鯉と詩人その25

 次の日、詩人は鯉に旅行の結果を知らせるために遠野のみやげを持って沼へ行った。
「鯉さん、遠野みやげの麩ですよ。なかなか美味しいですよ」
 そう言って麩を細かく千切って鯉に投げてあげた。鯉は美味しそうに食べていた。また鮒やザリガニたちもおこぼれを戴いていた。
「なかなかいい味だ。・・・・・・所でどうだった。カッパには逢えたかな?」
「ええ、逢えましたが、もう少しで殺される所でした。ひどい目に遭いましたよ。カッパとはなかなか怖い妖怪ですね」
「そうか。元々陽気な者たちなんだが、昔とは変わってしまったのかのう。・・・・・・それは人間が悪いんだよ、多分。人間が住処を奪ってしまったからだと思う」
「ええ、そうかも知れません。全ては人間に原因があるのかも知れません。・・・・・・所でカッパのように恐ろしい妖怪ではなく、もっと優しい妖怪は知りませんかね?」
「そうだな。それでは山形に住んでいると言われている座敷わらしはどうだ。人に危害を与えるという妖怪ではない。しかし逢えるかどうか分からんがね。座敷わらしは幸運をもたらす妖怪でな。逢えればその人物にはとても良いことが起こるよ。詩人はどうかな?」
「是非逢ってみたいですね。どうしたら確実に逢えるでしょうね?」
「確実に逢えるものではないが、詩人には雪江がいるではないか。ひょっとして雪江が何か知っているかも知れん」
「そうですか。ではさっそく今度行ってみたいと思います。ではでは」
 そう言うと詩人は鯉に別れを告げて家に向かった。鯉は詩人の後ろ姿を見ながら、何かが変わってゆくのを感じた。
 家に着くと早速詩人は雪江に座敷わらしのことを相談した。
「雪江さん、今度は座敷わらしに逢いに行きましょう」
「えっ!でも逢えるかどうか分かりませんよ」
「雪江さんは今までに逢ったことがあるんですか?」
「まあ、無いことは無いのですが・・・・・・」
「どんな童なんですか?」
「ええ、とても可愛い妖怪ですわ。でもわらしと言うのはどうなんでしょうか。何百年も生きていますからね」
「えっ!?そうなんですか。それは知りませんでした。姿形はわらしでも、相当の年寄りと言うことですね」
 そう言って詩人は笑った。
「でも、詩人さん。座敷わらしを馬鹿にしてはいけませんよ。とても繊細な神経の持ち主ですから、そう言う人物の前には決して現れませんよ」
「そうですか、分かりました。詩人の気持ちで逢いましょう」
「詩人の気持ちがどういうものであるか分かりませんが、純真な気持ちが大切です」
「なら大丈夫です。詩人は常に純粋ですから」
 雪江は詩人を見つめて少し頭を傾げていたが、最後には微笑んでこう言った。
「ええ、きっと詩人さんは逢えると思いますわ」
どこまでも優しい雪江であった。
 一週間後、二人は山形に向かって出発した。雪江のスピード感あふれる運転にも慣れ、四時間ほどで山形の山寺に着いた。ここは雪江が強く行きたいと希望したからである。また、詩人も芭蕉の句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」ができた環境を知りたいと思った。
 山寺は遠野のように観光地となってる。何台も観光バスが止まっていた。また頂上の本堂までは長い階段を歩かなければならなかった。途中で郵便局員が汗をかきつつ上っていったが、簡単に抜かれてしまった。途中で休憩したが、雪江は涼しい顔をしていた。頂上から下界を見るととても清々しい気持ちになった。
「詩人さん、ここで俳句を一つ作ってみませんこと」
 時々雪江は何気なく、とんでも無いことを言う。シュール詩人の私に俳句などという奴隷の韻律に満ち満ちた詩を作れとは・・・・・・・・・・・・。
「では私から詠みますわ。『靡きいる黒髪夏日流れけり』と言うのはどうですか?」
 平凡な句ではあるが、最初にしてはまあまあだろうと思った。
「ええ、とても上手だと思います。やはり詩のセンスがキラリと光っていますね」
 よくもまあこんな白々しいことが言えたものだと自分自身に感心した。
「まあ、そうですか」
 と言って、雪江は微笑んだ。素直な笑顔だった。
「詩人さんの句はどんなものですか?」
 最初、頭に浮かんだ句は、「ピラニアが饅頭食ってお正月」というものであったが、山寺とは何の関係もなかった。雪江に言ったら、感覚を怪しまれると思ったので、こんな句を披露した。
「蝉時雨三半規管に降り注ぐ」
「何だかよく分からない所もありますが、詩人さんしかできない句のように思います」
 と雪江は言った。詩人しかできない句という批評が気に入った。
 さて、山寺見学も終わったので、よく座敷わらしが出ると噂のある温泉旅館に向かった。山寺からさらに山奥に入って行った所にあった。小さな旅館ではあったが、その前に川が流れており、十メートルばかりの吊り橋がかかっていた。そこを渡って旅館に入ると女将さんらしき女性が迎えてくれた。三十代後半のように見えた。ロビーには童の人形が何体か飾られてあった。またその前に一二年生ぐらいの子供が二人遊んでいた。
「おっ、早速座敷わらしが迎えてくれたようですよ」
 と言ったら、女将さんがうちの息子ですよと笑いながら応えてくれた。たしかに出るのが早すぎると思ったが、雪江も笑っていた。
 通された部屋は東向きのこざっぱりとした八畳部屋であった。壁には人形の絵が掛けられてあった。外の景色は山だらけであった。所々に湯の煙が上がっていた。
「雪江さん、本当にここに座敷わらしが出るんでしょうか?」
「さあ、どうでしょう。座敷わらしが見られる人は少ないと聞いていますが・・・・・・」
「その少ない人でありたいものですね」
 さて、食事までにはまだ時間があったので、雪江と旅館の周囲を散策することにした。旅館の浴衣に着替えて、田舎の小径を歩いているとベレー帽を被った老人の画家が道端に腰掛けて絵を描いていた。ちらりと覗くと風景画であった。画家は二人に話しかけてきた。
「おお、美しい女性ですね。こんな田舎にはとても珍しい」
 詩人ではなく雪江に話しかけていた。詩人の存在は全く無視されていた。
「是非とも絵に描いてみたいです。その旅館に泊まっているのでしょう。私もそうです。後で是非お願いします」
「えっ!それは・・・・・・」
 詩人は雪江の言葉をさえぎってこう言った。
「それは困ります。雪江は私のアシスタントです。そんな時間はありません。では行きましょう。雪江さん」
 そう言って詩人は雪江の腕を握るとどんどん行ってしまった。
「詩人さん、今の方は有名な画家さんですよ。たしか・・・・・・」
「そんなことはどうでも良いのです。あの老人は怪しいです。若い女好きという感じがします。雪江さんに何をするか分かりませんよ」
「そんなこと無いと思いますが・・・・・・」
「いいや、駄目です」
 詩人は嫉妬していた。雪江が他の男と親しくするのも嫌であった。人間の小さな詩人であった。
 二人は旅館に戻り、食事することにした。日本酒も何本か頼んだ。食事の後、温泉に入ることとにした。露天風呂はあったが、混浴風呂は無かった。風呂は比較的大きかった。湯は単純温泉であった。二三人のお客が入っていたが、老人ばかりであった。ここは老人の温泉であろうか。座敷わらしに出逢ったとしても小さな幸運しかやって来ないのではなかろうかと思った。
 さて、部屋に戻ると雪江はまだいなかった。女は一般に長風呂であるが、雪江は雪女であるのに不思議な気がした。
 しばらくして雪江が戻ってきた。
「なかなか、いい湯でしたね。詩人さん」
「ええ、そうですね。・・・・・・あの少し聞きたいことがあるんですが、雪江さんは熱いのはお好きなんですか?」
「ええ、好きですよ。ぬるい風呂はそれほど好きじゃありませんわ」
 本当は雪女が熱い湯に入るのが不思議であったが、それ以上訊くのはやめた。雪江は普通の女を装っているのである。それでいいと思っている詩人であった。
「さて、雪江さん、座敷わらしは出るでしょうか?」
「さあ、どうでしょう。出るかも知れませんし、出ないかも知れません」
「出てもらう方法はないんでしょうか?雪江さんがお願いするとか・・・・・・」
「私も何処にいるかよく知らないんですよ・・・・・・」
 そんなことは無いと思う詩人であった。何か妖怪同士の約束か何かがあるのではないかとしつこく思う詩人であった。
「さて、寝ましょう。寝ないと座敷わらしも出ませんからね」
 そう雪江が言うので、詩人も寝ることにした。
 布団を二つ敷いて、雪江と詩人は寝ることにした。詩人はなかなか眠れなでいた。このままでは出そうもないと感じていた。座敷わらしが出るということは、詩人に幸運がもたらされるということであるが、幸運がありそうも無い男には最初から現れ無いのではなかろうかと思った。要するに、座敷わらしが幸運をもたらすのではなく、幸運の持ち主に現れるということである。
 そんなことを考えていたら、湯に入りたくなった。時計を見ると十二時を過ぎていた。雪江を起こさないようにして物音を立てないようにして部屋を出た。ロビーには誰もいなかったが、人形が不気味に見えた。案外、これをお客は見間違えて座敷わらしと思ったのかも知れないと思った。露天風呂に行くと誰もいなかった。ゆっくりと湯につかった。星が夜空に輝き、これほど星が美しいと思ったことはなかった。詩人は星のような美しいものを詩に詠むことは少なかったが、これは捨てたものではないと感じた。それで久しぶりにシュールでない詩を作ることにした。


       シュール詩人
  星美しく輝きて
  詩人に見よとぞ言ふ如く
  星に感情ないけれど
  詩人の心は
  三ツ星の
  らうめん食ひし如くなり
  星美しく輝きて
  詩人はお湯に入ります
  星に性別ないけれど
  詩人の心は
  王国の
  風呂当番の如くなり

 風呂の中で朗詠したが、よく響き渡った。こんな古風な詩は何年振りかで作ったが、人には聞かれたくないと思った。シュール詩人としては恥ずかしかったのである。
 さて、湯から上がり、部屋に戻り布団に入った。しかしなかなか眠ることはできなかった。しばらくして遠くで誰かが歌っているような気がした。よく聴くとそれは詩人がさっき作った詩であった。
 一体誰が歌っているのだろうかと思ったが、不気味な気もした。誰かが聴いていたということである。詩人はあの詩が歌われていることに恥ずかしさを感じた。だが誰が歌っているのか確かめたくなり、雪江を起こさないようにしてそっと部屋を出た。
 歌は、ロビーの方から聞こえてくるようであった。ロビーに行くとソファーに童が一人座っていた。そして、その子が歌っていた。
(この子が座敷わらしか?)
 そう直感的に思った。怖いという気はしなかった。
「君が座敷わらしですか?」
「ふふふふふ・・・・・・。おじさんの歌は、とてもおもしろかったよ」
「おお、君は私の詩を認めてくれるんですか。それは凄い。私の詩が理解できるだけでも大したものですよ」
「おじさんは、詩人なの?」
「ええ、そうだよ。認められない詩人だけどね。本当の詩人とは、その時代には認められないものなんだよ」
「人が認めてくれるような分かり安い詩を書けばいいんじゃないの?」
「君も雪江と同じようなことを言うんだね。世俗にまみれた詩は好きではないんだよ。所で君の名前は、何と言うんだい?」
「名前は昔あっさたけれど、今では誰も知らないよ。また僕の名前を知ったものは不幸になるよ。だから知らない方がいいのさ」
「そう。なら知らない方がいいね。所で君に逢えた私には、幸運が訪れてくれるのかな?」「ふふふふ、どうだろうね。幸運には努力と行動が必要だからね。僕が現れたのはあなたの詩がいいと思ったからだよ」
「ということは、私の詩が売れるとか・・・・・・」
「それは無いでしょう。それに売れる詩を書いていないんでしょう」
「確かに・・・・・・」
「おじさん、今いる女性を大切にしなよ。あの女性があなたに幸運を運んでくれるから。別れたら幸運は決して訪れないよ」
 それも確かにと詩人は思った。雪江が現れてから詩人にはいいことばかりが続いているようにも感じた。
「それから、詩の他に私は物語作りもしているんだけれど、君のことを書いてもいいかな?」
「そうだね。いいよ。しかし僕にはめったに逢えないよ」
「ついでに訊くけれど、雪江には君が見えていたのかな?」
「恐らく見えていないと思うよ。雪江さんが妖怪だとしてもね・・・・・・ 」
 詩人は雪江に勝ったと思った。いつも雪江には精神的に頭が上がらなったが、自分の方が幸運の持ち主だと言うことが嬉しく感じた。
「ではおじさん、僕はこれで消えるよ。おじさんも雪江さんに気づかれないように戻りなよ」
「ええ、では座敷わらしさん。さようなら」
 詩人が部屋の方に戻ろうとしたが、ふと後ろを向くと座敷わらしはすでにいなかった。部屋に戻ると雪江は静かに眠っていたが、感の鋭い雪江が気づかないことが不思議にも感じた。
 翌朝、起きると雪江はすでに起きていた。昨日の出来事は知らない様子であった。詩人もあえて話さなかった。自分だけ逢えたのが少し悪いような気がしていた。
「さて、雪江さん。家に戻りましょう」
 目的を達した詩人にとってここにいる必要はなかった。
「えっ!戻るんですか・・・・・・?」
「ええ、戻りましょう」
「詩人さんがそう言うのなら戻りましょう。・・・・・・でも何かありましたね」
「その件につきましては、おいおいとお話ししましょう」
 朝食を食べてから、二人は帰ることにした。
 ロビーで支払いをしていると、この旅館の二人の子供たちが昨日と同じように遊んでいた。
「元気なお子さんたちですね」
「えっ!?お子さんたち、ですか。息子は一人ですけれど・・・・・・」
「えっ?」
 詩人がよく見ると一人の子供は昨日の子に似ていた。みんなには一人の子供しか見えないようであった。
 その見えない子は、唇に一差し指を当てて「しーっ」と言う仕草をした。みんなには黙っているようにという意味であろうと思ったので、誰にも言わなかった。
 帰りの車の中で詩人は雪江に訊いた。
「雪江さんは、本当に座敷わらしが見えなかったんですか?」
「ええ、全く見えませんでした。詩人さんには見えたんですか?」
「ええ、はっきり見えましたよ。それに会話もしましたよ」
「えっ!会話もですか。今まで見た人はいますが、会話した人はめったにいないと思いますよ。それはとても良かったですね」
「それに物語にしてもよいという許可をもらいました。とてもいい妖怪ですね」
「妖怪というのはやめましょう。あまりいい言葉ではありませんわ」
「はい、分かりました。今後やめます」
 雪江は妖怪という言葉には抵抗がある様であった。自分が妖怪と言われているように感じるのであろう。今後雪江の前では絶対に言わないと誓う詩人であった。
 さて、家に帰って一休みしてから座敷わらしについての物語を書き始めた。情感を込めて一気に書き上げることができた。それにあの子を参考にして座敷わらしのイラストを何枚か書き上げた。

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