|
|
新潟の一兵卒 |
|
1 |
目にまもりただに坐るなり仕事場にたまる胡粉の白き塵の層(かさ) 歌集「群鶏」
|
2 |
群鶏の移りをりつつ影しづけいづれの鶏ぞ優しく啼くは 歌集「群鶏」
|
3 |
日陰より日の照る方に群鶏の数多き脚歩みてゆくも 歌集「群鶏」
|
4 |
群鶏の数を離れて風中に一羽立つ鶏の眼ぞ澄める 歌集「群鶏」
|
5 |
つき放れし貨車が夕光に走りつつ寂しきまでにとどまらずけり 歌集「群鶏」
|
6 |
ねむりをる体の上を夜の獣穢れてとほれり通らしめつつ 歌集「山西省」
|
7 |
帯剣の手入をなしつつ血の曇落ちねど告ぐべきことにもあらず 歌集「山西省」
|
8 |
軍衣袴(いこ)も銃も剣も差上げて暁渉る河の名知らず 歌集「山西省」
|
9 |
亡骸に火がまはらずて噎せたりと互(かたみ)に語るおもひで出でてあはれ 歌集「山西省」
|
10 |
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづおれて伏す 歌集「山西省」
|
11 |
死にすればやすき生命と友は言ふわれもしかおもふ兵は安しも 歌集「山西省」
|
12 |
耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず 歌集「山西省」
|
13 |
殆どが鬼籍となりし小隊に呼びかくるごとく感状下る 歌集「山西省」
|
14 |
自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつ振り返り見ず 歌集「山西省」
|
15 |
あかつきに風白みくる丘蔭に命絶えゆく友を囲みたり 歌集「山西省」
|
16 |
はるばると君送り来(こ)し折鶴を支那女童赤き掌に載す 歌集「山西省」
|
17 |
ある夜半に目覚めつつをり畳敷きしこの部屋は山西の黍畑にあらず 歌集「山西省」
|
18 |
泥濘に小休止するわが一隊すでに生きものの感じにあらず 歌集「山西省」
|
19 |
咲きそめし百日紅のくれなゐを庭に見返り出征たむとす 歌集「山西省」
|
20 |
おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様をまつぶさに遂げむ 歌集「山西省」
|
21 |
五度六度つづけざま敵弾が岩をうちしときわれが軽機関銃(けいき)鳴りそむ 歌集「山西省」
|
22 |
秋霧を赤く裂きつつ敵手榴弾落ちつぐ中にわれは死ぬべし 歌集「山西省」
|
23 |
掩蓋(えんがい)に射し入る秋陽強くして二日飯食はぬ顔に照りつく 歌集「山西省」
|
24 |
信号弾闇にあがりてあはれあはれ音絶えし山に敵味方の兵 歌集「山西省」
|
25 |
一角に重機据えたる十二人訓練のごとく射ちつづけをり 歌集「山西省」
|
26 |
弾丸がわれに集りありと知りしときひれ伏してかくる近視眼鏡を 歌集「山西省」
|
27 |
山くだるこころさびしさ互みに二丁の銃かつぐなり 歌集「山西省」
|
28 |
左前頸部左顳顓部穿透性貫通銃創と既に意識なき君がこと誌す 歌集「山西省」
|
29 |
麻畠に沿ひて過ぎをり毛を刈りて涼しくなれる緬羊の群 歌集「山西省」
|
30 |
稲青き水田見ゆとささやきが潮(うしほ)となりて後尾へ伝ふ 歌集「山西省」
|
31 |
うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か 歌集「山西省」
|
32 |
装甲車に肉薄し来る敵兵の叫びの中に若き声あり 歌集「山西省」
|
33 |
こゑあげて哭けば汾河の河音の全く絶えたる霜夜風音 歌集「山西省」
|
34 |
焼跡に溜れる水と箒草そを囲りつつただよふ不安 歌集「小紺珠」
|
35 |
たたかひを終りたる身を遊ばせて石群れる谷川を超ゆ 歌集「小紺珠」
|
36 |
孤独なる姿惜みて吊し経し塩鮭も今日ひきおろすかな 歌集「小紺珠」
|
37 |
一本の蠟燃しつつ妻も吾も暗き泉を聴くごとくゐる 歌集「小紺珠」
|
38 |
おとろへしかまきり一つ朝光の軌条のうへを越えんとしをり 歌集「小紺珠」
|
39 |
静かなる冬に入るとぞ水透きて鱗の型の河底の砂 歌集「小紺珠」
|
40 |
積み上げし鋼の青き断面に流らふ雨や無縁の思想あり 歌集「小紺珠」
|
41 |
悲しみを窺ふごとも青銅色のかなぶん一つ夜半に来てをり 歌集「小紺珠」
|
42 |
告白と芸術と所詮ちがふこと苦しみてロダンは「面」を発見せり 歌集「小紺珠」
|
43 |
家ごもりもの書きくらせり省ればハイネの如くわれは詠はず 歌集「晩夏」
|
44 |
いろ黒き蟻あつまりて落蝉を晩夏の庭に努力して運ぶ 歌集「晩夏」
|
45 |
さ庭べに夏の西日のさしきつつ「忘却」のごと鞦韆は垂る 歌集「晩夏」
|
46 |
昨夜ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚きし妻は何者 歌集「晩夏」
|
47 |
のどやかに見ゐし童の脅え泣く金歯をあげて獅子のくるとき 歌集「晩夏」
|
48 |
青空の中に行かなと子に言へば死ぬから嫌だと子の脅え言ふ 歌集「晩夏」
|
49 |
ふぐり下げ歩道を赤き犬はゆく帽深きニイチエはその後を行く 歌集「晩夏」
|
50 |
毎日の勤務のなかのをりふしに呆然とをるをわが秘密とす 歌集「日本挽歌」
|
51 |
群れる蝌蚪の卵に春日さす生まれたければ生まれてみよ 歌集「日本挽歌」
|
52 |
あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり 歌集「日本挽歌」
|
53 |
おとうさまと書き添へて肖像画貼られあり何といふ吾が鼻のひらたさ 歌集「日本挽歌」
|
54 |
蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ 歌集「日本挽歌」
|
55 |
七階に空ゆく雁のこゑきこえこころしづまる吾が生あはれ 歌集「日本挽歌」
|
56 |
曇映る川に水馬のしづかなる群りざまを見て帰りきぬ 歌集「日本挽歌」
|
57 |
しづかなるわれをかなしと去りゆきて友ら既に党中にあり 歌集「日本挽歌」
|
58 |
草むらをひとり去るとき人間の人型に凹める草の起ち返る音 歌集「日本挽歌」
|
59 |
あはあはと陽当る午後の灰皿にただ一つ煙を上ぐる吸殻 歌集「多く夜の歌」
|
60 |
青春を晩年にわが生きゆかん離々たる中年の泪を蔵す 歌集「多く夜の歌」
|
61 |
あきらめてみづからなせど下心ふかく俸給取を蔑まむとす 歌集「多く夜の歌」
|
62 |
雨負ひて暗道帰る宮肇君絵を提げ退職の金を握りて 歌集「多く夜の歌」
|
63 |
スタンドが机におとす灯の円を起ち上がりざま闇に見おろす 歌集「多く夜の歌」
|
64 |
かがやける少年の目よ自転車を買ひ与へんと言ひしばかりに 歌集「多くの夜の歌」
|
65 |
七階の下なる都心たまたまを往来絶えし車道歩道見ゆ 歌集「多く夜の歌」
|
66 |
扱(しご)きつつ新聞を鳴らし配りゆく少年の力を見遁したまふな 歌集「多く夜の歌」
|
67 |
わたくしのおもひを断ちて励みたる一日暮れきぬ七階の部屋 歌集「多く夜の歌」
|
68 |
空ひびき土ひびきして吹雪する寂しき国ぞわが生まれぐに 歌集「藤棚の下の小室」
|
69 |
たちかへる年のあしたに鳥のごと甦りくる知識に遊ぶ 歌集「藤棚の下の小室」
|
70 |
歌止めてゆくをとどめしこと無くて一人二人を常に偲べり 歌集「藤棚の下の小室」
|
71 |
藤棚の茂りの下の小室にわれの独りを許す世界あり 歌集「藤棚の下の小室」
|
72 |
陶のごと肌磨かれし豪州の巻貝を原稿抑へに用ふ 歌集「藤棚の下の小室」
|
73 |
スタンドの明りが照らす小範囲乱るるなかにマッチを捜す 歌集「藤棚の下の小室」
|
74 |
争ひつつ妻と生ききぬ感情は理由(ことわり)よりも複雑にして 歌集「藤棚の下の小室」
|
75 |
あたたかき饂飩食ふかと吾が部屋の前にたちつつわが妻が言ふ 歌集「藤棚の下の小室」
|
76 |
夜もすがら空より聞こえ魚野川瀬ごと瀬ごとに水の激(たぎ)ち鳴る 歌集「藤棚の下の小室」
|
77 |
風かよふ棚一隅に房花の藤揉み合へばむらさきの闇 歌集「藤棚の下の小室」
|
78 |
仕方なく生くるならねど花吹雪身をつつむとき吾が狼狽へつ 歌集「藤棚の下の小室」
|
79 |
「多摩残党ー」と若き一人が叫びにき頷きて聞く残党にてもよし 歌集「藤棚の下の小室」
|
80 |
新しき歌おこすべし先生を蔑(なみ)する若き君らの中より 歌集「藤棚の下の小室」
|
81 |
家の者いまだ目覚めず降る雪に青く濡れゆく庭石の面(おも) 歌集「藤棚の下の小室」
|
82 |
川床に泉の見えて新しき水うごきつつ砂たえず舞ふ 歌集「獨石馬」
|
83 |
冬の夜の長きまにまに良寛の詩や白秋の歌に遊びつ 歌集「獨石馬」
|
84 |
抽出(ひきだし)の一つ一つを整理してわれはゐにけり寂しき朝なり 歌集「獨石馬」
|
85 |
おのづから鬢髪白し大戦も先師逝去も大過去として 歌集「獨石馬」
|
86 |
やや酔ひて前川夫人髭剃れど詰寄りましき肯(がへ)んじざりき 歌集「忘瓦亭の歌」
|
87 |
またたびを食みては昼をウヰスキー飲みつつぞゐる八月十五日 歌集「忘瓦亭の歌」
|
88 |
コスモスの逝ける友らの忌の日増え全て覚えてゆくことできず 歌集「忘瓦亭の歌」
|
89 |
もの書きに妻がもつとも影響を与ふと言ひし正宗白鳥 歌集「忘瓦亭の歌」
|
90 |
秋の正倉院展見たしと昨日言ひゐしが妻立ちゆけり朝暗きより 歌集「忘瓦亭の歌」
|
91 |
頭を垂れて孤独に部屋にひとりゐるあの年寄りは宮柊二なり 歌集「緑金の森」
|
92 |
苦しみて歌つくるわれ楽しみて歌つくるわれいづれぞわれは 歌集「緑金の森」
|
93 |
恥ぢて今日しきりに思ふ友よわが病ひの歌など読み捨てたまへ 歌集「緑金の森」
|
94 |
脳血栓小康といへどわが体かくがらくたになり果てにけり 歌集「純黄」
|
95 |
わが歌は田舎の出なる田舎歌素直懸命に詠ひ来しのみ 歌集「純黄」
|
96 |
犬の世話に出でたる妻の帰り遅く電燈点るわが頭(づ)の上に 歌集「純黄」
|
97 |
中国に兵なりし日の五ヶ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ 歌集「純黄」
|
98 |
わが若く恋ひたる人もはかなけれ二度童子とぞなりたまひたる 歌集「純黄」
|
99 |
妻の背にすがりて臥床へゆかむとし十歩ほどなるその距離遠し 歌集「白秋胸像」
|
100 |
素足にて土を踏みたし霜荒れの昭和六十一年の新しき土を 歌集「白秋胸像」
|
101 |
父の齢(よはひ)に至らざれども良寛の示寂に近し病みつつ我は 歌集「白秋胸像」
|