名句小劇場「蝉の声の句」

太陰暦5月27日(太陽暦7月13日) 昼 天候快晴  芭蕉と楚良(筆者)は、尾花沢から南に下って立石寺(山寺)に向かう。立石寺は慈覚大師という坊さんが造った寺で、尾花沢の人々から是非見学するよう強く勧められたので、予定にはなかったが行くことにした。

楚良「おお、山寺が見えて来ましたよ。師匠、なかなか素晴らしいお山ですな」
芭蕉「そうじゃのう。さて、麓のお寺で少し休んでから、ゆっくり登ろうぞ」
楚良「上からの景観は又絶景でしょうな」
暫く休むと二人はゆっくり階段を登り始めた。頂上まで階段がずっと続いていた。半分ほど登ったであろうか。
楚良「いやあ、疲れますなぁ。師匠、ここら辺で少し休みましょう」
芭蕉「そうするかのう・・・。わしも少し疲れたな・・・」
二人は近くの岩場に腰掛けて、周囲の景観を眺めた。
楚良「景観は素晴らしいですが、蝉がうるさいくらい鳴いてますよ」
芭蕉「蝉か・・・」
楚良「何かいい句ができそうですか?」
芭蕉は何も答えず、書き物を取り出すと、考え込んだ。
楚良も芭蕉のように書き物を取り出し暫く考え、芭蕉より早く書き始めた。
楚良「師匠、一句できました。どうです。こんな句は」

蝉時雨どしや降りの如降りにけり   楚良

楚良「バシャバシャ降ってうるさいくらいですよ。どうでしょうか。師匠」
芭蕉「楚良よ。うるさいか・・・。わしにはうるさいとは感じられんのじゃが・・・」
楚良「えっ!? 蝉時雨はうるさいですよ。うるさすぎて他に何も聞こえませんよ」
芭蕉「それは蝉時雨以外何も音がないからじゃな」
楚良「そういわれればそうですね。さすが師匠ですね。私とは見所が違いますよ」
楚良はそういうと、また何か書き始めた。
楚良「また出来ました。こんな句はどうです」

蝉時雨聞えて来るはそればかり   楚良

芭蕉「先ほどよりはほんの少しマシな句ができたようじゃな。だが『そればかり』は今一つじゃな」
楚良「たしかに、そうですね。それは兎も角、師匠はどんな句ができましたか」
芭蕉「蝉時雨以外何も聞こえないということは、それを除けばとても静かなお山であるということではあるまいか。さて、蝉の声じゃが、よく聞いていると何かに吸われているような感じがするのじゃ」
楚良「そうですか。何に吸われているのでしょう? 澄み渡る空ですかな」
そういうと楚良はまた何か書き始めた。
楚良「師匠、またまた出来ましたよ。こんなのはどうです」

蝉時雨空に吸はるるばかりなり    楚良

芭蕉「うん、先ほどの句よりはマシじゃな。しかし、そんな感じであろうか・・・。蝉は何の蝉かな?」
楚良「それはニイニイ蝉ですよ。山寺には相応しい蝉ですね」
芭蕉「さて、蝉は雄しか鳴かなかったかな?」
楚良「ええ、そうですよ。雌蝉は鳴きません」
芭蕉「雌蝉は何をしているのであろう?」
楚良「そりゃあ、何もしてませんよ。木にしがみつき沈黙してるだけです・・・」
そういうとまた楚良は句を書き始めた。
楚良「またまたまた、出来ましたよ。うん、今度はまあまあでしょうか」

蝉時雨雌は鳴かずに樹木かな    楚良

芭蕉「うん、楚良にしてはなかなかであろうか・・・」
楚良「ありがとうございます。師匠からそういわれるととても嬉しいです。さて、師匠はどんな句をお詠みになりましたか?」
芭蕉「わしは蝉時雨と静かさの関係を考えているんじゃよ。つまりうるさいと思われている蝉時雨でこのお山の静寂を表現してみたいのじゃ」
そういうと芭蕉は句を書き始めた。
芭蕉「どうじゃな。こんな句は」

閑かさや岩にはり付く蝉の声    芭蕉

楚良「素晴らしい句ですね・・・。あのう、『はり付く』ですか。どうなんでしょう。はり付く感じはあまりしませんが・・・」
芭蕉「そうか・・・。それならしみ入るではどうかな」

閑かさや岩にしみ入蝉の声     芭蕉

楚良「おお、それはとてもいいですね。静寂が蝉時雨で表現されている感じがします。しかし、本当に蝉時雨はしみ入るんですか? 音は岩にしみ入るものではじゃないでしょう」
芭蕉「楚良よ。句は文芸なんじゃ。事実ばかりを詠むからいいというもんじゃない」
楚良「なるほど。『句は事実にあらず』ということですね」
芭蕉「事実なら蝉時雨は地面に降りそそぎ、消えていく感じじゃろう。それではありきたりで面白くないのう」
楚良「たしかにそうですね」
楚良はまた句を書き始めた。

蝉時雨何処に消えてゆくのやら   楚良

楚良「どうですか。師匠」
芭蕉「お前の句は、まだまだ談林風じゃな」
楚良「はい、頑張っているんですが、なかなか芭蕉風が身に付きません・・・」
芭蕉「修行が大切じゃな。ではまた登ろう」
楚良「はい、師匠」
そういうと二人はまた登り始めた。蝉時雨は静かなまでに山寺全体に鳴り響いていた。

                                            2008.5.17