紅屋・原田鵲齋隠居跡


良寛様の学友、原田鵲齋(1763年〜1827年)は、晩年の十年間、加茂市の
紅屋治五郎の屋敷で隠居していました。そこで亡くなり(文政十年二月十六
日・享年六十五歳)、亡骸は橇で故郷の中島(旧分水町)に運ばれ、荼毘に
ふされたと言い伝えられています。
紅屋は紅脂製造で財をなし、また、明治の神仏分離運動で知られる小池内
広(右写真)も紅屋出身です。
紅屋は加茂市上町2番地付近にありましたが、現在は一部が駐車場となっ
ています。