切れ字「や」の追加的考察

 切れ字「や」が切れ字の王様であることを以前書いたことがあるが、一つだけ書き忘れたことがある。切れ字「かな」と「けり」は和歌や短歌に使用されており、現在でも詠嘆として短歌に使用されている。しかし、「や」は昔から和歌にはほとんど使用されていないのである。何故であろう。それはきっぱりと切れるからである。切れ味が他の切れ字と比較してとても鋭いのである。鋭すぎて調べを重要視する和歌には向かないのである。もちろん短歌にもである。短歌で「けり」と「かな」は詠嘆として使用されているが、俳句としての切れ字の場合は、その響きが長く感じられるのである。響きのある切れ字なのである。しかし、「や」はほとんど響かないのである。切れているのである。つまり響きよりも「間」が存在するのである。切れ字「や」は間を明確に示す切れ字なのである。その間にはほんの少しの響きが感じられるが、意識しないとなかなか聞き取れないのである。注意して聞いてみよう。ほら、聞こえるであろう。
「おや、聞こえないだって! 」
 それはそれで構わないと思います。感性が鈍いということではないのです。響く響かないは、やや主観の領域のことなのかも知れません。俳句の「間」は響きそのものという考え方もあります。そうすると間の大きい「や」が一番響いているということになります。間と響きは難しい問題なのかも知れません。「知れません」ばかりで自信のないことばかり書いていますが、切れ字は難しい問題なのです。科学的考察が必要な領域であるようにも思いますが、科学で間や響きが測定できるのかとなるとまた難しいと思います。文系の人にいわせると馬鹿げた考えだといわれそうですが、こんな考え方もあるということです。

                                           2008.11.15