鯉と詩人その21
                                            

 詩人が駅に着いたのは、午後十時を過ぎていた。家に帰ったが、雪江はまだ戻っていなかった。六畳巣部屋で煙草を吸いながら、暫く休んだ。ふと思い付いたように立ち上がり、あの沼に行くことにした。既に十二時近かったが、バイクに乗り急いで行った。
 沼で釣りをしようとしたら、鯉が先に顔を出した。
「よく分かりましたね。私であることが」
「こんな夜遅くやって来るのは、詩人か幽霊しかおらん。雪江は帰って来たか?」
「いいや、まだです。しかし、雪江のふるさと、新潟の八谷村に行ってきました」
「雪江には会えたか?」
「いいえ、しかし雪江の素性は大体分かりました。父親らしき人物にも会えました。でも病気で記憶を失っていました。雪江の母親は、どうも得体の知れない人物で、雪女という噂もありました。信じられない話です」
「そうか。だが所詮、噂でしかないからのう。迷信深い村人というのは、不思議な話はみんな妖怪か魔物のせいにしてしまうからなあ。わしも昔そんなことがあったよ」
「まあ、そうですね。私もそう思います」
「そんなことより、雪江は帰って来るのでしょうか。その方が心配です」
「待つしかないであろう。・・・・しかし、詩人よ。雪江に余計なことは言わん方が良いぞ。詩人がこっそり雪江のことを調べたと知ったら、雪江は嫌に思うであろうし、どこかへ行ってしまうかも知れん」
「そうですね。知らん顔しておくべきですね」
「そうだ。嫌がることは触れないことが賢明だよ」
「では、雪江が帰って来るかも知れませんから、これで失礼します」
 そう言うと詩人は帰って行った。
 こんな真夜中に帰ってくる筈もなかろうと鯉は思ったが、詩人が少しずつ理性を失いつつあることが気かがりであった。
 家に着くと詩人は昼間の疲れがどっと出て、すぐに熟睡してしまった。
 五日目の朝となった。雪江は五六日と言っていたので、雪江が戻ってくるかも知れない。しかし、五六日と言えば、普通は六日目であろうとも思った。そわそわしても仕方ないので仕事をすることにした。列車の時刻表が気になったが、その度にいちいち駅まで行くのもみっともないので、じっと仕事をしていた。夜になり最終列車がとても気になった。それで駅まで迎えに行くことにした。詩人らしからぬ行動であったが、この際格好もつけていられなかった。改札口で待っていると、一番最後に雪江が大きな鞄を二つ持って出てきた。詩人を見つけると嬉しそうな顔で「ただいま」と言った。詩人は小さな声で「お帰り」と言い、雪江が持っていた二つのバックを持ってやった。帰り道、取りとめのないことを話した。
「詩人さんは、私が帰ってくる列車がよく分かりましたね」
「ええ。まあ、何となく・・・・・」
 雪江は詩人がずっと自分のことをそわそわしながら待っていたことが、何となく理解できた。
「昼間の雪江さんも綺麗だけれど、月の光を浴びた雪江さんの横顔は、特に魅力的です」
「まっ、キザ。そんなこと言ったら、私以外の女には嫌われますわ」
 そう言って雪江は微笑んだ。雪江に指摘されて、詩人は今の自分が馬鹿であることに気が付いた。
 家に着くと、雪江はふるさとのことをいろいろと教えてくれた。たしかに村の様子はその通りであったが、それは昔のことのように思えた。たが、家族のことはほとんど話してくれなかった。詩人も敢えて訊かなかった。
「はい、おみやげ」
 そう言って雪江は笹団子を袋から取り出した。
「へぇ一、これが有名な新潟の笹団子ですか。たしか漱石の『坊ちゃん』にも書かれてありましたね」
「それは笹飴でしょ」
 と言って雪江は笑った。
「それはそうと童話はできました?」
「ええ、何とかできました」
 詩人は『六色の虹』という作品を雪江に見せた。雪江はそれを暫く読んでいた。
「うーん、内容はとてもおもしろいのですけれど、文章が少し堅い気がします。もっと子供を意識した方が良いと思います」
 などと批評した。詩人は批評されるのが嫌いであった。しかし子供向けの文章など書いたことがないので、そうなのだろうと思った。
「雪江さん、この作品に手を入れてみますか」
「えっ、いいのですか。そんなことをして・・・・・」
 詩人は雪江が断ると思ったが、やる気満々であることに少なからず驚いた。そしてさらに驚いたことは、鞄から薄型のノートパソコンを取り出し、パチパチと童話を打ち込み始めたことだった。
「雪江さんは、パソコンも使えるんですね」
「ええ、学生時代からやっておりましたから・・・。詩人さんも自分の詩を打ち込むと楽に修正できますよ」
 などと言いながら打ち込んでいった。
「どうでしょう。こんな感じでは・・・・・」
 画面に修正された童話が示された。
「ここがちょっと、私の意図する事と違いますね」
「では、こんな感じでしょうか」
 そう言うとパチパチと雪江は修正を加えた。実に手際良かった。
「詩人さん、この童話の挿し絵も描いたらどうですか。その方が詩人さんの想いが子供たちによく伝わりますわ」
「ええ、そうですね」
 雪江のペースにはまっていた。しかし、雪江の言うことは最もなことだった。詩人は挿し絵画家である。それを描かないのは、やはりおかしかった。
「では、明日取りかかりましょう」
そう言ってその日は寝ることにした。雪江と一緒に・・・・・。

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