辞世の句
俳人ならば、芭蕉や子規のように辞世の句を詠んで亡くなりたいと思うであろう。辞世の句を思い出しては、亡き人を偲ぶことはよくあることである。自分が生きてきた記録としても残したいものである。しかし、辞世の句の詠めない方もいる。とても元気で死を意識しない方がぽっくりと死んだりした場合は、まず辞世の句を残してはいないであろう。また元気なうちに辞世の句を作ろうとはしないであろう。何といっても縁起が悪いのである。
病気等で死を意識した方が病院のベットの上で作ったりしていることは、よくあるのである。しかし、佳句ができるとは思えないのである。辞世の句は、精神も肉体も元気があるうちに詠むことが良いと思う。元気なお年寄りは、詠んでおくべきである。いつ何があるか分からない世の中である。
さて、私の祖父は、辞世の句を残していた。
満開の桜を待たず逝きにけり 小野田宗太郎
この句のように3月に病気で亡くなったのであるが、この句は句友にも記憶され、この句と共に故人が今でも偲ばれているのである。3月というのだから、恐らく3月頃作られたのであろう。この句は死の間際に作られたのであろうか。死を意識した時に作られたのであろうか。それとも一週間くらい時間をかけていくつか作った中から一つを選び出したのであろうか。よく分からないのである。祖母は俳句にはまつたく興味関心のない方であったので、訊いても何も知らなかった。
さて、この句を鑑賞してみよう。桜が満開になる前の、つぼみの頃に亡くなったということである。死亡した時期が特定され、また、桜のつぼみも想像され、なかなかの佳句と思うのである。祖父の作品だから褒めるという訳ではないのである。自分の死を桜とかけているセンスがいいと思うのである。西行を意識していたのかも知れない。
祖父のことを思い出す時、私はこの句を思い出すのである。辞世の句は句の上手下手にかかわらず、残すべきである。下手なら下手で、句友は覚えてくれるであろう。
「あの方は最後まで俳句が下手でしたねえ。」
と、いわれながらである。
2007.7.1