名句小劇場「尾花沢の三句」
太陰暦5月17日(太陽暦7月3日) 天候小雨 尾花沢の鈴木清風宅に着く。
鈴木清風は紅花の問屋をしている人であり、その土地の有力者であった。俳諧にも親しみ芭蕉とも江戸で交流があった。清風に歓迎されて、何日か宿泊することになった。風呂にも入り、二人は離れの住まいで宿泊させてもらうことになった。
楚良「尾花沢はいい処ですねえ。清風殿もとてもいい方でいらっしゃる」
芭蕉「そうじゃな。清風殿の接待には感謝するかぎりじゃ・・・」
楚良「・・・さて、寝る前に一句詠みますか?」
芭蕉はそれには何も応えず、書き物を開くと直ぐに一句書き出した。
涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉
楚良「おや、とても早いですねえ・・・。さて『ねまる』とはどんな意味です?」
芭蕉「ねまるとはこの地方の方言じゃ。先ほど奥方が使っていたので、訊いてみたんじゃが、『ゆっくりとくつろぐこと』だそうじゃ」
楚良「なるほど・・・、句の意味は、夏なのに涼しいお宅で、まるで自分の家のようにゆったりとくつろいでいます、ということでしょうか」
芭蕉「そうじゃな。もてなしに対する清風殿への挨拶句じゃ」
楚良「それにしても『ねまる』という言葉はなかなか風情がありますねえ。方言も馬鹿にできませんね。おや、それに句に方言入れたのは初めてでしょうか?」
芭蕉「そうじゃな。あまり方言を使った記憶はない。しかし、ねまるという言葉の響きはなかなかよいように思う。使える言葉じゃな。しかし方言はあまり使うべきではないぞ」
楚良「はい、一生に一回ほどは使用できましょうか」
芭蕉「それはどうかな」
といって笑った。
楚良はふと句を思いつき、一句書き出した。
ねまるとはよき訛りなり尾花沢 楚良
楚良「どうでしょう?」
芭蕉「うむ、どうでしょう以前の句じゃな。季語はどうした? 楚良よ。今夜は調子が悪いようじゃから、寝ることにしようぞ」
楚良「・・・はい」
芭蕉は直ぐに眠ったが、楚良はなかなか寝つかれなかった。
翌朝、二人は早く起き出し、朝食の前に周囲を散策することにした。二人はある農家の庭をのぞき込こみ、
楚良「おや、何を飼っているのでしょうか?」
芭蕉「蚕だな。この地方では紅花だけでなく、養蚕も盛んなようじゃ」
楚良「そうですか。私は蚕というものを見たことがありません。一つ見たいものですね」
芭蕉「気持ちのいい虫ではないぞ。しかし、頼んでみよう」
二人は農家の方にお願いして、蚕を見させてもらった。
楚良「おお、元気な虫ですな。これが絹糸を出すのですか、なかなか想像がつきませんよ」
芭蕉は蚕を眺めつつ、一句書き出した。
這出よかひや(飼屋)が下のひきの声 芭蕉
楚良「ああ、確かに蛙が啼いていますね。蟾蜍(ひきがえる)ですか?」
芭蕉「いや、蟾蜍ではないであろう・・・」
楚良「えっ? それでも・・・」
芭蕉「かまわぬ。蚕に蟾が似合っているということじゃ。青蛙では似合わないであろうよ」
楚良「なるほど、そういうものですか・・・」
芭蕉「そういうものじゃ。どのような季語を選ぶか、ここが才能じゃろう。この季語は動かぬ。この感覚が分かるようであれば一人前じゃ」
楚良「なるほど、そういうものなのですね・・・」
そういうと楚良は一句書き出した。
蟾蜍啼いてをれども何処にや 楚良
楚良「いかがでしょう?」
芭蕉「うむ、今日も調子が悪いようじゃな・・・」
楚良「はい・・・。確かに・・・」
暫く歩くと紅の花畑がずっと広がっている処に出た。
芭蕉「おお、美しい風景じゃな・・・」
楚良「はい、その通りで・・・」
芭蕉「楚良よ。元気がないようじゃ・・・。一句、この紅花で詠んでみなさい」
そういわれ楚良はあまり気が進まなかったが、一句詠んでみた。
何処までも行けど行けども紅畑 楚良
楚良「確かにそうじゃな・・・。しかし・・・」
楚良「・・・師匠、是非見本となる句をお願いします。学びたいと思います」
芭蕉「そうじゃな。見本にはならんが、こんな句はどうかな・・・」
まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 芭蕉
楚良「おお、この意味は、眉掃きによく似た紅粉の花であることよ、ということですね」
芭蕉「そうじゃな・・・」
楚良「あのう、眉掃きとは具体的にどのような時に使うものなのでしょう?」
芭蕉「眉掃きとは、顔に白粉を付けた後、眉を掃く小さな刷毛のことじゃな」
楚良「ああ、見たことがあります。確かによく似てますね・・・。なるほど、眉掃きが思い浮かぶとは凄いですね・・・。私の句とは天と地ほどの差があることがよく分かります・・・」
芭蕉「天と地ほどの差はないな・・・。強いていえば、紅粉と蒲公英ほどの違いじゃな・・・」
楚良にはどれくらい違うのかよく分からなかったが、訊ねられるような雰囲気はなかった。
芭蕉「さて、清風殿の屋敷に戻ろう。腹がへったことでもあるし・・・」
二人は戻り、朝食を食べ、ゆったりとくつろいだ。いくつかの俳諧にも出て、何日か尾花沢で過ごした。
太陰暦5月27日(太陽暦7月13日) 天候晴 朝方、尾花沢の清風の屋敷から出発し、南下して立石寺(山寺)へと向かう。
2008.6.4