五合庵

この木額は、明治の書聖といわれた中林梧竹の書です。


焚くほとは風がもてくる落葉かな

俳句

あすからはわかなつまむとおもひしにきのふもけふもゆきはふりけり

和歌

説明看板です。 良寛様の俳句です。 良寛様の和歌です。
五合庵です。 五合庵の隣のひょうたん池跡です。 万元上人のお墓が五合庵の隣にありま
す。遺言でここに建てられました。
新潟県旧分水町の国上山にある国上寺の付属の草
庵であり、茅葺きの5坪ほどの庵です。
五合庵は万元上人が最初に住み、毎日米五合を国
上寺からいただいたということで、五合庵と呼ばれる
ようになりました。
万元上人は国上寺中興の祖とあがめられています。
その後は国上寺の住職が引退した後にここに住むよ
うになりました。
良寛様は、文化元年(1804年)から文化14年(1817年)
までここに住んでいました。
五合庵の内部です。
五合庵のすぐ脇に小川霞山(かさん)
の墓があります。岩室の医師であり、
絵描きでした。橘茂孝ともいいます。
良寛様を慕い、遺言してここに墓を建
てました。明治元年に亡くなりました。