名句小劇場「湯殿山の句」

太陰暦6月7日(太陽暦7月23日)湯殿山(標高1500メートル)に行く。昼には月山に戻る。夕方、南谷別院に戻る。
湯殿山は月山の中腹にある山である。羽黒山も同様である。出羽三山というが、実際は月山一つの山といってもよいのである。
芭蕉と楚良は湯殿山のご神体に続く山道を登った。途中の石段には小銭がたくさん落ちていた。拾うものは誰もいないようである。ご神体の少し前に小さな門があり、そこで草履を脱ぐことになっていた。神聖なご神体を拝むためには裸足でなければならないのである。門の前でお祓いをしてもらってから中に入り、暫く歩くと大きな赤茶けた巨岩があった。岩の天辺あたりから温泉がゆるやかに流れ出ていた。
楚良「おお、これがご神体ですか。荘厳な巨岩ですね・・・・・。でも何かに似てますよ」
芭蕉「そうじゃな。女性の陰部に似ておろうかな」
楚良「たしかに。・・・でも男性のにもやや似ていますね・・・・・・。湯殿山は羽黒山や月山とは異なり、艶っぽいお山ですな」
芭蕉「堅いだけでは人は寄らぬ。出羽三山のうち一つくらいそんなお山があっても良いであろう」
楚良「そうですな。では一つ、師匠。恋の歌でも・・・」
そういうと楚良は笑った。しかし芭蕉は真面目な顔をして、書き物を取り出し、一句書き始めた。

語られぬ湯殿にぬらす袂かな      芭蕉

楚良「この句の意味は、どうでしょう?」
芭蕉「それほど難しい句ではあるまい。湯殿山には昔から敵わぬ恋や失恋、口には出せぬ恋などいろいろあろう。人に話すことのできぬ恋をしてしまい、袂が泪で何度も濡れたことよのう、という意味じゃな」
楚良「なるほど、師匠はこういう句でも容易に詠めるんですね。実に大したものです。しかし、・・・・・・」
芭蕉「しかし、とは何じゃ?」
楚良「恋のことだけではなく、決して語ってはならない秘め事がある故、湯殿山で泣いていますよ、という意味にも解釈できますよ」
芭蕉「そうじゃのう・・・。その方が分かりやすいかもしれぬ・・・・・・」
芭蕉「さて、楚良も一句詠んでみなさい」
楚良はなかなか詠めないでいたが、暫くしてから、

湯殿山逢いたき人は人妻に     楚良

芭蕉「うーん、この句は書きとめなくてもよいであろう」
楚良「はい、詠み捨てご免の句です」
芭蕉「本当に人妻か?」
楚良「いえいえ、文芸ですから・・・。師匠の真似を少ししたまでのことです」
芭蕉はそれには何も応えず、
芭蕉「さて、月山に戻ろう。雲も広がり始めたようじゃな・・・・・・」
湯殿山と月山は連なっており、行き来も比較的容易である。昼に月山に戻り、食事を取ってから、南谷別院に戻り、そこで泊をとった。南谷別院を拠点として三山巡りをしていたということである。

太陰暦6月10日(太陽暦7月26日)、羽黒山を去ることになり、本坊にて會覚阿闍利と会い、三山巡礼の発句を短冊に残すよう頼まれた。
この3句である。
涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峰いくつ崩れて月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂かな      

                                          2008.5.24