鯉と詩人その19
                                        

 次の日、いつものように起きたらすでに、雪江が朝食の準備をしていた。朝食を食べながら、今日一日のことを話し合った。
「そうだ。雪江さん。私はまだ貴方との約束を果たしていませんでした。この町の旧所名跡を紹介することになっていましたね。今日行きましょう。この町は古くからの城下町ですから、雪江さんの興味のありそうなものがたくさんありますよ」
「ええ、でもお仕事はどうなさるんですか?」
「大丈夫ですよ。帰ってきてからやります。私は夜型なので昼間は仕事ができないんですよ」
「そうですか。ではお願いします。所で、詩人さんは昼間はいつも何をなさっているんですか?」
「そうですね。・・・詩・・・いや、ごろごろしていますよ。はははははは・・・」
「それではお体によろしくありませんわ。お仕事も昼型に変えていった方が良いかも知れませんわね」
 このまま少しずつ自分の生活が変わっていくのだろうかと詩人は思ったが、二人で生活するのであるから、仕方のないことなんだろうとも思った。以前の詩人なら他人に干渉されるのをとても嫌がったが、素直に受け入れられるようになっていた。
 さて、二人は家を出て、徒歩でいろんな所に行った。お城山、武家屋敷、大名の庭園、代官屋敷、それに記念館などである。歩き疲れて詩人は足が少し痛くなってしまったが、雪江は全く平気な様子であった。
「雪江さんは丈夫なんですね」
「ええ、私は田舎育ちですから、小さい頃はよく野山を歩いていましたよ。足には自信があります。詩人さん、もう帰りましょう。詩人さんが疲れてしまったら、お仕事に差し支えてしまいますわ」
 それで帰ることになった。家に着くとしばらく休んでから仕事をすることになった。まず詩人が童話の挿し絵を描き、周囲の色などは雪江が塗ることになった。雪江の仕事はゆっくりではあるが、とても丁寧であった。頼まなくてもコーヒーなどを入れてくれ、とても助かるアシスタントであった。
仕事はとてもスムーズに進行した。雪江はほとんど仕事の方針に口を出すこともなく、言われたことを忠実に実行してくれた。しかし、雪江の色彩感覚は優れたものであった。ひょっとすると才能があるかも知れないと詩人は感じた。だが、雪江はアシスタントに徹してくれた。
 そのような日が四五日過ぎたが、だんだんと詩人の仕事は昼型に移ってきた。雪江が無理にそうさせたのではなく、そうなってきたのである。だが詩は何も作れなかった。雪江といつも一緒だからである。そして、童話の挿し絵が完成した。約束の期日よりも三日も早くできた。
「ではこれを明日、私が出版社に届けてきますからね」
「ええ、私が行くよりも雪江さんが行ってくれた方が、いいような気がします」
「何故ですか?」
「私が行ってもすぐには仕事をもらえませんよ。私は人間つき合いが下手ですからね。ははははは・・・・・・」
「とても素敵な挿し絵だと思いますよ」
「個性的な挿し絵とは言われますが、素敵とはあまり言われませんがね。雪江さんくらいなものですよ」
「そんなことありませんわ。私は好きですよ」
 雪江は本当にそう思っているようだった。素直な女だと素直に詩人は思った。
 次の日、雪江は出版社に出かけた。やはり次の仕事を貰ってきた。連続で仕事が貰えることは今まではなかった。仕事代金は振り込むとのことであった。何とか今月の雪江の給料は支払うことができそうに思えた。
「それはそうと、詩人さんの本棚には絵画の本よりも詩歌の本が多いように思いますけれど、きっと素敵な詩を書くんでしょうね」
「ええ、まあまあですね・・・・。所で、雪江さんは詩を読むことがあるんですか?」
「はい、読みます。特に金子みすゞの詩は大好きです」
きっばりと雪江は言った。
「みすゞの詩のどんな所が好きなんですか?」
「そうですね。みすゞの澄んだの優しい気持ちが表れている詩が特に好きです。たとえば『大漁』などは特に好きです」
 やはりそうであったか。ますます詩人のシュールな詩は雪江には見せられないと思った。
「その棚に挟まってあるのは、詩人さんの詩集ノートですか?」
「えっ、まあ、そうですかね」
 詩人は雪江の次の言葉が、「見せて下さい」に決まっていると思ったので、連続的にとりとめもないことを喋りまくった。
 雪江は、察知したらくし、見せて下さいとはついに言わなかった。
「詩人さんは、詩を書けるなら童話も作れるんではないですか。自分の絵本を作ったらいかがですか」
 何てことを言うんだろうと、詩人は思った。シュール詩人が童話とは・・・・。今まで考えたこともなかった。
「ええ、そうですね。でも・・・・・」
「いいえ、きっと詩人さんなら素敵な童話が作れる筈です。きっと作れますわ」
 そうきっぱりと言い切った。
「なら作ってみますか」
などと調子のいいことを詩人は言った。そんなことを話しているううちに、雪江は思い立ったように次のことを話し始めた。
「詩人さん、実は私、旅行の途中でしたでしょ。一度実家に帰ってこの町で就職したことを伝えたりしなければなりません。それに必要なものがたくさんありますから・・・・・・。明日、帰らせていただきます。実家は新潟の田舎です。五六日したらまたここに戻ってきます。それまで短くてもいいですので、童話を一つ書いてほしいです。雪江のためにお願いします」
 そう詩人に、雪江は軽く拝むようにお願いした。
「ええ、仕上げます。でも雪江さん。絶対戻ってきてくださいよ」
「ええ、必ず戻ってきますわ。ご心配なく」
などと話し合っているうちに時計が十二時を知らせた。
「では、お休みなさい」
 そう言うと雪江は襖を閉め、いつものように眠りについた。六畳部屋の詩人は眠れなかった。このまま雪江が帰ってこなかったらどうしようという、不安が胸一杯に広がった。それでついに決心することにした。雪江を自分のものにしてしまおうと。元々度胸のない詩人であったが、恐らく雪江は嫌がらないだろうという安心した気持ちもあった。そっと襖を開けて雪江の傍らに潜った。雪江は最初、眠っている様ではあったが、やはり起きていた。詩人は雪江と情を交わした。 二人はその夜、朝まで一緒に寝た。
 次の日、詩人が起きると雪江が何事も無かったかのように朝食の準備をしていた。布団を片づけ、食事を食べた。それから雪江は、実家に帰る支度を始めた。詩人は駅まで雪江を見送った。
 雪江がいなくなってからポッカリと心に空洞ができたような気がした。詩を作る気にもなれなかった。ふと、鯉のことを思い出した。何故かずっと会ってないような気がした。
(会いに行ってみよう)
 詩人はすぐに釣りの準備をして、例の沼へ向かった。

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