鯉と詩人 その5
三週間ほどして詩人は沼へまたやって来た。いつものように釣り竿を沼にたらすと、ポケットから煙草を取り出し吸い始めた。するといつものように鯉が水面に顔を出し、
「詩人よ、久しぶりだな。おや、詩人は煙草を吸うのか?」
「ええ、煙草は唯一の楽しみですよ。躰も健康になりますからね」
「詩人的に躰はどのように健康になるのだ?」
「躰全体にニコチンの香りが伝わり、何ともいえぬ気分になり詩想にふけることができますね。詩にとってはなくてはならないものですよ。煙草の香るシュール詩人、とても素敵ではないですか」
「 躰には本当は良くないんだろう?」
「いいえ、私の知り合いの医者の詩人が言っておりましたが、死ぬ奴は煙草を吸おうと吸うまいと死ぬ時が来れば死ぬそうです。その人にとって煙草が生き甲斐ならそれはそれで良いそうです」
「鯉さんも吸ってみますか。煙草の香る鯉。うーん、あまり響きが良くないかな。でも珍しいでしょうね」
「喋る鯉というだけでわしは珍しい存在であるから、これ以上珍しくなったらばけものになってしまうであろう。はははははは・・・・・・」
「ところで詩人よ。詩を書き、釣りをする以外に普段は何をしているのだ?」
「そうですね。詩では食えませんから、やはり仕事をしております。どんな仕事をしていると思います?」
「そうだな、おぬしのような夢想家タイプは組織の中に入っては勤まらないであろうから、自営業かのう。しかしそれもやはり勤まらないであろうから、ある種の才能を切り売りして生計を立てているのであろう」
「いい所を突きますね。実は私はイラストレーターです」
「そのレイターというのはどんな仕事なのだ?」
「雑誌や本のなどの挿し絵を描く仕事ですよ。この仕事は自分の家でできるので、いちいち会社へ行く必要はないんです」
「どんな絵を描くんだ?シュール詩人のことであるから、ピカソやダリのような絵を描くんだろうな?」
「いいえ、そんな絵は挿し絵としては使えませんからだめです。一般大衆が安心するような、また出版社が喜ぶような絵です。」
「そんな絵を描いて生活しているのか?詩人のいつもの主義とは違うのではないか?」
「ええ、生活のために主義は押さえているんですよ。生活と主義とが同一である必要はないんです。主義を支えるために生活は存在しているのであり、基盤は地に足がしっかりとついていなければならならないと思います。石川啄木がそうであったように」
「石川啄木だって。 そいつのことは知っているぞ」
「えっ、何で知っているんですか?」
「そいつの歌集を読んだことがある。たしか太宰という男が沼で心中しようとした時、懐から啄木歌集がこぼれ落ちたのだ。太宰が去った後、それが水面に浮かんでいたので拾って読んだよ」
「太宰が啄木好きとは思わなかった。太宰研究者はきっと驚くでしょうね」
「太宰よりも偉い文人なのか?」
「それは何とも言えませんね。太宰は小説家であり、啄木は歌人であり評論家ですから、比較は難しいでしょうね」
「そうか。だが啄木の短歌はなかなか良かったな。ふるさとを思う気持ちが良く出ておったなあ。わしも生まれ故郷の越後の山古志村の池を思い出したわい。ああいう歌集なら買ってもよいな。シュールな短歌よりはずっと良いだろうよ」
「えっ、鯉さんはここが生まれ故郷ではないのですか。越後といえばここからずっと遠くの国ですよ」
「何故ここにいるのかはまたいつか話すことがあろう」
「私もあえて聞きませんよ。人には、否、鯉には話したくないこともあろうかと思います。さて、話を戻しますが、私は過去に一首だけ短歌を作ったことがあります。鯉さんの嫌いなシュールな短歌ですが・・・・・・」
「どんな短歌だ。是非とも聞いてみたいな」
「いや、聞くというより見るといった方が相応しいですね」
「それはどういう意味だ?」
「見れば分かります。見て感じてほしいのです」
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
シュール歌人
「何だこれは?」
「短歌ですよ」
「どこが短歌なんだ?」
「○が文字なんですよ」
「○には何も書かれていないではないか?」
「ですからシュール短歌なんですよ」
「これは短歌を馬鹿にしているのではないのか?」
「いいえ違います。立派な短歌です」
「どこが立派なのだ?」
「この短歌は、相手に想像させるのです。この短歌を見てどのように感じても解釈してもかまいません。○の中に自由に言葉を入れればよいのです。いっさいの束縛から解放された短歌なのです。よって究極のシュール短歌といえます。そして最初で最後のシュール短歌です」
「うーん、理屈なのではないのか。こんな短歌が歌壇で認められるはずはなかろう」
「ええ、私しか認めていません。それでよいのです。私が認めればそれでよいのです。それで価値があります」
「えらく尊大だな。人に認められて才能といえるんじゃないのか?誰も認めなければ才能がないということではないのか?」
「それは一般論です。真の才能は他者の評価を気にしてはいません」
「そんな人物はまずいないであろう。太宰にしても啄木にしても評価というものをとても気にしていたのではなかろうか。気にしないということは、気にしているということの証明になるのではあるまいか。気にしないなどということを連呼するものではない。相手に見抜かれてしまうであろう」
「そうですか。そうかも知れませんね。では見抜かれたところで今日は帰ることにしましょう」
そう言うと詩人は帰る支度を始めた。
「だが、詩人の○文字短歌良かったぞ。シュールの意味がほんの少しだけ分かったぞ」
これを聞いて詩人はにっこり微笑み、帰っていった。鯉は彼を見送ると水面に潜っていった。
つづく
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