俳句と時間
                                        

 俳句は瞬間を切り取った文学であるといわれている。時間の経過を示した句に秀句は少ないといわれている。たしかに過去の名句や秀句はその傾向にある。

  柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺  子規

 あまりにも有名な子規の句である。子規が柿を食っていた時(瞬間)に法隆寺の鐘の音が聞こえてきたというのである。鐘の音の広がりとともにとともに周囲の秋の深まりも伝わってきて全体の景色も想像させてくれる。まさしく瞬間を切り取りながら全体に及んでいる構造となっている。まさしく名句である。
 では時間の経過を示しながらも秀句となっている句はないであろうか。
 ということで、つくってみようと思いたった。もしかしたら新傾向の句がつくれるかもしれない。「今までの常識をうち破った処から新しい俳句ができる。」これは一つの真理である。俳句に限らずどの分野でも通用することである。

  油虫三億年を走りけり    孝治

 自分の句である。句会でも点数は入らなかったし、よくない句かも知れない。何がよくないかは指摘されなかったが、その理由としては、「ごきぶりは三億年も前からこの地球に存在している。」という知識を元にして作っているからということが推論される。知識だけで句を作り上げてはいけないというルールがあるのである。
では、手前味噌ではあるが、この句の良い点は何であろう。時間は三億年であるから瞬間どころの話しではない。人間の歴史はたかだか三百万年であるが、ごきぶりは何百万世代も遺伝子を変えずにこの地球を走り続けてきたのである。これが驚きである。ごきぶりの生命力を賞賛した句なのである。
  この技巧を真似るとこんな句もできる。

  虹立つや四十億年変はらずに   孝治

自然現象は変化しないということである。いい句かどうかは分からないけれど・・・。

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