鯉と詩人その24
詩人と雪江の関係は、先生とアシスタントの関係であった。仕事も順調に進んでいた。本業の挿し絵より童話や物語作りの方がだんだんと忙しくなってきた。それで挿し絵は主に雪江に担当させることにした。雪江もなかなか腕を上げていた。また詩人の絵の個性も把握していた。よきアシスタントであった。
詩人は今回の一件で、日本の妖怪というものに興味を持つようになった。それで編集長にある相談をした。
「実は私は、カッパや座敷童などの日本の妖怪に興味を持っています。それでそれに関する物語を書きたいと思いますが、如何なものでしょう」
「それはおもしろいですね。日本では怖い話や不思議な話はよく売れるんですよ。是非書いてください」
「そうですか。ではがんばりたいと思います」
家に帰ると、雪江にそのことを相談した。雪江はそれほど乗り気ではなかったが、詩人は一度決めると頑固な所があることを知っていたので、最後には賛成した。
詩人は雪江に日本の妖怪のことについていろいろ訊いてみた。すると普通知らないことでもよく知っていた。
「どうしてそんなによく知っているんですか?」
「それは、母から小さい頃、よく聞かされたからです」
「それはそれは、よいお母さんですね。・・・・・でも雪江さんの話だけではおもしろい物語は作れませんので、取材旅行に行きましょう」
「えっ!旅行はいいですね」
旅行と聞いて雪江はとても喜んだ。そう言えば、二人きりで旅行したことは今までなかった。
「でも詩人さん。最初は何処へ行くのですか?」
「ええ、以前、鯉さんからカッパのことについて少し聞いたことがあります。カッパと言えば遠野です。そこへ行きましょう」
「ええ、いいですわ。遠野は不思議な話がいっぱいあると聞いています。私の仲間もいるかも知れませんわ。でも電車で行くんですか?」
「五十CCバイクで行く訳にもいかないでしょう」
「だったら車を買いませんこと」
「えっ、私は免許を持っていませんよ」
「大丈夫です。私が持っています。資金も詩人さんがよく稼いでくれますので、何とかなります。では明日買いに行きましょう」
「えっ、明日ですか?」
気が早いと詩人は思ったが、雪江は計算機を取り出し、車や旅行の費用などの計算を始めた。女は旅行が大好きであるが、雪江も例外ではなかった。
次の日、車を買いに中古車センターへ出かけた。車は中古の4WD車にした。どんな悪路や雪道でも走れるようにである。カーナビも付けてもらった。車はすぐに持ち帰ることができた。そして近所の駐車場を借りた。
「では、明日でかけましょう」
「えっ!明日ですか。雪江さん、少し早すぎませんか?」
「善は急げです。詩人さん」
そう言って旅行の準備を楽しそうに始めた。
詩人は鯉にそのことを告げに沼へ出かけた。
「鯉さん、お久しぶりです」
「詩人よ、少し太ったのではないのか?」
「ええ、そうかも知れません。毎日まともな食事を雪江に食わされていますので」
「普通、妖怪に魅せられると痩せるのが相場であるが、詩人の場合は例外のようだな」
「雪江を妖怪とは思ってはいませんよ。私の良き理解者です。とても良いアシスタントです」
「それは良かった。真の良き理解者は人生においてなかなか得られるものではないからな」
「それはそうと、明日から妖怪の調査に出かけます。それを物語にして、出版したいと考えています」
「そうか、でも気を付けるんだな。雪江のような妖怪ばかりではないからな。この日本にはとても恐ろしい化け物がいる」
「ええ、でも雪江がいますので、大丈夫ですよ」
「かも知れん。雪女はとても強い妖怪だ。強い味方を得たようなものだよ」
「雪江はそれほど強い女とは思えません」
「それは上辺だけのことだ。本性をまだ詩人に見せていないだけだよ」
「そうでしょうか・・・・・・」
「いつか知ることになるであろう」
「楽しみにしましょう。ではこれで失礼します」
「詩人よ、気を付けて行けよ」
鯉は最後にそう忠告した。
次の日、詩人と雪江は、遠野に向かって出発した。雪江の運転はとても上手であったが、なかなかスピードを出す運転であった。高速道路では百三十キロを超すこともあった。
「雪江さん。ゆっくりと行きませんか?」
「ええ、大丈夫です。交通事故は起こしませんわ・・・・。私はそう簡単に死にませんから・・・・・」
「ええ、そう思いますが・・・・・・」
詩人は自分は雪江と違って、生身の人間であることを雪江に理解してもらいたかった。 3時間半ほどで遠野に着いた。ずっと雪江が運転したが、詩人は雪江が疲れを知らない女性であることがよく理解できた。
さて、遠野に着くと、民話に関する場所を訪れた。記念館やお寺、カッパの住んでいると言われる川などである。雪江はとても楽しそうにしていた。おみやげ屋では、男のカッパと女のカッパの姿が描かれているタオルを二つ買っていた。それを私に使わせるのであろうかと詩人は心配した。それを使っている自分の姿を想像したら、頭がくらくらとしてきた。
詩人は鯉へのおみやげを買った。養殖ミミズはなかったので、麩にした。安い買い物であった。鯉が喜んで食っている場面を想像した。
「雪江さんはとても楽しそうですね」
「ええ、旅行は久しぶりですもの。私は小さい頃、どこにも連れてってもらったことがないんですよ」
「所で、カッパはこの川に本当に住んでいるんでしょうか?」
「ええ、いませんね」
「えっ、どうしてそんなにはっきり言えるのですか?」
「だって、カッパはこのような観光地にいる訳ないでしょう。カッパの気持ちになればすぐ分かりますわ。でも昔はいたんでしょうね。ここがあまりにも有名になったので住処を変えたんだと思います」
確かにそうだろうと詩人は思った。
「では何処へ行ったんでしょうね」
「カッパの住んでいる所へ行ってみますか」
「えっ、雪江さんは知っているんですか」
「そうですね・・・・」
そう言って、意味ありげな微笑みを雪江は見せた。
「ではそこへ行きましょう」
「今からですか。それは明日にしましょう。日も暮れてきましたし、急ぐ旅ではないですもの・・・・」
そう言うと雪江は、遠野が載っているパンフレットを調べた。
「近くにカッパの温泉がありますわ。カッパが入りに来たことがあるそうですよ。何か手がかりが掴めるかも知れません。今夜はそこに泊まりましょう」
詩人も少し疲れたので、雪江の言う通りにした。
その旅館は山の方にあった。それほど大きくはない旅館であった。湯煙が建物の後ろから上がっていた。着くと、女将さんが出てきて挨拶をしてくれた。二人は夫婦連れに見えたらしく、雪江もそれに合わせてくれた。部屋は八畳部屋であった。窓からは川とその向こうに霧のかかった山並みが見えた。
さっそく温泉に入ることにした。男女別々の露天風呂があったが、混浴の露天風呂はなかった。男風呂には誰もいなかった。石で出来たカッパの口からお湯が湧き出ていた。漫画に出てくるカッパという風情であった。このカッパが出たと言うのであろうか。しかし、これは人間が勝手に作り上げた姿なんだろうとも思った。
石のカッパの頭を撫でながら、思いつきの歌をうたった。
♪ 偽物カッパがあらわれて
馬鹿な人間だまされて
お金をたんまりとられても
にっこり笑って
ひゃひふへぴょー
ばびぶべびょー ♪
さて、温泉から上がり、部屋に行くと食事の用意がなされていた。雪江もすぐに温泉から上がってきた。やはりきゅうりの料理が出ていた。カッパの描かれたお皿もあった。
お酒はどうするか訊かれたが、雪江が日本酒を二本ばかり頼んだ。詩人は飲めないということはなかったが、家で晩酌をすることはなかった。
「雪江さんは飲めるんですか?」
「ええ、ほんの少し・・・・」
そう言えば雪江がお酒を飲んだ姿を見たことがなかった。しかし雪女がお酒を飲めないはずはなかろうと思った。もしかしたら酒豪かも知れないと想像したら、可笑しくなった。
「何を笑っているんですか?・・・・また変な想像しているんでしょう」
などと言われ、さらに可笑しくなった。
「では、はい。詩人さん」
そう言ってお酒を注いでくれた。雪江も少し飲んだが、白い肌がほんのり赤くなった。やはり肌の白い女はお酒がよく似合う。
詩人は、美人の雪江のお酌でとても気持ちよくなり、お酒を二三本追加した。最後にはふらふらとなってしまった。お酒に弱い詩人であった。
「明日は早いですので、そろそろ寝ましょう。では布団を敷いてもらいますからね」
そう言って女中さんに布団を二つ敷いてもらった。詩人は横でごろんと寝ていた。
「風邪をひいてはいけませんよ。・・・・ではおやすみなさい」
そう言って雪江は隣の布団に眠った。詩人はすでにぐっすりと眠っていた。
ふと真夜中に詩人は起きた。雪江は静かな寝息を立てて眠っていた。まだ酔いが残っていたので、酔いを覚ますために温泉に入ることにした。時計を見ると午前三時であった。
露天風呂に行くと誰かが奥に入っていた。暗かったのでよく見えなかった。詩人は気にすることもなく、静かに入っていた。すると奥から歌が聞こえてきた。
♪ 人間カッパがあらわれて
馬鹿な人間だまされて
お金をたんまりとられても
にっこり笑って
ひゃひふへぴょー
ばびぶべびょー ♪
「誰だ!?おかしな歌をうたう奴は」
「お前だよ。お前・・・・」
と奥から声がした。
たしかに詩人がこの場所で作った歌であった。お前と言われて確かに、と思った。
「私の歌をよく覚えていましたね」
「こんなふざけた歌は、決して忘れられないな」
「ふざけたと言いますが、事実ですよ。事実」
「どこが事実なんだ。カッパは決してお金を人間からだまし取ってはいないぞ。昔から・・・・・・・」
「えっ!?そうでしたか。人間をよくだましているんではないですか?」
「生きるために畑のきゅうりを盗ったりしたことはある。しかしお金を盗ったことはない。お金をだまし取るのは、人間だけだ。それをカッパのせいにしているのだ。お前はどうだ」
「私は詩人です。カッパをだます気はありません。私もよく人にだまされています。しかし、カッパの正しい姿や生き方を物語にして、世間に知らしめたいと考えています」
「お前は物書きか?」
「ええまあ、そうです。人は物書きと言いますが、本当は詩人ですけどね・・・・」
「では、わしらのことを書いて、お金を儲けようというんだな」
「いえいえ、そんなつもりはありません。ただ誤ったことを正したいだけです」
「正義の味方を気取っているということか?」
「正義感はありますが、月光仮面ではありません。詩人です。それで一つお願いがあります。カッパの世界というものを教えていただけないでしょうか」
「・・・・お前は人間たちにわれわれのことを紹介すると言っているが、紹介されたらどうなる。人間たちがわれわれの世界にやって来て、遠野のようになってしまうではないか。遠野はカッパの古里だったのだ。それが柳田とかいう奴に広く紹介されたために、観光地になってしまい、われわれが住めなくなってしまったのだ。たしかそいつもお前と同じようなことを言っていたな。正しいカッパの姿を紹介したいとな・・・・・」
「でも私は柳田先生ほど偉くありません。ほんのちょっと紹介するだけです」
「ついに本音が出たな。本当は金儲けをしたいだけなんだろう。お前のような奴は今までたくさんやって来た。そしてみんな静かに眠らせたよ・・・・」
「えっ!?眠らせるとは殺すと言うことですか。それは困ります。逃げたいと思います」
詩人は逃げようとした。しかし体が思うように動かなかった。何かに縛られている感じである。詩人に危険が迫っていた。
だが、突然、温泉に冷たい風が吹き渡った。温泉の表面がみしみしと凍り始めた。
「おう、お前には強い味方がいるんだな・・・・。今日の所は見逃してやる。もう二度とここには来るなよ」
その声とともに奥の不思議な影は消えてしまった。すると詩人は自由に動けるようになった。後ろを振り向くと雪江が立っていた。少し怖い顔をしていた。
「早くお上がりなさい」
そう言うと雪江は去っていった。
詩人が湯から上がると、真冬のように寒かった。すぐに着替え、部屋に戻ると雪江は眠っていた。眠っている振りをしている様であった。詩人は隣の布団に寝た。
「雪江、ありがとう・・・・」
詩人は小さい声でつぶやいた。
翌朝、雪江は詩人より早く起きていた。詩人は少し二日酔いであった。昨日の出来事が嘘のように感じられた。
「詩人さん、どうします・・・・・」
「帰りましょう。今回は・・・・・」
「・・・・そうですね。帰りましょう。だいぶ怖い目に遭いましたものね。昔のカッパはもっと陽気でしたのに・・・・」
二人は家に帰ることにした。雪江の運転は相変わらずであったが・・・・・。
詩人はカッパのことは物語にしないことにした。カッパは自分たちのことを秘密にしたがっている様であるし、また詩人はカッパを今回の一件で嫌いになったからである。
ひとつもどる