帰って来た教師
昭和十八年頃の話である。ある田舎の小学校に若い教師が赴任していた。その教師は坂田先生といい、子供たちにも村人にもとても好かれていた。先生は学校の敷地にある用務員室に寝泊まりしていた。まだ若いので給料も安く、ついでに用務員も兼ねていた。
先生は晴れた日などにはよく裏山で青空学級を開いた。子供たちの詩を朗読する声や子供たちが歌う歌は村の田畑や山々に響き渡った。戦時中ではあったが、この村には敵の飛行機が飛んで来ることもなく、まだのんびりしていた。
また、日曜日などには子供たちがよく遊びに来ていた。将棋をしたり、竹とんぼの作り方を教えたりしていた。また先生は酒が大好きで飲み過ぎて寝坊することもよくあった。
「飲んべえ先生、もうすぐ一時間目が始まるよ。早く起きないと校長先生に叱られるよ」といって子供たちが用務員室に呼びに来ることもあった。
さて太平洋戦争も激しさを増し、坂田先生にもついに赤紙が届いた。先生も戦場に行くことになった。先生は学校の敷地内に住んでいたので、学校から送り出すことになった。全校の児童がグラウンドに集まり、日の丸の旗を振って送り出した。村人もたくさん見送ってくれた。
「僕はこの村が大好きです。この子供たちが大好きです。必ず帰ってきて、再び教壇に立ちたいと思います」
そういって先生は、子供たちの振る日の丸に見送られて、校門から出征していった。
しかし戦争が終わっても先生は帰ってこなかった。何年かして先生は満州で戦死したという死亡通知が学校にあった。坂田先生の両親はすでに死亡しており、兄弟などの身内もいなかったので、校長先生が簡単な葬式を出してくれた。小さなお墓も村の寺の境内に立ててくれた。
それから三十年が過ぎた。木造校舎も古くなり、鉄筋コンクリートの校舎に立て替えようという計画があり、夏休みに古い校舎を取り壊すことになった。
七月のある暑い日のことである。男の三十過ぎの木村先生が学校に一人残り、仕事をしていた。七時頃であろうか、そろそろ帰ろうと思い、学校の見回りをした時のことである。薄暗い玄関にある若い男が立っていた。木村先生を見ると敬礼をした。彼は兵隊の服装をして無精ひげを生やしていたが、態度ははきはきしていた。
「あのう、どちら様でしょうか?」
「はい、私は坂田と申すものです。以前ここの教師をやっていたました。今、満州から帰ってきました」
「あっ、そうですか・・・・・・」
「失礼します」
そういうと若い男は、学校に入り教務室にすたすた向かった。
木村先生は最初困惑したが、あまりにもその男がはきはきとしていたので、それほど怪しい人物でもないように感じたので、教務室に入れた。教務室の後ろのテーブルに座ると昔話を始めた。その男は学校のことをよく知っており、たしかに以前、学校の関係者であるらしいことは理解できた。校長先生は元気ですかという話になったが、その名前は分からなかった。それで先生は昔の資料を校長室の金庫から持ってくることにした。
「しばらくここで待って下さい。昔の資料を持ってきますから」
そういって木村先生が資料を持ってくるとすでにその男はいなかった。先生は学校中を探したが、その男はついに見つからなかった。玄関にもその男の靴はなかった。恐らく帰ったのだろうと先生は思った。
木村先生は、教務室で昔の資料を調べることにした。そして坂田という先生が昭和十八年の夏にこの学校から出征していったことを見つけた。坂田先生の履歴書に写真が貼り付けられてあったが、あの人物とそっくりであった。三十年経ったとはとても思えなかった。 ふと気が付くと十時を過ぎていた。木村先生は家に帰ることにした。そして玄関にカギをかけて学校を出ようとすると二階の六年生の教室の電灯が付いていることに気が付いた。先生はカギ開けて急いで六年生の教室に向かった。
教室の前に来ると男性の声が聞こえてきた。何だろうと教室の後ろのドアからそっと中を覗くと、あの坂田先生が授業をしていた。また何十人もの子供たちが席に座っていた。男の子たちはくりくり坊主であり、昔の服装をしていた。授業は社会科であった。木村先生はしばらくその授業を聞いていた。戦争の悲惨さ、無意味さを坂田先生は満州における自分の体験談を含め、しみじみと語っていた。
「それで私の授業は終わります。みなさんお元気で」
そういうと坂田先生は礼をした。日直の子供が起立、礼といい、その授業は終わった。 木村先生は久しぶりに良い授業を聞かせてもらったと感じた。それで坂田先生にお礼を言おうとして教室の後ろのドアを開けたとたん、誰もそこにはいなかった。電灯がこうこうと付いているだけだった。坂田先生も子供たちもすでにどこにもいなかった。
『おや、どういうことだろう。自分は夢をみていたのだろうか』
木村先生は不思議な気分におそわれた。今までの出来事は一体何だったのだろう。ただの夢とはとうてい思われなかった。あまりにも現実感があったのである。あの授業もまだ耳に残っていた。
木村先生は電灯を消して帰ることにした。玄関のカギをかけて振り返ると学校は静かなままであった。
次の日、昨日の出来事を校長先生に話そうかと思ったが、誰も信じてくれないと思ったので、言わなかった。それに私自身が変だと思われかねないと感じた。だが、このままでは納得できないので、昔の資料を基に調べてみることにした。
その当時の校長先生はまだ生きていた。九十歳近かったが、三十年前のことをはっきりと覚えていた。そして坂田先生がどういう先生であったかもよく分かった。木村先生があの夜の出来事を元校長先生に話した所、その先生は信じてくれた。
「たしかに出征する時、子供たちに向かって再び教壇に帰ってくると言っていましたからねえ。約束を守ったのでしょう」
木村先生は自分のクラスの子供たちに、坂田先生のことをその夜のことを含めて話して聞かせた。驚きながらも多くの子供たちは信じてくれた。
そして木村先生は社会科の時間に坂田先生から聞いた戦争の悲惨さ、無意味さをそのまま話して聞かせたのである。
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