鯉と詩人その13
                                              
 
 夏の日差しがまぶしい昼下がり、詩人はいつものように沼にやって来た。そしていつものように釣りを始めた。するといつものように鯉が現れた。
「詩人はもう夏だというのに長袖なんだな。そろそろ衣替えの頃ではないのか?」
「私には衣替えなんていう概念はないんです」
「えっ!? 日本全体に衣替えという風習がはあるのではないのか?」
「私は暑さ寒さで行動する人間ではありません。真冬でも靴下なんて履きませんし、真夏でも団扇で過ごしています。クーラーなんて使いませんよ」
「我慢強いということと衣替えをしないということは少し違うのではないのか?」
「似ているようなものですが、やはり少し違います。私は我慢強い人間ではありません。しかし長袖が好きなのです。私のタンスには半袖シャツは一枚しかありません。衣服をこの二三年買っていないような気がします」
「それは不潔ではないのか?」
「いえいえ、こまめに洗濯機が洗ってくれます。下着も二三日に一回は着替えていますよ」
「下着は毎日着替えるものではないのか?」
「そんなことはないでしょう。独身男ならそんなものです」
「やはり詩人は少し不潔なのではないのか?」
「そんなことはないでしょう。日本の独身男の標準でしょう。そんなことをいったら、鯉さんはどうなんです。着替えるなんてことはしないでしょう」
「わしは鯉であるから着替えるなんてことはしない。裸で毎日過ごしているよ。それが自然であろう。服を着た鯉なんて詩の世界だけであろう」
「いえいえ、詩の世界でも鯉は鯉です。サングラスもしませんし、煙草を吸いませんね」
「そうであろう。人間以外の生き物には着る習慣はないよ。だが衣替えは文化なのではあるまいか。その文化を否定するということは、知性を否定することにもつながっているのではないだろうか?」
「合わぬ文化や価値観は否定してもよいのです。それらを否定することから新しい文化や新しい価値観の創造が始まることがあります」
「そう言えば新しい価値観を認めようとしない頑固者が過去におったな」
「それは誰ですか?鯉さん」
「乃木大将とかいっておったな。実に古い価値観で凝り固まった男であった」
「乃木希典大将は明治天皇にとても好かれた方で、たしか明治天皇の崩御に従って奥さんと殉死した方です。切手にもなっていますよ」
「えっ!奥さんを道連れにしたのか。それは惨い」
「その乃木大将がどうしたのですか?鯉さん、話してくださいな」
「そこまでいうんなら話してあげよう。その乃木という人物が今から九十年ほど前にこの沼に来たことがある。立派な髭を生やしていたな。その老人は詩人が座っている辺りで、号泣しておった」

鯉『おい、そこのご老人。何故そんなに泣いているのだ?』
乃木『そちは誰だ?』
鯉『わしはこの沼のぬしである。何百年も生きている鯉である』
乃木『それでは鯉の大将ということだな?』
鯉『まあ、そういうとこにしておこう』
乃木『わしは乃木希典という者である。日本陸軍の大将である』
鯉『その大将が何故こんな所で泣いているのだ?』
乃木『わしは大将である。わしの作戦で何千人もの兵士を日露戦争で死なせてしまったのだ。その時は泣くことはなかったが、こうして一人になった時、つい泣けてくるのだ。それにわしを可愛がってくれた天皇陛下がご病気なのである。何とかよくなってほしいと思うのである。もし陛下が崩御なさったら、わしも従うつもりである』
鯉『従うとはどういうことだ?』
乃木『付き従って殉死するということだ。陛下あってのわしである。陛下の時代が終わればわしも終わりである。新しい時代に生きようとはおもわん。それに多くの兵士を死なせてしまった。責任を最後に取るべきであろう。それが武士のあるべき姿であろう。生きながらえて老衰で死ぬ気は毛頭ない』
鯉『あなたは武士ではあるまい』
乃木『いいや、わしは武士である。時代が変わっても武士そのものもである。武士の時代はたしかに終わったが、それはうわべだけのことだ。明治はまだ武士の精神が生きておる。わしは武士のままで死にたいのだ。武士は死ぬ理由と死ぬ方法が重要である。ずっとそのことばかり考えていたのだ』
鯉『その理由と方法は見つかったのか?』
乃木『見つかっておる』
鯉『あえて聞かないが、立派な最後なのであろう』
乃木『それではこれで失礼する』

「そう言って去っていったな。それにしても妻を道連れにしたとは思わなかったぞ。道連れとはひどい話だ」
「昔は夫婦一体という考え方が支配していましたから、妻も自分の一部であると考えていたのでしょう」
「詩人よ、 夫婦一体という考え方は、今の人間世界でも生きているのか?」
「死んでしまった考えです。また無理心中はありますが、合意の上で死ぬことはどんなに仲のいい夫婦でもほとんどありませんね」
「良いことなのかのう?」
「ええ、民主主義の世の中にとっては良いことです」
「詩人は、そんな考え方は好きではないのか?」
「好き嫌いというよりも古い考え方です。夫婦といえども他人だった二人です。縁あって結婚したとしても、所詮他人なのですよ。だから離婚する夫婦が現在、とても増えています」
「離婚は増える一方なのか」
「だから最初から結婚しなければ良いのです。結婚しなければ離婚もありませんし、子供を悲しませることもない訳ですから」
「悲しい考えだのう」
「人間は本来、孤独なものです。その孤独を楽しむ術を身につけるべきでしょう」
「その術も悲しいものではないか」
「ええ、悲しいものです。その悲しみも背負って生きていかなければならないと思います」
「詩人は、本来楽天主義者ではないのか。悲観主義者ではあるまい」
「ええ、私は楽天主義者です。しかし楽天主義と悲観主義は表裏一体なものなんですよ。悲観的な世の中をいかに楽天的に生きていくかが大切なんですよ」
「楽天主義者の悲しい詩人よ。それを詩にしたらどうだ。」
「私は理由を否定した詩を作る詩人です。だから真の詩人なんです」
「よく分からんが、がんばりたまえ」
「かんばる感覚は好きではありませんが、まあ最善は尽くしましょう」
そう言うと詩人は帽子を被り、竿を持って帰っていった。鯉は一跳ねすると沼に潜っていった。油蝉が沼を取り囲む松林の中でうるさく鳴いていた。

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