鯉と詩人 その3
                                 

 二週間ほどたってから詩人は沼へ再び釣りにやってきた。釣り糸を垂れ、竿を石で押さえ、詩人は一冊の本を取り出して読み始めた。すると例の鯉が水面に顔を出し、
「久しぶりではないか。詩人よ。もう来ないのではないかと思ったぞ」
「こんにちは、鯉さん。今日は天気が良いので本でも読もうと思ってやってきました。この沼は人もほとんど来ないし、静かで読書にも最適ですので」
「釣りをしながら本を読む釣り人も珍しい。釣道では二物を追う物は一物も得ずと言われているが。ところで何の本を読んでいるのだ?」
「ええ、詩歌に関する本ですよ。明治の頃、正岡子規という歌人兼俳人という方がおりましてな。この方は短歌と俳句に革新的な運動を展開した人で、また芭蕉を否定的に捉えた教養人です。その方の書物を読んでいるんですよ」
「その人物なら知っているぞ」
「えっ、どうして鯉さんが知っているんですか?」
「彼も釣りが好きでな。また釣りの技術がとても高く、わしの仲間が何匹も釣られてしまったよ。しかし敵ながらあっぱれな技術だったな。針をうまく隠し、また餌が本当に生きているように上手に竿を動かしていたよ」
「何百年も生きているといろんな人物とお知り合いになれるんですね」
「そういう連中を通して人間の世の中の移り変わりが理解できるようになったのだ。だが子規という奴は嫌いだったな。仲間が釣られてしまったこともあるが、そいつはわしを否定的に捉えておった。わしがそいつに話しかけた時、こんなことをいっておった」

子規『お前は仮にも鯉であろう。鯉はゆったりと水の中で泳いでいるものだ。人間の言葉をたとえ知っていても話 してはいけない。鯉が話せば自然界の秩序が乱れる。自然は自然のままであることが望ましい』

「なとどわしに説教を述べておった。その教師くさい態度が鼻についたな。また、自分の理解を超えるものを否定しようとする考え方も人間が小さいように感じられたよ」
「それは子規という方が写実主義の立場に立つ詩人だからです。対象を写生することが詩歌にとって重要であり、ありそうもないことを決して認めようとしない人たちですよ。元々人間の小さい人たちなんです。私のようにシュールを理解する詩人は鯉さんという存在を十分認めていますけれどね」 
「それはそれは、けっこうな事だ。シュール派の詩歌はよく分からんが、基本的姿勢や考え方はけっして悪くはないようだな」
「そうですとも。文学の領域がずっと広く、ずっと深くなり、オーケストラの第二バイオリンのような存在ですよ。」
「それほどの存在とは思えんが、まあ、あってもよいかも知れぬ」
「今日は意見が合いますね」
「意見が合うということは、それほどよいことではない。異なる意見の衝突から新しい考え方が発見されるのだ。むやみに合わせてはいけない。ところで子規という男の詩歌というのはどんなものがあるのだ。彼はわしとの会話を否定しておったので、よく分からん。知っているのなら教えなさい」
「そうですね。よく知られている俳句に『柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺』 というものがあります。写生の基本のような句と言われています」
「その法隆寺という寺であるが、他の寺の名でもよいのではないのか。寺が動くではないか。」
「おお、動くとは俳句用語を知っているんですね。しかしこの場合、動かないと思います。なぜなら奈良の代表的なお寺であり、その寺の響きにはいにしえの響きが感じられ、句に深みを与えています。それと柿との対応がすばらしいということです。それからもう一つ代表的な名句として『鶏頭の十四五本もありぬべし』があります。この句を否定する方もけっこうおりますけれどね」
「鶏頭なら見たことがある。沼の周囲に百年ほど前に咲いていたことがあるよ。あまり綺麗な花ではないが、風が吹くと肉厚の部分から種がぱらぱら落ちていたな」
「そうです。その花です。その花は十四五本が丁度よいと言うんです」
「それはなぜだ?何本でもいいように思うが、なぜ十四五本がぴったりなのだ?その根拠を示してみろ。詩人よ」
「 うーん、難しいですね。それがぴったりでないという方は、この句を名句だと言いませんしね。私にもよく分からないですね」
「詩人程度の教養人がよく分からないという句が名句であるとはおかしい。これは言葉遊びということか?十四五本という言葉の響きがいいということか?本数は関係ないということか?」
「うーん、難しいですね。文学の価値を明確に説明することは甚だ難しいのです。数学とは違うのです」
「説明できぬということは、最初から存在していないということだ。存在していないものを論議することは無意味なことである。詩人よ、わしがはっきりという。これは名句ではない。迷句だな」
そういうと鯉は大笑いした。すると水面が振動し、笑いの水輪が詩人の岸に押し寄せた。
「鯉さん、恐ろしくつまらない冗談ですね。決して笑えるものではありません。箸が転んでも笑うと言われている女子学生でも笑わないでしょう」
 そう言うと、詩人は帽子を被り、竿を持って帰ろうとした。
「待て待て、詩人よ。そう勝ち誇ってはいけない。ユーモアのセンスは決して詩人に負けるものではない」
「はい、そう思います。しかし私は帰ります。気分のよい時に帰るのが一番よいのです。ではでは、さようなら」
 そう言って詩人は去っていった。鯉も納得したように沼に潜っていった。いつの間にか沼は夕日に染まっていた。
                                    つづく

ひとつもどる