鯉と詩人その22
次の日、詩人は自分の童話の挿し絵に取りかかった。アシスタントの雪江も積極的に手伝った。長い髪の毛をリボンで縛り、汚れてもいいようにジャージ姿となり、詩人が描く下絵の色塗りを行ってくれた。その働く雪江の姿にまたまた詩人は見とれてしまった。
「詩人さん。どうしたんですか。私の色塗りが不安なのですか?」
「いえいえ、つい見とれているだけです」
「変な詩人さん。・・・・少し休みましょう」
そう言うと雪江はコーヒーとお菓子を出してくれた。その作品には五日間を要した。また、以前頼まれていた出版社の仕事も引き続き取り組んだ。
そうして出来上がった作品を出版社に持って行った。雪江に頼もうと思ったが、今回は初めての童話である。自分も付いて行くことにした。
出版社に行くと、丁度編集長がいた。また、何人かの編集者たちもいた。いつもは詩人が来ても気にすることはなかったが、彼らは雪江のことをじろじろ横目で見ていた。
「おう、詩人さんか。おっ、それに綺麗なアシスタントの雪江さんも一緒だね。前回の挿し絵はなかなか良かったよ。今回はどうかな」
と編集長が言った。彼は詩人の絵の才能を認めてくれる一人だった。しかし詩はほとんど認めていなかった。
「はい、ここにあります」
雪江は編集長に差し出した。それをパラパラ見て、
「今回もなかなか出来がいいね。いいアシスタントを見つけたようだね」
「実は編集長さん。詩人さんの童話と挿し絵があるんですが、こちらも見てください」
雪江は編集長にそう言った。まったく物怖じしない様子だった。
「えっ、詩人さんの童話か。詩人さんはたしかシュール詩人ではなかったのか。それが童話を書くとは・・・・・・。変われば変わるもんだな。どれ一つ見てみよう」
編集長は原稿をさらさらと読みながら、何度かうなずいていた。
「ストーリーが変化に富んで、とてもおもしろいな。それに筋が通っていて、分かりやすく表現されている。シュールな感じがまったくない。結末も明るくていい感じだな」
編集長はとても感心していた。詩人は以前、詩集をこの会社から自費出版していた。もちろん編集長も読んでいた。詩人に言葉の想像力があるのは認めていたが、役に立たないシュールな想像力とばかり思っていた。だが、童話を読んで、感動を与える想像が出来る詩人であることを認めてくれた。
「いいでしょう。絵も良くできています。これはこちらで買い取りましょう」
「えっ、本当ですか!」
詩人はそれを聞いてとても喜んだ。買い取り値段のことなど眼中になかった。
「どれくらいの値段で買ってくれますか?」
と雪江が聞いた。
「そうですね。まだ売れるかどうか分かりませんしね。こんなもんでしょう」
と言って編集長は値段を電卓にはじき出した。
「それでけっこうです。しかし好評だった場合は、いくらか上乗せしてほしいと思います」
雪江は値段の交渉を行った。詩人は傍らで聞いているだけだった。
「雪江さんは、なかなかしっかりしていますね。これなら詩人さんもしっかりとした仕事ができると思いますよ」
そう言って編集長は笑った。そして最後にこう付け加えた。
「もしこの童話が売れたら、次もお願いしましょう」
「ええ、ありがとうございます。きっと売れますわ」
と雪江が自信を持って言った。
雪江は帰る時、出版社の編集者の方々にもよく挨拶をして、その場を後にした。
「とてもしっかりしたアシスタントが付いたものだ。詩人さんの別の才能が開花するかも知れないな」
そう編集長は呟いた。
家に帰る途中で銀行に寄った。前回の原稿料が振り込まれていた。それを引き出し、雪江に渡した。
「これは給料ではなく、ボーナスですよ。たんまり入ったら今度は山分けしましょう」
それを聞くと雪江はややきつい感じで、こう言った。
「詩人さんは金銭感覚がかなしいくらい乏しいと思います。これではいけません。私はアシスタントですから、会計の方も担当しますが、よろしいですか?」
「はい、かまいません。そうしてください」
家に帰ると、雪江はノートパソコンを取り出して、何か計算を始めた。雪江の別の一面を見たような気がした。
近所のおばさんたちとも、雪江は上手くつき合ってくれた。だが、アシスタントだと言っても誰も信じなかった。
「いい彼女ができましたね。結婚はするんですか。絶対逃がしてはいけませんよ」
などと余計なことを言う人もいた。
一ヶ月余りして詩人の童話が売り出された。雪江が言う通り、とても評判が良く、たくさん売れた。編集長も喜んでくれた。そして次の作品も頼まれた。詩人は既に次の作品は考えていた。今度は小学生高学年生向きのものにした。その方がよく売れると思ったからである。現実的な考え方をしはじめていた。
「雪江さん、『ほらふき船長さんの冒険話』という題で、一つ物語を作ろうと思います。船長さんが若い頃にいろいろな所へ行って冒険してきた話です。最初の話は、少し悲しい物語にしようと思います。・・・・ある日、船長さんが航海していると、海の真ん中に赤い道が遥か彼方まで続いていたそうです。その赤い道を東から白いランニングシャツの青年が赤い鉢巻きをして、背中にリュックを背負い、走ってきたそうで、・・・・・・・・」
「ちょっと待ってください。どこが悲しいお話なんですか?・・・・・・」
「ええ、これから悲しくなります。何故走っていたと思います?」
「さあ、全く分かりませんわ」
「実は、その青年は『命のリレー』をしていたんです」
「えっ!命のリレー・・・・?」
「そうです。この続きを聞いてみたいと思いませんか」
「ええ、聞いてみたいですわ」
「この続きは私の頭の中にありますよ」
と言って詩人は笑った。
「どうして詩人さんはそんなおもしろい話が作れるんですか。不思議な気がします」
詩人にしてみれば、シュールな詩の方がはるかにおもしろいと思っているのであるが、それは詩人だけであった。それにはまだ気づいていないらしかった。その物語を数日かけて書き上げ、出版社に持って行ったら、即買い取りとなった。また挿し絵を早く作るよう言われた。
昼間だけでは間に合わず、徹夜する日も何日か続いた。だが雪江と一緒に仕事をすることが楽しいので、苦にはならなかった。そして出来た作品は、すぐに売り出された。その物語は小学生の心をつかみ、ベストセラーとなった。続編もすぐ書くよう編集長から言われ、売れっ子の作家となっていった。雪江もよく頑張ってくれた。
そんなある日のことである。ある重大が出来事が起こった。雪江が見つけたのである。
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