首塚村

 村井達也は中学校教師である。教師になって五年目である。7月のある日、達也の元に一通の手紙が届いた。大学時代の親友の中村康太からであった。
 内容は次の様であった。

 前略、達也。助けてくれ。俺は今、山奥の温泉旅館の婿養子となっている。どうもこの村はおかしいんだ。この村に来てくれ。詳しくはその時に話す。だが、見知らぬ旅人として旅館に来てほしい。一生のお願いだ。
          
                      7月21日
                                              中村康太

 手紙と一緒に旅館の住所と村への地図と交通費として五万円が入っていた。
 康太は、三年前から音信不通となっていた。大学時代の友人達に訊いても誰も知らなかった。死んだのではないかという者もいた。
 達也は明日から学校が夏休みに入るので、康太に会いに行くことに決めた。
 次の日、上越新幹線で出かけた。2時間ばかり乗り、燕三条駅で降りた。そこからバスに乗り、バスセンターまで行き、またそこで乗り換えて首塚村に向かった。その村へは一日2往復しか出ていなかった。一時間半ばかり乗ると終点の首塚村に着いた。終点まで乗っていたのは、達也一人であった。
 降りる時、運転手が、
「お客さんは、この村の人ではないね」
「ええ、そうですよ。温泉旅館に泊まりに来たんですよ」
「・・・・・・そうですか。それだけならいいんですがね。・・・・・・まあ、気をつけるんですね」
 運転手は何か言いたげであったが、それ以上のことは何も言わなかった。
 バスから降りると道沿いに七八件の家並みが続いていた。人通りは全くなかった。地図を見ると、目的の旅館は下田川の上流の村外れである。村の真ん中を流れている下田川に沿って歩いて行くと「首塚」という看板が立てかけられてある二百坪ほどの広場に出た。看板には、ここは昔、犯罪を犯した者を首切りの刑にした場所であり、その首を見せしめのためにしばらくここに置いたとのこと。これがこの村の名前の由来でもあるそうである。しかし、不気味な名前である。
 そこを過ぎてしばらく歩くと家は無くなり、アスファルトの道がいつの間にかでこぼこ道となり、道幅も狭くなった。本当にこの道でよいのか迷ったが、地図ではこの道しかなかった。しかしこの村に着いてまだ一人も村人に出会っていなかった。こんな山奥に康太はよく婿養子に来たものだなと思った。
 しばらく歩くと30メートルほどの吊り橋があった。温泉旅館はその向こうに見えた。温泉の背後は切り立った崖である。吊り橋を渡るとすぐに旅館の入り口が見えた。橘温泉旅館という看板があった。外はまだ明るかったが、時計を見るとすでに五時近くであった。
 中へ入るとフロントがあり、とても美しい着物姿の女性が立っていた。年は二十七八歳であろうか、色白で、目鼻立ちがすっきりとしており、長い髪を束ねていた。
「あのー、ここに泊まりたいんですが・・・・・・」
「御予約はなされていますか?」
「いいえ、その・・・・・・予約はしていないんですが・・・・・・」
「そうですか、基本的に御予約客しか泊めないんですが・・・・・・」
 するとその時、友人の康太がやって来て、
「お客さん。お客さん。結構ですよ。このまま帰しても町へのバスもありませんでしょうから、お困りになるでしょう。お部屋もありますから、どうぞお泊まり下さい」
 と慌てた様子で言った。
 顔見知りであることはかくして欲しいという様でもある。達也は康太に合わせることにして、見知らぬ旅人として振る舞うことにした。康夫は達也のカバンを持つと二階の部屋に連れて行った。
 部屋に入ると康夫は、
「よく来てくれたな。待っていたよ」
「一体どうしたんだい。あの綺麗なフロントの女性が奥さんかい?」
「ああ、そうだ。詳しい話は後だ。夜、またやって来るよ。いいかい、俺との関係は絶対秘密だよ。いいね。この旅館だけでなく、村の人にも絶対気を許してはいけないよ」
 そう言うと康夫は部屋を出ていった。
 一人になって、周り眺めるとなかなか素晴らしい部屋であった。畳十畳ほどで、日本画が飾られてあり、花瓶には生け花が飾られてあった。よく整理整頓されていた。テレビや冷蔵庫、電話、クーラーも完備されていた。柱も自然木を利用したつやつやとしたものである。窓の外には下田川が流れており、渡って来た吊り橋も見えた。川の向こうは山々が連なり、眺めのいい景色である。
 しばらくするとあの綺麗な女将さんがやって来た。
「ようこそお出で下さいました。お客様、温泉はいつでも入りますので、ご食事の前にでもお入りなさいまし。白乳色のなかなか素晴らしいお湯ですよ」
「ええ、さっそく入りたいと思います」
「所で、お客様、ここに住所とお名前をお書き下さい」
 と言って女将は記入用紙を差し出した。偽名にする必要もないと思ったので、本当の名前と住所を書いた。
「おや、東京の方ですか。それはそれは遠い所からお出で下さいました。所でどうしてこの旅館をお知りになりました。以前にもお泊まりに来たことがありましたかしら?」
「いいえ、初めてです。でもこの旅館はとても素晴らしい感じがしますよ。女将さんも美人ですし、来て良かったですよ。ハハハハハハハハ・・・・・・」
 何となく、探りを入れている様にも思えたので、後は適当に答えておいた。だが、達也にはこの女将さんが怪しい人物とは到底思えなかった。
 女将が部屋から出て行くと、達也は風呂に行くことした。途中で二人ばかりの女中さんとすれ違ったが、若くてとても美しい女性達であった。
(康太の奴、女中さんと浮気し、それがバレて困っているのかな?)
 などと勝手に空想した。
 風呂は田舎の温泉にしてはとても広々としており、壁面は自然の岩で覆われており、露天風呂もあった。しかし誰もお客はいなかった。湯は白く濁り、肌にとてもなめらかであった。露天風呂で外の景色を眺めながら、ゆったりとした気分に浸ることができた。
 風呂から上がり、部屋に戻ると、あの廊下ですれ違った美しい女中さんがやって来て、テーブルに次々と夕食の料理を並べた。
「この旅館の方々は美しい女性ばかりですね。みなさんご姉妹なんでしょうか?」
「いえいえ、そんなことはあまりせんわ。お口のうまいお客さんですこと。オホホホホホホホ・・・・・・」
「いやいや、僕は率直な方です。ご主人はあの番頭さんですか?」
「ええ、そうですよ。とても仲のいいご夫婦ですよ。所で、お客さんは主人を知っているんですか?」
「いえいえ、そんなことはありません。ただ羨ましいと思っただけですよ。あんな綺麗な女将さんを奥さんに持って・・・・・・なかなか東京でもあれだけ綺麗な女性はおりませんね。貴方もそうですが・・・・・・」
「オホホホホホ・・・・・・。ではごゆっくり」
 そう言うと女中は部屋を出て行った。
 料理は山の幸中心であった。焼イワナや鯉の洗い、山菜や熊の肉、マタタビ酒もあった。なかなか街の料理屋では食べられないものであった。食事が終わると例の二人の女中さんがやって来て後かたづけをした。そして布団を敷いてくれた。
「ここには、遊びに行くような所は無いでしょうね」
「お客さん、ここは田舎の温泉旅館ですよ。飲み屋なんてありませんわ。しかし、明日の夜、村の神社の祭りがありますよ」
 そう言って部屋を出て行った。
 まだ眠くはなかったので、布団に寝転びながらテレビを観た。東京で一ヶ月前にやっていたお笑い番組を流していた。
 12時近くになって、康太がひっそりとやって来た。
「よく来てくれたなぁ。感謝するよ」
「久しぶりだな。・・・・・・でも何で困っているんだい。女中さんと浮気でもしたのかい?」
「そんな呑気な話ではないよ。この村人はおかしいんだ。・・・・・・人間ではない」
「そんな馬鹿なことはあるまい。あんな綺麗な奥さんと結婚できて、羨ましい限りだよ」
「あの女も人間ではない」
「では何だと言うんだい?」
「化け物だ」
「・・・・・・康太。何か精神的な悩みでもあるのではないか?」
「いいや、俺はまともだ。しかしこのままではおかしくなってしまうかも知れない」
「話は変わるが、奥さんとはどうやって知り合ったんだい?」
「 今から三年前になるが、俺はこの旅館に泊まりに来たんだ。その時、この旅館の娘と出逢い、一目惚れをしてしまったのさ。それが全ての失敗の元だ」
「相手の女性はどうだったんだい?」
「相手も俺を気に入ってくれたんだと思った。しかし今考えてみると相手は誰でも良かったのかも知れない」
「・・・・・・そんなことはないだろう。相手も気に入ったのだろう」
「まあ、そんなことで結婚したんだが、それ以来この村から出たことはない」
「えっ!?どうしてだ。何時でもバスに乗れば村から出られるじゃないか?」
「それが無理なのだ」
「どうして無理なんだ?」
「ここが化け物の村だからだよ」
「そうかな。普通の村に思えるがね。・・・・・・では、電話をかければいいじゃないか」
「電話は俺は使えない。俺が掛けると何故だか切れてしまうんだ。だから誰にも連絡ができないんだ」
「なら、俺に手紙を書いたように警察にでも手紙を書けばいいじゃないか」
「警察は信じちゃくれないよ。また書いたとしても、警察には届かないさ」
「えっ、どうしてだい?」
「バスの運転手も郵便屋も、みんなあいつらの仲間だ。俺からの手紙は調べられているらしい」
「では、どうやって俺に手紙を書くことができたんだ?」
「この旅館の泊まり客に頼んだのださ。村を出たら投函してくれってね。誰に書こうか迷ったんだが、君の顔がまず浮かんだんだよ。君なら来てくれそうに思えたしね」
「信じられない話だなあ」
「・・・・・・確かに信じられないだろうね。・・・・・・明日、この村の神社のお祭りがある。その時、証拠を見せることができるよ。・・・・・・それからいいね、俺以外、気を許してはいけないよ。君のことを少し疑っているようだからね。恐らく見張っている者がいるかも知れない」
「・・・・・・分かった。気をつけることにしよう」
 康夫はひっそりと部屋を出て行った。
 達也は康太の言うことを信じてはいなかったが、何かがあるのだろうとは感じた。丁度その時、窓から誰かが覗いているような気がした。窓を開けて下を覗くと誰かが去っていく姿が見えた。着物を着ているようであった。しかし、ここは二階である。この部屋を覗ける筈はなかった。
 寝る前にもう一度風呂に入ろうと思い、露天風呂に行った。やはり誰もいなかった。ゆったりと風呂に入ったが、最初の時とは感触が違っていた。暗闇の彼方に動物の眼らしいものが光って見えた。しかしすぐに消えてしまった。これも私を見張っているのであろうか、などと思ったりもしたが、そんなことはないだろうと思い返した。
 風呂から上がり、すぐに寝た。
 次の朝、窓からの朝陽で目が覚めた。窓を開けると彼方の山々が青々として美しく見えた。しばらくして女中がやって来て、布団を畳んでくれた。
「あのー、この村には何か見物するような所はありますか?」
「いやー、ここはひなびた温泉地ですから、東京のお客さんが喜ぶような所はありませんよ。でも釣りはできます。イワナや鮎も釣れますよ」
 朝食を食べた後、まず、村の見学をすることにした。何か不審な所があるか探るためである。フロントに行くとお客が何人かいた。泊まり客は自分だけでないことに少し安心した。
「少し村を散歩してきます」
 とフロントの女将に言った。
「ええ、分かりました。でもお気をつけて下さい」
「えっ!?気をつけるようなことがあるんですか?」
「いいえ、ありませんが、村人は見知らぬ人に警戒心を持っておりますので・・・・・・」
 外に出ると、康夫は庭で草取りをしていた。達也を見て、見ぬ振りをした。達也は吊り橋を渡り、村に向かった。途中で何人かの村人に出会ったが、別に怪しい感じはしなかった。しかし、女性はとても美しかった。どうしてこんなに美しい女性ばかりいるのかがとても不思議である。この村に伝わる遺伝的なものが関係しているのかなとも思ったりした。
 首塚辺りに来ると太鼓の音が山の方から聞こえて来た。その音の方に歩いて行くと川の向こう側に大きな崖があり、その上に神社が見えた。その神社から太鼓の音が響いていた。
川には橋があったので、それを渡り、くねくねと続く山道を上って行った。しばらくすると神社が見えてきた。なかなか大きな神社であった。神社の前には大きな幟が幾つも立ててあった。お祭りの様である。鳥居をくぐると巫女の服装をした若い女性がこちらへやって来た。眼がぱっちりとしており、面長ですらりとして健康的な美人である。あの女将よりも美しく思えた。自分の好みの女性である。
「どちら様ですか?村の方ではないようですが・・・・・・」
「ええ、ただの旅の者です。この村の橘旅館に泊まっています。太鼓の音につられてここまでやって来ました。」
「そうですか。ここに来るのは村人ばかりで、よその方はほとんど来ることがありませんのよ。今日はお祭りですので、お参りしていってください。お酒も用意してありますので・・・・・・」
 そう言うとその巫女は神社へと案内してくれた。とても愛想のよい女性である。村人はよそ者には不親切かと思ったが、なかなかどうして親切である。達也はその女性が気に入ってしまった。神社の中には十人ばかりの年寄りがいた。忙しそうにくだものや野菜などを大きな神棚に並べていた。達也の顔を見ると最初、いぶかしげな顔をしていたが、巫女が紹介するとにこやかな顔となり、酒を勧めてくれた。勧められるまま、何杯か飲んだ。
とても美味しい酒であった。
「所で、どうしてこの村に来なさったんじゃ」
 と、一人の年寄りが訊いた。
「ええ、友・・・、いや温泉が好きでしてねえ。この村には素敵な温泉があると聞きましたのでここに来たんですよ」
「そうかねえ。この温泉はほとんど知られていないと思うんだがねえ」
「ええ、知られていませんが、友達の温泉マニアから訊いたんですよ。彼はとても詳しいんです。日本中の温泉のことは知ってるんですよ。・・・・・・おや、もう昼ですか。長居をしてしまいました。これで失礼いたします」
 達也は村人と巫女にお礼を言って神社を後にした。とても純朴で親切な村人ばかりに思えた。しかし、反面、自分のことを探っているようにも感じられた。
 旅館に帰ると昼食を食べた。午後から何をしようか迷ったが、釣りに出かけることにした。釣り竿を旅館の方から借りて、吊り橋の下で釣りをした。魚は見えるのであるが、なかなか釣れなかった。しばらくすると後ろの茂みから康夫の声が聞こえてきた。
「達也、後ろを振り向くな。釣りを続けてくれ。・・・・・・このままの姿勢で話し合おう」
「・・・ああ、いいよ」 
「今日は村にある賀茂神社のお祭りだ」
「ああ、午前中に行ったよ。別に怪しい感じはしなかったが・・・・・・」
「ああ、そうだよ。俺も最初はお前と同じように感じた。だが、あの神社には別の顔がある・・・・・・」
「どんな顔だ」
「神社の本当の祭りは深夜行われる。村中の人達があそこへ行くんだ。その時、彼らの本当の姿を見ることができるよ」
「えっ、本当の姿だって!」
「そうだ」
「その姿とは一体どういうものだ?」
「それは実際に確認した方がいい。自分の眼で見なければ決して信じられないよ」
「分かった」
「所で、村を見学してきたんだろ。何か気づいたことはなかったかい」
「そうだな。全体に怪しい所はなかったが、この村で出会った女性が全て美しいことが不思議と言えば不思議だ」
「お前もやはり気づいたか。ここには美人しかいない。それもいろんなタイプの美人だ。よく探せば自分好みの女性を見つけることができる。・・・・・・所でお前、この村の女性と親しくなったか?」
「まだ来たばかりで親しくなる女性もいないが・・・・・・、そうだな、神社の巫女さんには親切にしてもらったぞ。俺好みの女性だったな」
「・・・・・・そうか、お前は気に入られたんだな。それは不幸なことだ」
「どうして不幸なんだ」
「とにかく、夜は部屋でおとなしくしていてくれ。迎えに行くからな。それではこれで失礼する」
 そう言うと康夫は茂みから居なくなった。
その時、丁度釣り竿にイワナがかかった。3時間ねばって一匹釣り上げることができた。その一匹を女将に頼んで夕食に調理してもらうことにした。イワナを食べながらこんな村なら長く住んでもいいと思えるようになった。
 夜、露天風呂に入っていると、あの神社から太鼓の音が風に乗りかすかに聞こえてきた。祭りは夜まで行っているようだった。しかし、九時頃には静かになった。
 深夜、康太が部屋にやって来た。
「準備はいいかい」
「ああ、いいよ」
「では、達也、電気を消してくれ。そして窓からそっと外を覗いていろよ」
康太にそう言われて外を覗いていると、しばらくして女将や女中、板前などが玄関を出て行った。みんな無口で幽霊のような歩き方だった。
「みんなは何処へ行くんだ?」
「あの神社へ行くんだよ。年に一度の祭りだ」
「お前はどうしていかないんだ?」
「まだ仲間ではないんでね。さて、我々も行ってみることにしよう。呼ばれてはいないけどね」
 そう言うと康夫は達也を連れて、ひっそりと後を付けることにした。首塚辺りに行くと多くの村人が神社に向かって静かに歩いていた。
「もう少し隠れていよう。村人に見つかるとまずいからな」
 と康夫が言った。
 二人は木々の茂みに、みんながいなくなるまで隠れていた。
「さて、出かけることにしよう」
 二人はひっそりと神社に向かった。山道を上り、鳥居の所まで来た。鳥居の脇の大ケヤキの下に隠れた。神社の広場にはたくさんの村人が集まっていた。みんな正座して本殿の方を向いていた。誰もしゃべる者はいなかった。
 どれくらい経ったであろうか。突然、太鼓が響き、本殿の扉が開いた。中から神主らしき人物が現れた。よく見ると女性である。それも若い・・・・・・。
「あの人物がこの村の主だ」
「一体どんな人物なんだ?」
「昔、この地域を支配していた一族のお姫様だ。あの首塚で処刑されたそうだ。恨みを残してね。・・・・・・首がはねられた時、首が宙を舞ってこの神社に落ちたそうだ。それ以来、この村はあの女に支配されている。・・・・・・もう少し見ていろよ。おもしろい物が見られるから・・・・・・」
 神主はしばらく祈祷をあげていたが、突然、持っている棒らしきものを左右に大きく振ると、正座している村人たちの体が左右に揺れ始めた。そして、首がゆっくりと伸び出した。一メートル、二メートル、三メートルと伸びて行き、ゆらゆらと頭が揺れていた。
「げっ、ろくろ首ではないか!」
「そうだ。この村は、ろくろ首村だ。どうだ。信じることができただろう」
「お前の奥さんもそうなのか?」
「もちろんそうだ。みんなそうだ。違うのは、旅館の客と俺とお前だけだ」
「では逃げることにしよう。・・・・・・でもどうやって逃げたらいいんだ?」
 するとその時、神主がこちらを指さし、
「お前達、出てきなさい」
 と大きな声で叫んだ。
 ろくろ首達はみんなこちらを振り向いた。
「げっ、ばれたぞ。逃げよう」
 と達也は康太に言った。二人は急いで山道を下った。ろくろ首の首だけが何百とにょろにょろと追いかけてきた。みんなとても怖い顔である。山道を下り、橋を渡る頃には首達は追いかけて来なくなった。首にも伸びる限界がある様である。二人はとにかくこの村を脱出することに決めた。二人は下田川に沿って続いている道を走り続けた。しばらくすると村外れの地蔵堂までやって来た。
「おい、疲れた。しばらく休もう」
 と康太はその場に横になり、ぜいぜいと息を吐きながら言った。
「呑気なことを言ってるんじゃない。こんな所で休んでいたら、捕まってしまうぞ。とにかく走り続けよう」
「いいや、俺は駄目だ。この村に長く居すぎたようだ。・・・・・・俺も化け物になりそうだ」
康太は両手で頭を押さえながらそう言った。見ていると康太の首が左右に揺れ始め、少しずつ伸び始めた。
「げっ、康太。お前もろくろ首になったのか!?」
「どうもそうらしい。達也、早く逃げてくれ。この村のことは忘れてくれ」
「そうか。俺は逃げるよ。康太、元気で暮らせよ」
 達也はそう言うと、一生懸命走り続けた。どれくらい走り続けたかは分からないが、東の空がだんだんと明るくなり、所々に家々が見えるようになってきた。そして隣の村まで逃げることができた。バス停があったので、そこからバスに乗り、燕三条駅まで行った。財布はポケットの中にあったので、切符を買い、東京に帰ることができた。
 一週間ばかりして、橘旅館から達也のバックなどが送られてきた。女将からの手紙が添えられてあった。失礼があったとしてお詫びの言葉と共に、またお出で下さいと書かれてあった。もうあの村へ行くことは決してないだろうが、康太は元気でやっているのかが心配であった。
 四月になり、転勤の時期となった。達也は今の学校に残ったが、新しく採用された女の若い教師が一人やって来た。その女性の顔を見て驚いた。あの巫女にそっくりであった。その女教師は、達也の学年に配置され、達也に挨拶した。
「あの節はお世話になりました。どうぞ村井達也先生、ご指導宜しくお願い致します」
女教師は、あの時のように健康的で、とても美しかった。

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