が嘘っぽいです。その点でよくありません」「季語とその場の風景にずれがあります。恐らく、適当に季語を配置したのだと思います」という風に現実感があるかないかで批評するとそれなりに説得力のある批評ができるであろう。だが、それだけではきめ細かい批評はできない。「写実」という大観点を基盤として、その上にいくつかの小観点が必要である。その小観点として「作者の発見」「季語の活用」「正しい文法」「比喩の的確さ」「響き」などが上げられよう。
「この写実句には作者の発見があり、その点が素晴らしいです」あるいは「この句は写実句ですが、何の発見も感じられません。月並み句そのものです」といえば何が悪いのかはっきりするであろう。これらの小観点は写実句だけでなく、心象を大観点と設置した場合にもかなり応用できるのである。「これは心象句ですが、何の新しさも作者の発見も感じられません。月並みな心象句です」とか批評できるであろう。
 大観点となり得るものとして「写実」「心象」が上げられるであろう。この二つは文学の二大観点ともいえるものであり、自分がどちらの立場に立脚しているかを認識すべきである。私は写実も心象も両方作りますよという方がいるが、その方の句も批評もどちらつかずとなってしまい、大成しないであろうことは確かである。


もどる