名句小劇場「湯の匂の句」

山中温泉では、和泉屋久米之助宅に何日か泊まった。ここの主人は当時14歳であり、久米之助は幼名であり、後に甚左衛門と名乗る。この時、久米之助は芭蕉から桃妖(とうよう)という俳号を戴いた。
芭蕉と北肢は、和泉屋のすぐ近くの共同温泉「菊の湯」にゆったりと入っている。

芭蕉「ああ、気持ちがいいな・・・。楚良もこの湯で病気を治して欲しいものじゃ」
北肢「そうですね。この山中温泉の湯の効能は、有馬温泉につぐといわれております」
芭蕉「そうか。確か、ここの湯の名前は菊の湯とか申したな・・・」
北肢「はい、そうですが・・・」
芭蕉は暫く沈黙すると、一句披露した。

山中や菊は手(た)折らぬ湯の匂    芭蕉

北肢「句の意味は、どういうものなのでしょう?」
芭蕉「これはじゃな。中国の故事を知らんと分からぬものじゃ。周の国の慈童が十六歳の時に罪のために流罪となったが、菊の花を愛し、菊の露を飲んで不老長寿になったという話がある。それを踏まえての句なのじゃ。つまり、『ここ山中温泉では、慈童ように菊を折ってその露を飲まなくとも、効能のある湯の匂いが立ち込めています』という意味じゃ」
北肢「なるほど、よく分かりました。中国の故事の知識がないとなかなか読み取れませんね。知識人向きの句ということですね」
芭蕉「いやいや、この程度の知識は俳人なら欲しいところじゃな」
といって笑った。
北肢「それではわたしも一句、師匠の発想を少しいただき詠ませていただきます」

湯のけむり病を包む星月夜     北肢

北肢「これは、『湯のけむりは病を包んで治していきますよ。今夜は星がとてもきれいですよ』という意味の句です」
芭蕉「これは取り合わせの句じゃな」
北肢「取り合わせの句とは、具体的にはどういうことなのでしょう?」
芭蕉「それはじゃな。二つの異なることを組み合わせて句を構成することじゃ。この場合、『湯のけむり』と『星月夜』の二つじゃ。この二つがあまり離れすぎていると句としてはよく分からなくなるし、近すぎても今ひとつじゃな。このかね合いがなかなか難しいのじゃ」
北肢「なるほど、良く分かりました。二つの関係をよく考えて、取り合わせの句を詠んでいきたいと思います」
芭蕉「さて、長く入ってしまい、少し湯にあたったようじゃ。上がって少しお酒でも飲もうぞ」
北肢「それはいいですね。私も少しいただきますよ」
二人は和泉屋に戻り、酒を飲みながら俳諧談義を続けた・・・。

                                              2008.6.8