鯉と詩人
ある村に松林に囲まれた小さな沼があった。ある春の昼下がり、一人の男がやって来て釣りを始めた。その男は釣糸をたらすと横になって帽子を顔にかぶせ、寝てしまった。どれくらいの時間が過ぎたであろうか。
「おい、そこの男、目をさませ! 」
という声が沼の中より聞こえてきた。
その声に男は目をさました。そして声のする方を眺めると、一匹の大きな鯉がいた。
「あなたですか、私に声をかけたのは?」
「そうだ。おまえはここで釣りをしているのだろう?だったらもっと真剣に釣りをしたらどうだ」
「どうして真剣でないといい切れるのですかな?」
「おまえは針に餌をつけていないだろう。どうして餌なしで魚が釣れると思っているのだ」
「たしかに餌をつけておりません。しかし私は間違いなく釣りをしているのです」
「では何を釣ろうとしているのだ?」
「あはははは、魚に話をしても分かることではないですな」
「おまえは私を魚だと思って馬鹿にするが、私はこの沼の主であり、何百年も長生きをしている。それでこのように人間の言葉も理解できるようになったのだ。へたな人間よりは物事を知っているつもりだ」
「そこまで言うのならお話しましょう。たしかに私は釣りをしているのです。ですが沼だけに釣り糸をたらしているのではありません。私の頭の中にはこの沼よりもずっと大きな湖というものがありましてな。そこでも釣りをしているのですよ」
「おもしろいことを言う男だ。ではその湖とやらには何がいるのだ。亀でもいるんであろう?」
「何がいるのか私にもよく分かりません」
「あはははは、何を釣っているのか分からないとはおかしな話だ。わしは今までいろんな釣り人を見てきたが、おまえのようにいいかげんな釣り人はいなかったぞ。釣りに来た以上、真剣に釣ろうとすることが魚に対する礼儀というものであろう。釣道をもっと学んだらどうだ」
「釣道ですか。どうも私は道がつくものは嫌いなんですよ。たしか昔の詩人が言っていましたが、道なんてものは自分が歩いて作るもんですよ」
「自分で歩いて作るか・・・。ところで、おまえは何者だ?」
「これはこれは失礼しました。私は詩人と申す者です」
「詩人?ああ、あのくだらなぬ言葉をつなぎ合わせて喜んでいる連中のことか。ところで詩で飯が食えるのか?」
「三流詩人ならともかく、私のような一流詩人はとてもじゃありませんが飯は食えませんね」
「ではそんなつまらないことをやっていないで、金儲けのことでも考えていた方が良いではないか?詩人は世間が考えているほど愚かな人間ではあるまい。真剣に金儲けのことを考えたらすばらしい考えが思い浮かぶのではないのか?」
「いや、詩人の頭は生まれつき金儲けのことが考えられない仕組みになっているようですよ。世間の言うことはあながち嘘ではないと思います」
「それは哀れなことだ。詩人は生まれつき不幸な人間らしい」
「あはははは、あなたは鯉のわりには現実的な考え方をするんですね」
「それが悪いことなのか?」
「いえいえ、決して悪いことではありません。現実的に考えることは、りっぱな人格にとって重要な要素です。だが鯉はもっと夢のある魚だと思っていました」
「なぜそんな風に思ったんだ?」
「あなたの仲間に鯉のぼりという鯉がいますが、私が小さい頃、その背中に乗せてもらい、いろいろな所に連れて行ってもらったことがあります。ピラミッド、凱旋門、自由の女神、万里の長城、アンコールワットなどなど、今でも目に焼きついて忘れることができません」
「ふーん。そんな鯉がこの世の中にいるとは知らなかった」
「あなたのように人間の言葉を話せる鯉がいるのですよ。空を飛べる鯉がいたってちっとも不思議なことではないでしょう」
「たしかに道理ではある。しかし・・・・・・」
「おや、もうこんな時間か。今日はとても楽しいひとときを過ごすことができました。あなたのような大きな教養を釣ることができてとても嬉しかったです。では帰ることにしましょう。私の帰りを待っている六畳の空間がおります。」
「待て待て、わしからもっと言っておきたいことがある」
「ではでは、さようなら。今日の後には明るい明日がやって来るのです。今日の楽しみは今日すべて味わう必要はありません。明日になれば発酵し、さらにおいしくなるでありましょう。さよならは再会への口づけです」
そう言うと詩人は帽子を被り、釣り竿を持ち、去っていった。鯉は大きく跳ねると沼に潜っていった。
つづく
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