名句小劇場「塚も動けの句」
太陰暦7月15日(太陽暦8月29日) 高岡から金沢城下に到着する。そこで多くの加賀蕉門の人らと会う。牧童らから門人の一人である一笑の死を知らされる。
芭蕉「おお、一笑は既にこの世の者ではないのか!」
牧童「はい、去年の冬に病でなくなりました。とても俳諧に熱心な方でした。師匠と是非お逢いしたいと最後まで願っていました・・・」
芭蕉「わしも是非逢いたかったぞ。それが金沢での・・・」
芭蕉はそれ以上何もいわず無念の表情を浮かべた。
楚良「・・・一笑殿のお墓参りに是非行きましょう」
芭蕉「そうじゃ・・・な・・・」
二人は門人らに連れられて、一笑の墓参りに行った。
墓の前に立ち、芭蕉は書き物を取り出すと一気に書き出した。
塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
楚良「この句は、『墓石よ再び動き、一笑の魂よ。顕れ出でよ。我が悲しみの声は秋の風と共に吹き渡っている』という意味なのでしょう。師匠の句には、このような慟哭の句はほとんどありませんね・・・」
牧童「それだけ一笑殿の死が大きかったということなのでしょうか・・・」
門人たちは暫く黙ったまま、芭蕉の句をかみ締めていた。
二人はその夜、門人たちとの俳諧を行った。その席の途中、
楚良「師匠、どうもお腹の調子がよくありません。このまま休ませてください」
芭蕉「そうじゃな。長旅で疲れも出たのであろう。今夜はゆっくりと休みなさい」
楚良はみんなに挨拶をしてその場を立ち去った。楚良のお腹はなかなかよくならず、金沢の名所巡りもできなかった。芭蕉は門人に連れられて、金沢百万石の城下町を十分楽しみ、夜は門人らと俳諧をいくつか行った。
門人の中に刀研師の北肢(筆者・奥の細道で実際に旅をしたのは立花北枝という人物です。)という人物がいたが、小松温泉を案内したいということで、途中まで旅のお供をすることになった。また芭蕉門にも加わることになった。
2008.6.7