宮柊二の名歌・秀歌観賞百一歌     

 新潟の一兵卒                             

1

目にまもりただに坐るなり仕事場にたまる胡粉の白き塵の層(かさ)           歌集「群鶏」

目をこらしながら、ただ座っている。仕事場に胡粉の白き塵が層となってたまっているのを眺めつつ、と解釈できる。中学を卒業し、上京してから新聞配達員や事務員などの仕事を転々としていた。これは「額縁屋の歌」の一連十二の一首であり、仕事場の一コマである。青年の不安や孤独などがにじみ出た作品となっている。

2

群鶏の移りをりつつ影しづけいづれの鶏ぞ優しく啼くは                  歌集「群鶏」

鶏の集団が啼くこともなく静かに動いているが、その影もまた静かである。その中の一匹の鶏が優しく啼いた、というのである。群鶏は短歌結社「コスモス」であろうか。優しく啼いている鶏は、宮柊二その人であろうか。    

3

日陰より日の照る方に群鶏の数多き脚歩みてゆくも                    歌集「群鶏」

鶏の集団が日陰から日の当たる方へと歩いて行く。その脚並が印象的に見えているということである。短歌結社「コスモス」を大結社に育てていこうという意志も感じられる一首である。    

4

群鶏の数を離れて風中に一羽立つ鶏の眼ぞ澄める                    歌集「群鶏」 

鶏の集団から離れて風の吹く中に一羽の鶏が澄んだ眼で立っている、ということである。その一羽は宮柊二なのであろう。だが、実際の宮柊二は集団を好んだのである。その鶏は最後には集団の中に入って行くのである。  

5

つき放れし貨車が夕光に走りつつ寂しきまでにとどまらずけり              歌集「群鶏」 

夕方、貨物列車が連結を外され、静かに夕焼けの中を走り出しており、その姿は寂しい、ということである。抒情あふれる場面であり、童謡も聞こえてきそうであり、この寂しさが宮柊二らしさである。

6

ねむりをる体の上を夜の獣穢れてとほれり通らしめつつ                 歌集「山西省」  

戦争で疲れ切って眠っている体の上を夜行性の獣が通っていくが、追い払う体力もない。兎に角眠りたいので、勝手に通らせておくということである。肉体疲労が限界状況にあると、他のことはかまっていられなくなるのであろう。

7

帯剣の手入をなしつつ血の曇落ちねど告ぐべきことにもあらず             歌集「山西省」

銃の先端に短剣をセットして敵と格闘戦を行うが、その短剣の血の曇が拭いても落ちない。しかしそれは珍しいことではないので、他者にいうことでもない、ということである。それほどに人を刺し殺すことが日常の風景となっているのである。恐ろしい歌である。

8

軍衣袴(いこ)も銃も剣も差上げて暁渉る河の名知らず                   歌集「山西省」

軍服や銃、短剣を両手に差し上げて暁の河を渡っているが、その河の名前は知らない、という意味である。多くの兵隊が河を渡っている姿が思い浮かぶ。何やら楽しい風景に思えるが、いつ弾が飛んでくるか分からない状況なので、緊張感もあったであろう。

9

亡骸に火がまはらずて噎せたりと互(かたみ)に語るおもひで出でてあはれ      歌集「山西省」

戦死した戦友と荼毘に付すのであるが、燃料の材木が足りないので、よく燃えない。それで煙がもくもくと出てくるので、噎せてしまった、というのである。何とも哀れな思い出ではないか。

10

ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづおれて伏す            歌集「山西省」

敵兵を引き寄せて背後より心臓あたりに短剣を差すと、静かに敵兵は倒れて伏した、ということである。スローモーションのように印象的に場面が思い浮かぶ。柊二の代表的短歌の一つである。

11

死にすればやすき生命と友は言ふわれもしかおもふ兵は安しも             歌集「山西省」

「戦死すれば安い命であると戦友はいう。私もそう思う。兵隊の命とは安いものである。」戦争における兵隊の命はまことに安く、時には武器よりも価値のないもの、ということである。

12

耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず        歌集「山西省」

耳を引きちぎったヴァン・ゴッホのことを考え、孤独とはなんであろうかと考え、戦争と個人との関係を考えながらなかなか眠ることができない、ということである。真面目で真摯な宮柊二であり、信頼のおける人物であるが故に短歌結社「コスモス」に多くの人々が集まったのである。

13

殆どが鬼籍となりし小隊に呼びかくるごとく感状下る                     歌集「山西省」

ほとんどが戦死してしまった小隊に、呼びかけるように感謝状が下りた、という意味である。中国戦線でも小隊全滅があったそうである。今更感謝状が下りても仕方ないのであるが、生きている者としてはそんなことしかできないのである。

14

自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつ振り返り見ず                  歌集「山西省」 

自爆をした若い敵兵を哀れみつつ、振り返ることなく前進を続けた、という意味である。敵兵も味方も必死である。戦場では、勝つこと、殺すこと、生き抜くことだけを考えて闘うのである。理性や哀れみといったものは消えるのである。

15

あかつきに風白みくる丘蔭に命絶えゆく友を囲みたり                    歌集「山西省」

暁に包まれた白い風が吹く丘の蔭において、今死にそうな戦友を囲んでいる、という意味であろう。戦場では死は珍しいことではないが、戦友の死は自分の死も身近にあることを認識させてくれる。今度は自分の番かも知れないと。

16

はるばると君送り来(こ)し折鶴を支那女童赤き掌に載す                   歌集「山西省」

はるばると日本の最愛の人より送られてきた折鶴を中国の女の子の赤い掌に載せた、という意味である。戦場での安らぐ一コマである。折鶴、折り紙は中国の文化にはなく、貰った女の子も喜んだであろう。

17

ある夜半に目覚めつつをり畳敷きしこの部屋は山西の黍畑にあらず           歌集「山西省」

ある夜半に目覚めているが、畳の敷いたこの部屋は、あの戦いに明け暮れた山西省の黍畑ではないのだなあ、という意味である。戦場ではどこもが寝床になり、黍畑で寝たこともあったろう。畳の上で寝ることで、つくづくと平和のありがたさが実感できたと思われる。

18

泥濘に小休止するわが一隊すでに生きものの感じにあらず               歌集「山西省」

泥のように大地に転がって休んでいるわが部隊は、生きているような感じがしないことだ、という意味であろう。重装備して歩き続けたり、戦争をし続けれたりしておれば、そうとうに疲れるのだろう。大地に転がればすぐに睡眠できたと思われる。兵隊は不眠症とは無縁だったのではなかろうか。

19

咲きそめし百日紅のくれなゐを庭に見返り出征たむとす                  歌集「山西省」

咲き始めた百日紅の紅を庭に振り返り見て出征しよう、という意味である。家の思い出の一つとして、百日紅の紅をしっかりと目に焼き付けて戦争に行くのである。もしかしたらこれが最後かも知れないと考えていたであろう。

20

おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様をまつぶさに遂げむ            歌集「山西省」

恐らくは知られることはないであろう一人の兵隊としての生き様を真っ直ぐに遂げよう、という意味である。これは「志」という題が付いている短歌であり、柊二の兵隊としてのあり方を示している。

21

五度六度つづけざま敵弾が岩をうちしときわれが軽機関銃(けいき)鳴りそむ     歌集「山西省」

五回六回と敵の弾丸が私の隠れている岩に当たった時、私は軽機関銃で反撃しはじめたという意味である。弾が当たればそれで死ぬのである。戦争とは死が常にそばにあるということであり、善悪を考える閑もないのである。

22

秋霧を赤く裂きつつ敵手榴弾落ちつぐ中にわれは死ぬべし                歌集「山西省」

秋の霧の中を敵が投げる手榴弾が赤くいくつも炸裂する中で、私は死ぬのであろう、という意味である。死を覚悟した時の歌であり、何人かの戦友は亡くなったであろう。その中で生き残ったことは幸運だったのだろう。

23

掩蓋(えんがい)に射し入る秋陽強くして二日飯食はぬ顔に照りつく            歌集「山西省」

掩蓋(軍隊で敵弾を防ぐたの塹壕などの上部を覆ったもの)に秋陽が強く差し込んで、二日間飯を食べない私の顔に照りついている、という意味である。飯を食べずに水だけで日々を過ごすこともあったのだろう。人間本当にひもじくなると理性がだんだんと失せていき、人間らしさが無くなっていくという。

24

信号弾闇にあがりてあはれあはれ音絶えし山に敵味方の兵                歌集「山西省」

信号弾が闇空に上がりて辺りが明るくなると、哀れ哀れ、音のしなかった山にはたくさんの敵や味方の兵がひっとりと身を潜めていた、という意味であろう。この後、激しい銃撃戦になったであろうことは、想像できる。

25

一角に重機据えたる十二人訓練のごとく射ちつづけをり                   歌集「山西省」

一角に重機関銃を据えている十二人の兵士が、訓練を行っているように弾を連続して打ち続けている、という意味である。機関銃の先には敵ではあるが、人間がいるのである。訓練をするかのように人を殺しているのである。戦争とはこのようなものである。

26

弾丸がわれに集りありと知りしときひれ伏してかくる近視眼鏡を              歌集「山西省」

敵の弾丸が自分に集中していると知った時、ひれ伏して、眼鏡を両手で押さえてじっと隠れていた、と解釈できる。生きるか死ぬかの一瞬の場面が想像できる歌である。

27

山くだるこころさびしさ互みに二丁の銃かつぐなり                       歌集「山西省」

戦場の山を、互いに戦争でなくなった戦友の銃を担ぎながら寂しい気持ちで、下ったことだ、という意味であろう。銃は時として命よりも重要なものであったのだろう。これがなければ戦ができないのである。

28

左前頸部左顳顓部穿透性貫通銃創と既に意識なき君がこと誌す             歌集「山西省」

弾丸が体の左前頸部をつらぬいていると、死にかけている戦友の状況を詳しく記載したということである。戦場ではよくあったことである。遺体が土に埋められるのはまだよく、そのまま戦場に放棄された遺体もあまたあったのである。

29

麻畠に沿ひて過ぎをり毛を刈りて涼しくなれる緬羊の群                   歌集「山西省」

戦場の麻畑に沿って過ぎて行くと毛を刈って涼しくなった羊の群れに出会ったことだ、という意味であろう。戦場においても生活をする農家の人たちがいるのである。元々人間が住んでいる場所が戦場なのかも知れない。流れ弾に当たって亡くなる民間人もたくさんいたのであろう。

30

稲青き水田見ゆとささやきが潮(うしほ)となりて後尾へ伝ふ                 歌集「山西省」

稲の青い水田が見えるというささやきが波のように後ろの兵隊に伝わっていく、という意味である。戦場でも稲を育てている農民がいるのである。これから激しい戦闘があり、水田がめちゃめちゃになるかも知れないのである。水田を眺めると故郷を思い出すかも知れないか゛、そんな感傷も一時のことかも知れない。

31

うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か                 歌集「山西省」

私の骨や体に寒い雨が打ち続いている。この世の最後の雨であろうか、という意味である。戦場での一コマであり、これから敵兵と闘うのである。一つ一つがこの世の最後の出来事なのかも知れない。

32

装甲車に肉薄し来る敵兵の叫びの中に若き声あり                      歌集「山西省」

わが軍の装甲車に肉薄して迫って来る敵の兵隊の中に若き声が聞こえた、という意味である。敵兵の中には十代の若者もいたのである。しかし戦争においては相手を撃ち殺さなければ自分が撃ち殺されるのである。十代であろうと敵は撃つのである。

33

こゑあげて哭けば汾河の河音の全く絶えたる霜夜風音                   歌集「山西省」

歌の師である北原白秋が昭和17年11月2日に亡くなった。その悲報を聞いての歌である。悲しみの余り声を上げて泣いてしまったが、河が凍って河の音が全く聞こえず、霜が全体に降りて、風の音ばかり聞こえている夜だ、という意味であろう。白秋への挽歌である。

34

焼跡に溜れる水と箒草そを囲りつつただよふ不安                      歌集「小紺珠」

戦争から生きて帰ってきた柊二は、東京の焼跡にある溜まり水とははき草の周辺を巡りつつ不安が漂っていると感じたのである。これから日本はどうなるのか、自分や家族はどうなるのか、短歌はどうなるのか、日本全体に不安が漂っていたのかも知れない。

35

たたかひを終りたる身を遊ばせて石群れる谷川を超ゆ                   歌集「小紺珠」

歌集の冒頭の作品である。戦後、復員して黒部渓谷に入った時の歌である。自殺でもしようかと思ったのであろうか。大きな石の群がる上流辺りを彷徨い歩き、結局戻ってきた。ここから柊二の戦後の歌が本格的に始まるのである。

36

孤独なる姿惜みて吊し経し塩鮭も今日ひきおろすかな                   歌集「小紺珠」

鮭は作者の古里、魚野川でも穫れ、鮭を吊しておくのは年越しの風物ともなっている。吊す塩鮭を孤独なる姿と見立て、それが作者の姿とも重なっている。少しずつ切っては食べてきた鮭を今日引き下ろして全て戴くのである。新しい季節を祝う雰囲気も感じられる。

37

一本の蠟燃しつつ妻も吾も暗き泉を聴くごとくゐる                     歌集「小紺珠」

停電でもあったのだろうか、一本の大きなロウソクを燃やしながら、妻と作者は暗い地下に泉が湧く音を聴いている様に静かにじっとしているのである。終戦直後の不安な状況を感じさせる歌である。

38

おとろへしかまきり一つ朝光の軌条のうへを越えんとしをり                歌集「小紺珠」

軌条とは線路のレールのことであり、衰えた蟷螂が朝日に輝くレールを今まさに越えようとしているのである。この蟷螂は越えることができたのであろうか。作者は結果を示していないが、越えてほしいと願ったのであろう。

39

静かなる冬に入るとぞ水透きて鱗の型の河底の砂                      歌集「小紺珠」

静かな冬がやって来たよ。透明な河の水の底には、水の流れによって鱗形となっている砂が見える、という意味であろう。美しい冬の写生歌である。

40

積み上げし鋼の青き断面に流らふ雨や無縁の思想あり                   歌集「小紺珠」

積み上げられている鋼の断面に雨の滴が流れている。そこには無縁の思想が感じられる。無縁の思想とは、誰も助けてくれる者はいない。自分の力で何とかしなければならない、ということであろうか。難しい歌ではある。ちなみにこの歌は、川崎富士製鋼所の現場で歌われた作品である。

41

悲しみを窺ふごとも青銅色のかなぶん一つ夜半に来てをり                 歌集「小紺珠」

私の悲しみをのぞきこむように青銅色の一匹のカナブン(金蚊)が夜半に来ている、という意味であろう。このカナブンとは何を差しているのだろう。妻であろうか、自分自身であろうか。否、それほど難しく考えなくてもよいのかも知れない。

42

告白と芸術と所詮ちがふこと苦しみてロダンは「面」を発見せり              歌集「小紺珠」

正直に告白することは、芸術ではない。短歌もそうである。ロダンはそれに気づき、面に告白させることを考えついたのではなかろうか、という意味なのだろうか。難しい歌である。短歌は一人称で書かれることがほとんどであり、全て事実と勘違いする人がいるが、やはり違うのだろう。虚構も混じっていると考えるべきである。

43

家ごもりもの書きくらせり省ればハイネの如くわれは詠はず               歌集「晩夏」   

家の中にずっといて、短歌やそれに関する文章などを書いている。振り返り見れば、私はハイネのように若い男女の愛を詠うことはなかったといっている。しかし、ハインリヒ・ハイネは日本では最初、恋愛抒情詩人として紹介されてはいるが、批評精神の旺盛な詩も数多く作っている。柊二のやや勘違いもあったと推察される。

44

いろ黒き蟻あつまりて落蝉を晩夏の庭に努力して運ぶ                   歌集「晩夏」

ある晩夏の午後、たくさんの黒蟻が集まって落蝉を努力しながら巣へと運んでいるということである。分かり易い歌であり、努力という言葉がキーワードである。柊二の好きな言葉である。歌集「晩夏」の表題となった歌であり、本人もとても気に入っていたと思われる。

45

さ庭べに夏の西日のさしきつつ「忘却」のごと鞦韆は垂る                 歌集「晩夏」

庭に夏の西日が差しており、その中でブランコが忘却の如く垂れているという歌である。蝉時雨なども聞こえるのであろう。場面を想像すると、子供が大きくなってしまい、誰も乗ることのない古いぶらんこが見えてくる。

46

昨夜ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚きし妻は何者                   歌集「晩夏」

深夜に酔っぱらって家に着くと妻が私に対してわめきちらかしている。妻とはそもそも何者なのであろうか、という意味であろう。ユーモアが感じられる歌。酒飲みの妻帯者ならばよく経験することである。反省するはずもなく、わめきちらかしても仕方のないことではある。

47

のどやかに見ゐし童の脅え泣く金歯をあげて獅子のくるとき               歌集「晩夏」

のどかな雰囲気の童が脅えて泣いている。口を開き金歯を見せて獅子がやって来る時、という意味であろう。「金歯をあげて」がおもしろく、一つの発見であり、この歌の中心である。単に獅子に驚いたではプロの歌にはならなかったであろう。

48

青空の中に行かなと子に言へば死ぬから嫌だと子の脅え言ふ              歌集「晩夏」

青空の中に行ってみようと私が言うと、子どもは死ぬから嫌だと脅えながら答えた、という意味である。「青空の中に行ってみよう」、は詩人の発想であり、「青空(天)に行く」は、死ぬということである、とは一般人の発想である。子どもには、詩人としての発想、詩質は、なかったということであろうか。しかしそれは私のかってな想像である。

49

ふぐり下げ歩道を赤き犬はゆく帽深きニイチエはその後を行く              歌集「晩夏」

ふぐりを下げて赤犬が歩道を行く。その後を帽子を深く被ったニーチェに傾倒している作者が付き従って行く、という意味であろう。赤犬は飼い犬であろう。斎藤茂吉もニーチェに傾倒していたが、孤独を好む者はその傾向が見られるのかも知れない。

50

毎日の勤務のなかのをりふしに呆然とをるをわが秘密とす                歌集「日本挽歌」

毎日の勤務の中で、人知れず呆然としている一時があり、それは私の秘密であるという歌である。呆然としながら短歌のことを考えているのであろうか。それとも、本当に、単にぼおっとしているのであろうか。それはよく分からない。

51

群れる蝌蚪の卵に春日さす生まれたければ生まれてみよ                歌集「日本挽歌」 

ぐにゃぐにゃと蛙の卵が池の中にあり、そこに春日が差している。「お玉杓子よ、生まれたければ生まれてみよ」という歌である。後半が口語体命令文の歌であり、珍しい形である。自分の努力で生まれなさいということであり、努力が大切ということである。努力は柊二の好きな言葉である。

52

あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり                 歌集「日本挽歌」

新しく冬がやって来た。群竹の幹が鞭の如く響き合っていることだ、という歌である。心の引き締まる歌であり、情景もよく想像でき、分かりやすい。柊二の代表的短歌の一つである。

53

おとうさまと書き添へて肖像画貼られあり何といふ吾が鼻のひらたさ          歌集「日本挽歌」

小学生の娘さんであろうか、お父様と書き添えてある自画像が家の壁に貼られている。それを見ると何とまあ私の鼻は平たく描かれていることだ、という意味である。確かに宮柊二の鼻の辺りは平たい。よく観察して描いた絵であろう。

54

蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ                 歌集「日本挽歌」

蝋燭の長い炎が輝きながら揺れている。私の若い時代はその揺らぎに似ている。その時代はみんな過ぎ去ってしまったことよ、という意味であろう。青春は一瞬の揺らぎのようなものという比喩は巧みである。

55

七階に空ゆく雁のこゑきこえこころしづまる吾が生あはれ                 歌集「日本挽歌」
 
会社の七階が柊二の務める環境であったが、雁の啼く声がそこでは聞こえる。その声を聴いていると心が安らぐ自分は何と哀れであろう、という意味であろう。仕事のことよりも雁の声につい注意が向いてしまう柊二であった。

56

曇映る川に水馬のしづかなる群りざまを見て帰りきぬ                   歌集「日本挽歌」

雲が映っている川面に、アメンボが静かに群れているのを暫く眺めて帰って来た、という意味である。これも写生歌であり、雲とアメンボの対比が美しく感じられる。

57

しづかなるわれをかなしと去りゆきて友ら既に党中にあり                 歌集「日本挽歌」

行動せずに静かにしている私を悲しいと吾から去って、友は既に共産党に入党したことだ、という意味であろう。柊二は反戦思想を持っていても政治活動は好まなかったようである。行動面においては、静かな柊二であった。

58

草むらをひとり去るとき人間の人型に凹める草の起ち返る音               歌集「日本挽歌」

草むらで寝転びながら詩作にふけり、立ち去ろうとした時に、今私がいた処の人型に凹んだ草むらの形が元に戻ろうとする音がした、という意味であろう。草むらの人型とその立ち返る音を柊二は発見したのである。この歌は写生の発見型の歌といえるであろう。

59

あはあはと陽当る午後の灰皿にただ一つ煙を上ぐる吸殻                歌集「多く夜の歌」

作者は煙草好きである。灰皿にはたくさんの吸い殻があり、今も短歌を詠みながら煙草を吸い、その吸いさしの煙草を灰皿に置いているのである。灰皿は窓の近くの机の上にあり、午後の日差しが当たり、一筋の煙が部屋に上っている。その光景に作者は少し感動しているのである。煙草嫌いの奥さんにとっては、とても嫌な歌であろう。

60

青春を晩年にわが生きゆかん離々たる中年の泪を蔵す                 歌集「多く夜の歌」

作者の青春は勤労であり、戦争であった。退職し、晩年を迎えてはいるが、青年の心をもって生きていこうと決意し、中年の涙をためているのである。年を取っても青年の心を失わず、歌を詠みたいものである。

61

あきらめてみづからなせど下心ふかく俸給取を蔑まむとす               歌集「多く夜の歌」 

諦めて自ら選んだことだけれど、心の底では俸給取りを蔑んでいる、という意味であり、若い頃から文学だけで身を立てたいと望んでいた作者である。結局定年まで勤めずに退職し、短歌だけで生活を送ったのである。数少ないプロの歌人である。

62

雨負ひて暗道帰る宮肇君絵を提げ退職の金を握りて                  歌集「多く夜の歌」

雨の降る中、退職金と記念の絵を会社から貰い、暗い夜道を家路に帰る宮肇君である。務めをやめて本格的に歌の道に精進していく宮柊二である。

63

スタンドが机におとす灯の円を起ち上がりざま闇に見おろす              歌集「多く夜の歌」

カサのある電気スタンドがいつも短歌をつくっている机に円錐形の光を落としている。立ち上がった時にそれに気がつき、闇の中からその円錐形の光を見下ろしている、という意味である。写生の効いた発見のある作品である。

64

かがやける少年の目よ自転車を買ひ与へんと言ひしばかりに             歌集「多くの夜の歌」

自転車を買ってあげようと息子に言うと、目を輝かせて喜んでいることだ、という意味である。意味は平明であり、少年の姿も思い浮かぶ。私も確かにそうだったように記憶している。多くの少年達に共通する体験であろう。

65

七階の下なる都心たまたまを往来絶えし車道歩道見ゆ                  歌集「多く夜の歌」

七階で仕事をしている作者が下に広がる都心を眺め、たまたま往来の絶えた車道歩道を見付けた、ということである。この歌から、歌人佐藤佐太郎の「舗道には何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子戸のそと」という歌が思い出される。

66

扱(しご)きつつ新聞を鳴らし配りゆく少年の力を見遁したまふな             歌集「多く夜の歌」

新聞を腕でしごいて新聞をパンと鳴らしながら配って行く少年の、社会を支えている一員としての力を見逃さないでほしい、という意味であろう。柊二は上京していろいろな職業に従事したが、新聞配達員もその一つであった。

67

わたくしのおもひを断ちて励みたる一日暮れきぬ七階の部屋              歌集「多く夜の歌」

私の短歌に対する思いを断ち切って、七階の部屋で仕事に励んだ一日が暮れたことだ、という意味であろう。柊二にとっては毎日、短歌に没頭したかったであろうが、サラリーマンとして仕事をしなければ生活ができなかったのである。そんな生活が嫌だったのであろうと推測される。  

68

空ひびき土ひびきして吹雪する寂しき国ぞわが生まれぐに               歌集「藤棚の下の小室」

作者の古里、新潟県旧堀之内町は豪雪地帯であり、吹雪が空に大地にごうごうと吹き荒れる。人々は家の中にじっとして、冬は寂しき地域である。そんな古里を宮柊二は愛しているのである。これを書いている私も新潟出身であるが、雪国越後を愛している。宮柊二の代表的短歌の一つである。

69

たちかへる年のあしたに鳥のごと甦りくる知識に遊ぶ                   歌集「藤棚の下の小室」

新年の朝に、朱鷺の如くよみがえってくる思い出と遊んでいることだ、という意味であろう。知識に遊ぶがやや堅い表現ではあるが、記憶に残る言い回しである。この歌は昭和38年元旦の新潟日報に載った長歌「朱鷺幻想」への反歌である。

70

歌止めてゆくをとどめしこと無くて一人二人を常に偲べり                 歌集「藤棚の下の小室」 

歌友が歌を止めていくのを留めることはしなかったが、一人二人と思い出して偲んでいるよ、という意味である。去る者は追わずという作者である。

71

藤棚の茂りの下の小室にわれの独りを許す世界あり                   歌集「藤棚の下の小室」

家には藤棚があり、その茂りが窓際にあり、その部屋は自分だけの世界である、ということである。ここでじっくりと短歌を詠んだのであろう。歌集の表題となった作品である。

72

陶のごと肌磨かれし豪州の巻貝を原稿抑へに用ふ                     歌集「藤棚の下の小室」

陶器のように肌がぴかぴかに磨かれたオーストラリアの巻貝を原稿用紙の文鎮代わりに使用している、という意味である。私も似たような巻貝を見たことがあるが、なかなか美しい文鎮ではある。

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スタンドの明りが照らす小範囲乱るるなかにマッチを捜す                 歌集「藤棚の下の小室」

カサの付いたスタンドが照らしている円錐形の範囲の机の上は、鉛筆や消しゴム、ペン、煙草、ナイフ、はがき、書類などが散乱しているが、その中からマッチを捜している、という意味である。宮柊二記念館に柊二が使用していた机が展示されていたが、整理整頓は苦手であったように感じられる。私にとって好感のもてる歌人である。

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争ひつつ妻と生ききぬ感情は理由(ことわり)よりも複雑にして               歌集「藤棚の下の小室」 

争いながら妻と生きてきたが、感情は理性よりも複雑なものだなあ、という意味であろう。妻英子は柊二死後も結社コスモスを守ってきた中心人物である。生前、柊二も折れていたのではなかろうか。何の根拠もない、ただの推測にすぎないが・・・・・・。

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あたたかき饂飩食ふかと吾が部屋の前にたちつつわが妻が言ふ            歌集「藤棚の下の小室」

「温かいうどんを食べますか」、と柊二の仕事部屋の前に立ちながら妻が言っている、という意味である。何と優しい奥さんであろう。私はこんなことを言われたことはない。夫婦仲は良かったのであろう。

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夜もすがら空より聞こえ魚野川瀬ごと瀬ごとに水の激(たぎ)ち鳴る            歌集「藤棚の下の小室」

夜中、空より魚野川の瀬ごと瀬ごとに水がぶつかる音が聞こえるくることだ、という意味であろう。魚野川は柊二の実家の近くを流れている川であり、鮭や鮎などが穫れるが、冬など荒れるととても怖い川である。だが、大きな簗場があり、新鮮な魚がぴちぴちと上がり、手掴みで穫ったことがある。楽しい体験であった。

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風かよふ棚一隅に房花の藤揉み合へばむらさきの闇                    歌集「藤棚の下の小室」

風が通る藤棚の一隅に、藤の花が揉み合って紫の闇をつくっている、という意味であろう。自分の家に藤棚を作って窓辺より眺めているのである。「むらさきの闇」が一つの発見である。これは直接見なければ、出てこない表現である。写生の基礎基本は、観察である。

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仕方なく生くるならねど花吹雪身をつつむとき吾が狼狽へつ               歌集「藤棚の下の小室」

仕方なく生きている訳ではないが、桜の花吹雪が私を包む時、狼狽してしまった、という意味である。柊二は、ステージでスポットライトを浴びることは好まなかったようであるが、越後人として一つ一つを確実に取り組み、生きてきたように思う。

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「多摩残党ー」と若き一人が叫びにき頷きて聞く残党にてもよし             歌集「藤棚の下の小室」

北原白秋が率いた「多摩」が解散していくつかの結社ができ、コスモスもその一つである。柊二も多摩残党の一人であり、若い歌人たちからは、古い歌の勢力として攻撃やからかいの対象になっていたのである。柊二は、残党呼ばわりされてもよしと考えていたようである。

80

新しき歌おこすべし先生を蔑(なみ)する若き君らの中より                 歌集「藤棚の下の小室」

今までない新しい歌を起こしなさい。北原白秋先生を軽蔑する若い君たちの中から、という意味である。若い者たちへの期待もあろうが、まだまだ私は負けていないぞ、という意味合いもあるように思う。

81

家の者いまだ目覚めず降る雪に青く濡れゆく庭石の面(おも)               歌集「藤棚の下の小室」

家の者がまだ目覚めずにいるが、私は雪が庭の石に降りて、青みを帯びて解けて濡れていくのを眺めている、という意味であろう。東京の雪なので、ほとんど積もらなかったと思われる。雪が解けていく様子に風情があるのだろう。

82

川床に泉の見えて新しき水うごきつつ砂たえず舞ふ                   歌集「獨石馬」

川底に地下水が湧き出る場所があり、その水が砂をたえず舞い上がらせている、という意味であり、写生に徹した歌である。宮柊二は北原白秋門下ではあったが、写生の歌も嫌いではなかったと思われる。

83

冬の夜の長きまにまに良寛の詩や白秋の歌に遊びつ                  歌集「獨石馬」 

晩年に近い歌である。冬の長い夜に、良寛様の詩歌や白秋先生の短歌を読んで楽しんでいる、という歌である。晩年は古里の歌人、良寛様の和歌に傾倒した作者であった。

84

抽出(ひきだし)の一つ一つを整理してわれはゐにけり寂しき朝なり          歌集「獨石馬」

引きだしの一つ一つを整理している自分である。寂しい朝である、という意味。病院にでも入院するのであろうか。一つ一つ整理するとは何かがあると思うのである。寂しい整理である。

85

おのづから鬢髪白し大戦も先師逝去も大過去として                    歌集「獨石馬」 

だんだんと左右の頭の髪も白くなり、太平洋戦争も北原白秋先生の死去もずっと昔の出来事に思えることだ、という意味であろう。「大過去」という表現が珍しい。

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やや酔ひて前川夫人髭剃れど詰寄りましき肯(がへ)んじざりき             歌集「忘瓦亭の歌」

歌のパーティでの一コマであろう。前川佐美雄夫人が柊二に「その無精髭をお剃りになったらいかがですか」と詰め寄ったが、肯うことはなかったよ、という意味であろう。髭は手が病気で不自由になり、しかたなく伸ばしたのであるが、柊二は髭が気に入っていたようである。

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またたびを食みては昼をウヰスキー飲みつつぞゐる八月十五日            歌集「忘瓦亭の歌」

この歌は戦後三十年経ってからの歌であり、昼からウイスキーを飲んでマタタビを食べて、終戦記念日を迎えているのである。平和のありがたさを感じながら、亡き戦友を偲んでいるのではなかろうか。

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コスモスの逝ける友らの忌の日増え全て覚えてゆくことできず              歌集「忘瓦亭の歌」

短歌結社「コスモス」の歌友が数多く亡くなり忌日が増えてゆくが、あまりにも多すぎて全て覚える事が出来ない、という意味である。結成した当時の歌友がだんだんと少なくなり、自分にもお迎えがもうすぐ来るのであろうと実感しはじめていたのかも知れない。

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もの書きに妻がもつとも影響を与ふと言ひし正宗白鳥                   歌集「忘瓦亭の歌」

もの書きにとって、妻がもっとも影響を与えると正宗白鳥(小説家・劇作家・文学評論家)が言った、という意味である。意味は平明であり、真実である。妻は歌人の宮英子であり、柊二をコスモスを陰から支えてきたのである。

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秋の正倉院展見たしと昨日言ひゐしが妻立ちゆけり朝暗きより             歌集「忘瓦亭の歌」

秋の正倉院展見たいと妻に昨日言ったが、妻は何も言わず立っていった朝の暗い頃より、という意味であろう。要するに病気の柊二を置いて、妻が一人で奈良の正倉院展を見に行ったということである。車椅子生活の柊二を連れて行くには、妻にしてみれば無理と考えても仕方のないことではある。

91

頭を垂れて孤独に部屋にひとりゐるあの年寄りは宮柊二なり               歌集「緑金の森」

部屋の中に、頭を垂れて孤独に一人いる年寄りは、宮柊二である、ということである。孤独を好み、一人で歌を詠んでいる時が一番幸せなのではなかったろうか。

92

苦しみて歌つくるわれ楽しみて歌つくるわれいづれぞわれは                歌集「緑金の森」

苦しみながら歌をつくっている自分がいる。楽しみながら歌をつくっている自分がいる。どちらが本当の自分であろう、という意味である。どちらも本当の自分ということである。

93

恥ぢて今日しきりに思ふ友よわが病ひの歌など読み捨てたまへ             歌集「緑金の森」

恥じて今日しきりに思うことがある。歌友よ、私の病の歌など読み捨ててほしい、という意味である。柊二にとって、最盛期の頃の歌と比べれば、意欲の乏しい病人の歌など恥ずかしいと考えているのである。しかし結社のコスモス会員にとっては柊二が今何を考え、何をしているのか知りたかったと思われる。

94

脳血栓小康といへどわが体かくがらくたになり果てにけり                  歌集「純黄」

脳血栓が小康状態ではあるけれど、私の体はこのようにがらくたとなり果ててしまったものよ、という意味である。まだユーモアを感じさせる。心に多少の余裕があるのだろう。しかし死期が近いことは認識しているのである。

95

わが歌は田舎の出なる田舎歌素直懸命に詠ひ来しのみ                  歌集「純黄」

紫綬褒章を戴いた時の歌である。多少の謙遜もあろうが、実感のある歌である。越後の歌人、宮柊二は故郷に錦を飾り、堀之内の名誉町民となった。また宮柊二記念館も生まれ故郷に建っている。田舎人にとって故郷に錦を飾ることは最大の名誉である。故郷の越後人も素直に褒め称えるのである。

96

犬の世話に出でたる妻の帰り遅く電燈点るわが頭(づ)の上に                歌集「純黄」

飼い犬の散歩に出ていった妻の帰りが遅く、私の頭の上にある電燈が自動的に点いたことだ、という意味であろう。寝たきり状態の私よりも、犬のことが大切なのであろうかと、不満を述べているのだろう。しかし奥さんにすれば犬との散歩は、息抜きなのであろう。

97

中国に兵なりし日の五ヶ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ                   歌集「純黄」 

中権で兵隊であった五カ年をしみじみと思うならば、戦争は悪そのものである、という意味である。実際の戦争を体験した者だからこそ、断言できるのである。柊二の重い明確な結論である。

98

わが若く恋ひたる人もはかなけれ二度童子とぞなりたまひたる               歌集「純黄」 

私が若い頃に恋した人は儚いことである。惚けてしまって二度目の童となってしまったことだ、と言う意味であろう。軽いユーモアも感じられるが、哀しい事実である。

99

妻の背にすがりて臥床へゆかむとし十歩ほどなるその距離遠し              歌集「白秋胸像」

妻の背中にすがりながら寝床へ行こうとするが、十歩ほどのその距離が遠く感じられることだ、という意味である。柊二の体はリューマチなどでだんだんと動かなくなり、妻の介助なしでは生活できないほどになってしまった。自分自身を情けなく感じているのである。

100

素足にて土を踏みたし霜荒れの昭和六十一年の新しき土を                歌集「白秋胸像」

素足にて土を踏みたいと思う。霜で荒れた昭和六十一年のわが家の庭の土を、という意味である。病院の九階に入院している柊二である。退院することはできたが、十二月十一日に急性心不全で逝去する。七十四歳であった。   

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父の齢(よはひ)に至らざれども良寛の示寂に近し病みつつ我は              歌集「白秋胸像」

父の亡くなった年齢には達していないけれど、良寛のお亡くなりになった年齢に近くなった、病んでいる私だけれど、という意味である。晩年は良寛様の歌や生き方に傾倒していったのである。郷土の歌人、良寛様を尊敬している柊二であった。