鯉と詩人 その2
一週間後、男は再び沼にやってきて釣りを始めた。今回は眠ることもなく、釣り糸をたらしていた。餌のミミズもしっかりと付けていた。するとあの大きな鯉が水面に顔を出した。
「おい、詩人。久しぶりだな」
「これはこれは、鯉さん。お久しぶりですね」
「詩人よ。餌にミミズを付けるのは良い。しかし、針を付けるべきであろう。おいしくミミズをいただいておいたが、少し間抜けであろう」
「ミミズはあなたへのプレゼントです。しかし養殖ミミズですので、味は保証しませんが」
「味はそれなりにうまかったぞ。だがわしには好き嫌いはない。食べられる物は何でも食べる。それが今まで長生きしてこれた理由の一つだ」
「ところで、おまえはどんな詩を作るんだ?おまえの詩の中にはわしは出てくるのか?」
「そうですね。私のは空想の詩ですので、池にくじらが出てきたり、ピラニアがまんじゅうを食ったり、赤い向日葵が南極大陸に咲き誇っているような詩ですよ」
「それは、でたらめな詩ではないか。とても売れるとは思えんがね。もっと大地に足をしっかりとおろし、多くの人に感動を与えるような詩を作ったらどうだ」
「そんな一般大衆向けの詩を作る方もいますが、私は好きではありません。私はシュールな詩が好きなんです。小市民に理解されようとも思っていません」
「そのシュールとはいいかげんな詩という意味か?」
「全くはずれているとは言えませんが、高級な感覚がないと作れませんよ」
「では高級でいいかげんな詩ということなんだな?」
「あはははは、まあそんなもんでしょう。あえて否定はしません」
「ところでそんな詩を作っているような非現実的な人間は、人間とのつながりを持てない奴ではないのか。お前に奥さんや子どもはおらんのだろう?」
「私のような才能のある詩人が結婚すると、私の才能が家族という得体の知れないものに吸い取られてしまい、詩人の干物になってしまいます。だから結婚しないのです」
「そうではあるまい。お前のような詩人を理解できる女がお前の世界にはいないということであろう。わしが人間の女であったとしても、お前を人生の伴侶として選択しないであろう。おもしろいと感じても、である」
「私は選択することを望みません。また選択されることも望みません。常に一つの存在でありたいと思っています。それに誰にも影響を与えない、また影響を受けない、です」
「そういえば、今から三百年くらい前のことだが、お前とどこか似たような男がここに来たことがある。そいつは、お前がいる辺りにたたずみ、筆で何かを書いていたな」
「おや、私に似ている男とはどんな方だったのでしょう。興味がありますね。詳しく教えてくださいな。鯉さん。」
「その男とも知り合いになったんだが、芭蕉翁とかなんとか言っておったな。そいつは俳句とかを詠む男でな、その偉い先生らしかったぞ」
「おお、松尾芭蕉がここにも来たんですか。それは凄い。しかしシュールとは遠い存在の方なんですがねえ」
「まあ、最後まで話を聞け。その芭蕉は、『蛙飛び込む水の音』、という短い文句を考えておったが、その上の文句がなかなか考えつかない様子だったな。たしか、『山吹や』にするか『古池や』にするかでだいぶ悩んでいるようだった。それで最後に古池やにしたようだった。だが、わしはそれは嘘であるといったんじゃ。ここは沼であるのだから古沼とすべきであろう。嘘はいけないであろうと。すると芭蕉はこう言い放ったぞ」
芭蕉『 古沼という言い方はないんじゃ。ここは真実味を出すために古池の方がいいんじゃよ。何も全て本当のことを詠む必要はないんじゃ。本当らしく見せるということが大切なんじゃよ。また鯉には古池とそこに響く水の音との対比による「わび」の深さというものを理解できんじゃろて。わしの弟子たちもなかなか理解できんくらいじゃからのう。ほっほっほっほっほっ・・・・・・』
「そんなことを言って笑っておったな。ところで詩人よ。わびとはどういう概念なのだ?今でもよく分からん。芭蕉もよく説明してくれんかった」
「わびですか。それはいにしえの教養人が好んだ考え方であり、私にいわせれば、孤独の気取りですよ。本当にわびというものを好む人間はめったにおらず、形式だけを身につけて喜んでいる連中が何と多いことか。芭蕉はその先駆者の一人であり、孤高を気取ったうさんくさい男ということですな」
「芭蕉を嫌っておるようだが、俳句の世界では多くの人間に影響を与えた偉い俳人ではないのか。お前より偉いことはたしかであろう」
「偉い俳人などという下らない評価をしている連中は小市民であり、そのような連中の評価には全く価値はないんですよ」
「小市民を馬鹿にしているようだが、その小市民が文学を支えているのであろう。彼らがいるからお前は詩人として存在していられるんじゃないのかね」
「私は小市民という存在ではありたくないです」
「では大市民ということかね。どちらも同じことであろう。目くそ鼻くその関係であろう」
「鯉さんの言い方にはユーモアというものがありませんね。芭蕉の少し偉いところは、最後に『軽み』という境地にたどり着いたということです。これはユーモアとほとんど同じ概念です。その点が少し尊敬できるところです。鯉さんも何百年も生きてきたならそれを身につけた方がいいでしょう。おや、もうこんな時間ですか。さて帰ることにしましょう」
「待て待て、お前にまだ言っておきたいことがある。今日は誰が家で待っているんだ。先週は六畳部屋という空間が待っているとか何とかいっておったが」
「そうですね。今日は私の分身が待っています。ではでは、さようなら」
そう言うと詩人は帽子をかぶり、竿を持って帰っていった。鯉はまるで勝ち誇ったように大きく一跳ねして沼の中に潜っていった。
つづく
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