鯉と詩人 その12
小雨の降る昼下がりだった。傘を差した詩人が沼にやって来た。水面には水輪がたくさん広がっていた。詩人は傘を差しながらいつものように釣りを始めた。するといつものように鯉が水面に姿を現した。
「詩人よ、こんな小雨の降る日でも釣りをやるのか。よほど釣りのスタイルが好きなんだな」
「今日は鯉さんに話を聞いてもらいたくて来ました」
「えっ!? どんな話かね。深刻なことかな?」
「いいえ、深刻な話ではありません。実は親戚のおじさんからお見合いを勧められて、してみたんですよ」
「お見合いとは何だ?相撲のにらみ合いの一種か?」
「少し違いますね。お見合いとはですね。第三者の紹介により男女が結婚を前提として出会い、気に入ればそのままおつき合いするというものですよ。これは昔からある日本独自のもので、努力しなくても伴侶が得られるシステムなのですよ」
「うーん、そんなシステムを考え出すとは昔の日本人は偉かったんだな。だが、見合いなんてものは詩人には似合わないであろう。よくしたものだな」
「ええ、これも文学勉強の一環だと思ったのです。またおじさんが持ってきた見合い写真はとてもできのいいもので、今振り返ってみると虚偽の美しさが漂っておりました。あそこまで合成技術が発達しているとは思いませんでした。でも私は容姿で女性を判断する方ではないので、それほど気にはしませんでした」
「お見合いをしてどうだった?」
「聞きたいのですか?」
「何を言う。それを話すためにここに来たのであろう。早く話を進めなさい」
「ええ、それでは話します。それは日曜の昼下がりでした。ある一流料亭の八畳ほどの畳の部屋でそれは行われたのです。その部屋は別名、お見合いの部屋とも言われておりまして、晴れている日でも屋根から雨を降らせることができるのですよ。料理の器は一流でした。料理は精進料理風でしたね。私は坊主ではないので、いま一つでしたね」
「そんなことはどうでもよいであろう。肝心の相手はどうだったんだ?」
「ええ、こんな会話をしました」
そう言うと詩人はお見合いの話を始めた。
詩人『初めまして、ぼくは詩人です』
女『えっ! まあ、流行歌の作詞なんかもやっているのですか。とてもすてきですね』
詩人『いいえ、流行歌などの詩は書いていません。ぼくの詩は音楽とは調和しません』
女『それでは生活できないでしょう。詩だけではお金にならないでしょう。流行歌の作詞家にでもなればよろしいのに』
詩人『ぼくは流行歌は好きではありません。それは文学ではありません。あえて言うなら通俗詩です。ぼくは詩では食えませんが、イラストレーターとして生計は立てております』
女『まあ、ちゃんとしたご職業をお持ちでいらっしゃるのですね。最初、詩人なんて言うから驚いてしまいましたよ』
詩人『イラストを描いて生計は立てていますが、本業は詩人です。ただ本業では食えないということです』
女『その本業ではいつ食えるようになるのですか?』
詩人『それは永遠にないでしょう。過去の一流詩人たちはほとんどそうです。そんなものです』
女『それでは本業とは言えないのではないですか。趣味なのではありませんか』
詩人『私は趣味で詩をやってはおりません。私の詩は純粋なる文学です。お金のような汚れた価値とは比較にならないのです』
女『少し話が難しくてよく分かりませんわ。他の話をしましょう。詩以外にどんなご趣味をお持ちなんですか?』
詩人『さっきから言っておりますが、詩は趣味ではありません。本業です。趣味なんてものはありません』
女『・・・・・・』
詩人『どうです。お見合いの結果は、ここで結論を出しましょう。あなたはぼくとおつき合いする気がありますか?』
女『そういうことは第三者を通してお伝えすることではないでしょうか』
詩人『ぼくはまだるっこいのは嫌いなんです。ここで結論を出しましょう』
女『あのー、私のようなものでは、あなた様の話相手にはならないと思います・・・・・・』
詩人『・・・・私もそう思います。ではこれで永遠に失礼します』
「そう言って帰ってきましたよ。それにしても失礼な女でした。詩を流行歌ぐらいにしか考えていないのですから」
「うーん、流行歌の詩人の方が偉く見えるのは仕方のないことではないのか。詩人のような詩は一般大衆には何の影響も与えてないではないか。影響を与えられないものが何で偉いといえるのかね。それにしてもその女より詩人の方が失礼ではなかったろうかと思うがね」
「純粋なる文学に対する侮蔑は、最も失礼なことです。それも一般大衆の女にですよ! 」
「一般大衆の女とそうでない女との違いがよく分からんな」
「違いなんてありません。全て一般大衆の女ですよ! 」
「そんなことを言うでない。全世界の女性を敵に回してしまうぞ。それにしても今日の詩人はえらく偏向しているのだな。だからいったであろう。詩人にはお見合いなんてものは似合わないのだよ。それにしても詩人はどんな女性が好みなんだ。まさか雪女のような女性というんではないだろうな」
「人間の女は嫌いです。雪女の方がよっぽどましです」
「今度雪女に会ったら、詩人のことを伝えておこう」
「ええ、そうしてください」
そう言うと詩人は釣り竿を持ち、帽子を被り、帰ろうとした。小雨はすでに止んでいた。
「詩人よ、傘を忘れるでないぞ」
「女より大切なものですからね。忘れませんよ」
そう言って詩人は帰っていった。遠くで初夏の入道雲が赤く夕映えていた。
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