名句小劇場「蚤虱の句」

太陰暦5月15日(太陽暦7月1日) 天候小雨  尿前の関(鳴子)に入る。ここを通過して、中山を経て新庄の堺田に到着した。堺田の庄屋有路家(ありじや)に一泊する。

楚良「この雨の中、泊まる処があって助かりましたなあ」
芭蕉「そうじゃな。しかし、蚤や虱が多いぞ。それに隣には馬が飼われているようじゃ」
楚良「この辺りの農家では、人の住む場所の隣に馬が飼われているのは普通らしいですよ。それだけ馬が大切にされているのかも知れませんね」
芭蕉「しかし、これではなかなか寝つかれんなあ。体がかゆくて仕方ないぞ」
楚良「雨の中、野宿するよりは遙かにマシでしょう」
芭蕉「そうじゃな・・・」
楚良「寝られぬなら句でも一つ詠みますか」
芭蕉「そうじゃな・・・」
二人は布団に横になりながら、ろうそくの明かりで句を詠み始めた。
楚良「一句できましたぞ」

蚤跳ぶや我らの回り喜びて     楚良

芭蕉「それはどういう意味かね?」
楚良「はい、久しぶりに我々、つまり客が泊まったので、蚤たちは美味しいご馳走にありつけて大喜びしているという意味です」
芭蕉「談林風の、まあまあの句じゃな」
楚良「蕉風ではありませんか?」
それには応えず、芭蕉一句書き出した。

蚤虱馬の尿(しと)する枕もと      芭蕉

楚良「『暗がりの中で蚤や虱が現れ、馬の小便の音までもが枕元に響いてくる』という意味ですね」
芭蕉「そうじゃのう。『なかなか侘びしい処で、大変な目にあっているなあ』という感慨も含まれておる」
楚良「馬の小便まで読み込むとは大したものですね。私はこういうものを詠めるとは思いませんでした」
芭蕉「だが、句が下品になってはいかんな。そこが難しい処だよ・・・」
楚良「それから一つ疑問があるのですが・・・」
芭蕉「それは何じゃ?」
楚良「尿は「しと」とも読みますが、「ばり」とも読めますし、動物の小便の場合は「ばり」と読むのではないでしょうか?」
芭蕉「そうじゃな。しかし、『尿前(しとまえ)の関』を通ってきたのじゃから、「しと」と読ませたいものじゃ」
楚良「なるほど、それはいいですね。しかし、読み方はふりがなを振らないと分かりませんね」
芭蕉「発句にふりがなは不要じゃ」
楚良「それは何故で?」
芭蕉「発句は相手に示せばそれまでじゃ。解釈は相手にゆだねるものなのじゃ」
楚良「なるほど。発句は挨拶句でしたな。では、ご自由にということで・・・」

 二人は蚤虱に喰われながらも、疲れていたので、そのうち眠ってしまった。次の日は朝から激しい雨が続き、この日も有路家に泊まることになった。
 太陰暦5月17(太陽暦7月3日)日は快晴であり、笹森の関所を越えて、出羽の国(山形)へ入った。難所の山刀伐峠(なたぎりとうげ)を越えて、尾花沢の鈴木清風の家に泊まった。

                                               2008.5.31