良寛様全歌集 長歌の部


番号

長歌の部(吉野秀雄「良寛歌集」参考)

1176

     雪の雁

風まじり   雪は降り来ぬ  雪まじり   風は吹き来ぬ
このゆふべ   起きゐて聞けば  かりがねも    天つみ空を
なづみつつゆく

ひさかたの雲居をわたる雁がねも羽しろたへに雪や降るらむ

1177

    風雪雨     春のつれづれ

風まぜに   雪はふりきぬ  雪まじり   雨はふりきぬ
あづさゆみ   春にはあれど  鶯も   いまだ来鳴かず
野にいでて   若菜も摘まず  たれこめて   草のいほりに
こもりつつ   うち數ふれば  正月もや   すでに半ばに
なりにけるかな

1178

    きさらぎの末つ方雪の降りければ

風まぜに   雪はふりきぬ  雪まぜに   風はふききぬ
埋み火に   足さしのべて  つれづれと   草のいほりに
とぢこもり   うち数ふれば  きさらぎも   夢の如くに
尽にけらしも

月よめばすでにやよひになりにけり野べの若菜もつまずありしに

1179

      ○

風まぜに  雨はふりきぬ  雨まぜに  風は吹き来ぬ  をとつひも  
きのふもけふも   たれこめて  飯をも乞はず  野べに出でて
若菜も摘まず  手を折りて  うち数ふれば  きさらぎの  二十日あまりに
なりにけらしも

1180

    きさらぎ

冬ごもり   春にはあれど  埋み火に   足さしのべて
つれづれと   草の庵に  とぢこもり   うち数ふれば
きさらぎも   夢の如くに  すぎにけらしも

1181

    手毬をよめる

冬ごもり   春さりくれば  飯乞ふと   草のいほりを
立ち出でて   里にい行けば  たまぼこの   道の巷に
子供らが   今を春べと  手まりつく   ひふみよいむな
汝がつけば   吾はうたひ  あがつけば   なは歌ひ
つきて歌ひて   霞立つ   長き春日を   暮しつるかも

霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ

1182

       ○

冬ごもり  春さりくれば   飯乞ふと  草のいほりを  立ち出でて  里にいゆけば
里子とも  今を春べと   たまほこの   道のちまたに  てまりつく  我もまじりて
その中に  ひふみよいむな   汝がつけば   吾はうたひ  あがうたへば
なはつく  つきてうたひて  霞立つ  ながき春日を   暮らしつるかも

霞立つ永き春日を子どもらと手毬つきつつこの日暮らしつ

1183

    また

あづさゆみ   春さりくれば  飯乞ふと   里にいゆけば
里子ども   道の巷に  手まりつく   われも交じりぬ
そが中に   ひふみよいむな  汝がつけば   吾はうたひ
あがうたへば   なはつきて  つきて歌ひて   霞たつ
長き春日を   くらしつるかも

霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ此の日暮しつ

1184

   鉢の子

鉢の子は   愛しきものかも  幾年か   わが持てりしを
今日道に   置きてし来れば  立つらくの   たづきも知らず
居るらくの   すべをも知らに  かりこもの   思ひみだれて
ゆふづつの   かゆきかくゆき  とめゆけば   ここにありとて
我がもとに   人はもて来ぬ  うれしくも   持て来るものか
その鉢の子を

春の野に菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来しあはれ鉢の子

1185

     鉢の子

鉢の子は   愛しきものかも  朝夕に   わが身をさらず
あさなけに   もたりしものを  今日よそに   わすれて来れば
たつらくの   たつきもしらに  居るらくの   すべをも知らに
かりごもの   思ひみだれて  夕づつの   かゆきかくゆき
玉ぼこの   道のくまぐま  隈もおちず   とめてゆかんと
おもふ時   ここにありとて  鉢の子を   人はもて来ぬ
うれしくも   もて来しものか  よろしなべ   もち来しものか
その鉢の子を

1186

     鉢の子

鉢の子は   愛しきものかも  今日よそに   置きてし来れば
立つらくの   たづきも知らず  居るらくの   すべをも知らず
夏草の   思ひしなえて  夕づつの   かゆきかくゆき
ひさがたの   雪はふるとも  よしゑやし   あしびきの
山をも越えて   峰もこえて  わがとめ行かん  と おもひし折に
たまほこの   道にありとて  わがもとに   人はもて来ぬ
うれしくも   持ち来るものか  われこそは   主にはあらめ
その鉢の子の

1187

     鉢の子

鉢の子は   愛しきものかも  しきたへの   家出せしより
あしたには   腕にかけて  ゆふべには   手上にのせて
あらたまの   年の緒ながく  持たりしを   今日よそに
忘れて来れば   立つらくの  たづきも知らず   居るらくの
すべをも知らず   かりごもの  おもひみだれて   ゆふづつの
かゆきかくゆき   たにぐくの  さわたる底ひ   天雲の
むかふすきはみ   天地の  よりあひの限り   杖つきも
つかずも行きて   尋めなむと  思ひし時に   鉢の子は
ここにありとて   わがもとに  人は持て来ぬ   いかなるや
人にませかも   ちはやふる  神ののりかも   ぬばたまの
夜の夢かも   嬉しくも  持て来るものか   よろしなべ
持ち来るものか   その鉢の子を

道のべの菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来しその鉢の子を
鉢の子をわれ忘るれどとる人はなし取る人はなし鉢の子あはれ

1188

   またはちのこのうた

鉢の子は   愛しきものかも   いくとしか   わが持てりしを   けふ道に
置きてしくれば    漕ぐ船の   桿なきがごと   飛ぶ鳥の  羽なきがごと
玉藻なす   おもひみだれて  ゆふづつの   かゆきかくゆき   なさむすべ
せむすべ知らに  ひさかたの   雪は降れども   よしゑやし   雨はふるとも
山にもあれ   野にもあれ    わがとめゆかむと    おもふを   鉢の子は
ここにありとて   わがもとに   人はもて来ぬ   うれしくも   もちくるものか    
この鉢の子は   わがのにてぞある   その鉢の子は
    

1189

     卯月の二十日ばかり国上より山越えに野積へ行くとて


あしひきの   野積の山を  ゆくりなく   わが越え来れば
をとめらが   布さらすかと  見るまでに   世を卯の花の
咲くなべに   山時鳥   をちかへり   おのが時とや
来鳴きとよもす

時鳥鳴く声きけばなつかしみこの日暮らしつその山のべに

1190

   天保元年五月大風の吹きし時のうた

我が宿の   垣根にうゑし  秋萩や   ひともとすすき
をみなへし  なでしこ  ふぢばかま   鬼のしこぐさ
拔きすてて   水を注ぎて  日覆して   育てしぬれば
たまほこの   道もなきまで  はびこりぬ
朝な夕なに  行きもどり   そこに出で立ち
立ちてゐて   秋待ち遠に  思ひしに   時こそあれ
さ月の月の   二十日まり  四日の夕べに   大風の
きほひて吹けば   あらがねの  土にのえふし    ひさかたの
天にみだりて   百千千に  なりにしぬれば   門閉して
足ずりしつつ   いねぞしにける  いともすべなみ

手もすまに植ゑて育てし八千草は風の心に任せたりけり

1191

    禅師のきみの御歌ども聞くままにかきつく

わが宿の  垣根に植ゑし   秋萩や  ひともとすすき  をみなへし  
しをにかるかや  藤袴  しこのしこ草  とり捨てて  水をそそぎて
日おひして  そだてしぬれば  たまほこの  道もなきまで  はびこりぬ
朝なゆふなに  行きもどり  そこに出でたち  露霜の  秋待ちほどに
思ひしを  時こそあれ  さつきの  はつかあまり  四かのゆふべの  
した風の   しをりてふけば  あらがねの  つちにぬへふし
ひさかたの  空にみだれて  ももちぢに  くだけしぬれば  
門さして   いねぞしにける  いともすべなみ 

1192

   天保元年五月大風の吹きし時のうた

み園生に   植ゑし秋萩  旗すすき   すみれたんぽぽ
ねむの花   芭蕉朝顔  ふぢばかま   しをにつゆくさ
わすれ草   朝な夕なに  心して   水を注ぎて
日おひして   育てしぬれば  常よりも   異にはあれと
人もいひ   われも思ひしを  時こそあれ   さ月の月の
二十日まり   五日の暮の  大風の   狂ひてふけば
あらがねの   土にのべふし  ひさかたの   雨にみだりて
百ちぢに   もまれにければ  あたらしと   思ふものから
風のなす   わざにしあれば  せむすべもなし

わが宿に植ゑて育てし百くさは風の心に任すなりけり
手もすまにうゑてそだてし八千ぐさは風の心にまかせたりけり

1193

    秋のあはれ

夕ぐれに    国上の山を  越えくれば   高根には
紅葉ちりつつ    麓には  鹿ぞ鳴くなる   紅葉さへ
時は知るといふを    鹿すらも   友をしをしむ   むべらへや
ましてわれは   うつせみの世の  人にしあれば

わが宿を尋ねて来ませあしひきの山のもみぢを手折りがてらに
露霜の秋の紅葉と時鳥いつの世にかはわれ忘れめや
おと宮の森の木下にわれをれば鐸(ぬて)ゆらぐもよ人来るらし

1194

     あきのあはれ

たそがれに   国上の山を  越えくれば   高ねには
鹿ぞ鳴くなる   麓には  紅葉ちりしく   鹿のごと
音にこそ鳴かね   もみぢ葉の  いやしくしくに   ものぞかなしき

1195

   秋のあはれ

あしひきの   国上の山を   たそがれに    わが越えくれば
高根には   鹿ぞ鳴くなる   麓には    紅葉散りしく
さを鹿の   音には鳴かねど  もみぢばの    いやしくしくに
ものぞ恋しき

ゆふぐれに国上の山を越えくれば衣手さむし木の葉散りつつ

1196

    秋のねざめ

この秋は   かへり来なむと  朝鳥の   音づれぬれば
さを鹿の   朝臥すを野の  秋萩の   はぎの初花
咲きしより   今かいまかと  たち待てば   雲居に見ゆる
かりがねも   いや遠さかり  行くなべに   山のもみぢは
散りすぎぬ   もみぢはすぎぬ  今さらに   君かへらめや
ふる里の   荒れたる宿に  ひとりわが   ありがてぬれば
たまだすき   かけてしぬびて  ゆふづつの   かゆきかくゆき
さすたけの   君もや逢ふと  わけゆきて   かへり見すれば
五百重山   千重に雪ふり  たなぐもり   袖さへひぢて
慰むる   心はなしに  からにしき   たちかへり来て
草の庵に   わびつつぞゐる   逢ふよしをなみ

秋山の紅葉はすぎぬ今よりは何によそへて君をしのばむ

1197

    秋のめざめ
    (右の歌の第十六句以下左の如きもあり)

・・・・・・・・ 山のもみぢは  ちりすぎぬ ふるさとの
あれたる宿に   ひとりわが  ありがてぬれば   たまだすき
かけてしぬびて   さすたけの  君も逢ふやと   ゆふづつの
かゆきかくゆき   うち見れば  いほへ山   み雪ふりしき
とのぐもり   袖さへさえて  わが思ふ   千重の一重も
なぐさむる   心はなしに  からにしき   たちかへり来て
草の庵に   わびつつぞをる  逢ふよしをなみ

秋山の紅葉はすぎぬ今よりは何によそへてこの日暮らさむ
今更に死なば死なめと思へども心にそはぬいのちなりけり

1198

      ○

はふたつの   別れてしより   ぬばたまの   夢にも見えず   たまづさの
使も来ねば   立ちてみて   ゐてみてみれど  すべをなみ   庵を出でて
見渡せば   五百重山  千重に雪ふり   雲がくり  袖さへひぢて 
慰むる   心はなくに   かへり来て   ねやにこもりて・・・・・・   

1199

     (阿部定珍におくれる歌)

わが宿の   もみぢを見にと   契りてし   君もや来ると
この頃は   たちて見居て見   わが待てど   君は来ずけり
あさなさな   霜はおくなり   よひよひに   雨はふるなり
時じくも   風さへ吹けば   殘りなく   散りもすぎなん
散りすぎば   いかにわがせむ   散りもせず   色も變らぬ
もみぢばの   ありてふことは   ちはやふる   神代もきかず
うつせみの   人も語らず    もろこしの   ふみにも見えず
そこおもへば   かにもかくにも   すべをなみ   折りてけるかも
宿のもみぢを

わが園のかたへの紅葉誰れまつと色さへ染まず霜はおけども
露霜にやしほ染めたるもみぢ葉を折りてけるかも君待ちがてに

1200

    定珍がもとにて

あしひきの   山のたをりの
もみぢ葉を   わがぬれつつも
君がみためと    手折り来しわが

あしひきの山のたをりのもみぢ葉をたをりてぞこし雨の晴れ間に
    

1201

    定珍がもとにて

かなたには   紅葉を瓶にさし   こなたには   もみぢを紙にすり
もみぢの歌を   詠みあうて   秋のなごりは   この宿にせむ

1202

     初時雨

神無月   しぐれの雨の  をとつ日も   きのふも今日も
降るなべに   山のもみぢは  たまほこの   道もなきまで
散りしきぬ   夕さり来れば  さすかけて   つま木焚きつつ
やまたづの   向ひの丘に  さを鹿の   妻よび立てて
鳴く声を   聞けば昔の  思ひ出て   うき世は夢と
知りながら   憂に絶へねば  さむしろに   衣片敷き
うち寝れば   板じきの間より  あしひきの   山下風の
いと寒く   吹き来るなべに  ありぎぬを   ありのことごと
引きかづき   こひまろびつつ  ぬばたまの   長きこの夜を
いも寝かねつも

1204

    岩室の松

岩むろの   田中に立てる  ひとつ松あはれ   一つ松
濡れてを立てり   笠かさましを   一つ松あはれ

岩室の田中の松を今日見ればしぐれの雨にぬれつつ立てり

1205

    また

岩室の   田中に立てる  一つ松あはれ   しぐれの雨に
ぬれつつ立てり    人にありせば  蓑きせましを   笠かさましを
一つ松あはれ

行くさ来さ見れどもあかぬ岩室の田中に立てる一つ松あはれ

1206

    いはむろの一つ松をよめる

いはむろの   たなかに立てる  ひとつ松の木  けさ見れば   
しぐれの雨に    ぬれつつ立てり  ひとつ松  人にありせば  
笠かさましを  蓑きせましを   ひとつ松あはれ

いくさくさ見れども飽かぬ岩室の田中に立てるひとつ松の木

1207

      冬ごもり

あしひきの   国上の山の  冬ごもり   日に日に雪の
降るなべに   往き来の道の  跡も絶え   ふる里人の
音もなし   うき世をここに  門さして   飛騨のたくみが
打つ繩の   ただひとすぢの  岩清水   そを命にて
あらたまの   今年の今日も  暮しつるかも

わが宿は国上山もと冬ごもり往き来の人のあとかたもなし
今よりはふる里人の音もなし峰にも尾にも雪の積れば
山かげのまきの板屋に音はせねど雪の降る日は空にしるけり
柴の戸の冬のゆふべの淋しさはうき世の人のいかで知るべき
さ夜ふけて岩間のたぎつ音せぬは高嶺のみ雪降り積るらし
み山べの雪ふりつもる夕ぐれはわが心さへ消ぬべくおもほゆ

1208

       ○

あしひきの 国上山もと  冬ごもり  嶺にも峰にも  白雪の  つもりつもりて
飛ぶ鳥の  声もきこえず  里びとの  ゆきかふ道の  あともなし  
うき世をここに  門閉して  飛騨のたくみが  うつはなの  ただひとすぢの
岩しみづ  そをいのちにて   あらたまの  ことしのけふも  くらしつるかも

さよふけて高嶺のみ雪積もるらし岩間にたぎつ音だにもせぬ

1209

   今朝は品品たまはりし恭しく受納候

わが庵は  国上山の  冬まけて  日にけにみ雪  降るなべに  ふるさとびとの
音もなし  往き来の道の  あともなし  うき世をここに  門さして  ひだのたくみが
うつ縄の  ただ一すぢの  岩清水  そを命にて  あらたまの  今年のけふも
暮らしつるかも

1210

      ○

山かげの  森の木下の  冬ごもり   日毎日ごとに   雪ふれば   
往き来の人の    跡もなし  岩根もりくる   苔清水  そを命にて  
あらたまの  今年の今日も  暮れにけるかも

1211

    由之老
    由之に寄す

しきしまの   大和の国は  いにしへゆ   言あげせぬ国
しかれども   われはことあげす  すぎし夏   弟のたまひし
つくり皮   いや遠白く  栲の穂に   ありにし皮や
わが家の   宝とおもひ  行くときは   負ひてもたらし
寝る時は   衾となして  つかの間も   我が身を去らず
持たりせど   奇しきしるしも  いちじろく   あらざりければ
このたびは   深く考へ  こと更に   夜の衣の
上にして   床にひきはへ  その上に   わが肌つけて
臥しぬれば   夜はすがらに  熟睡(うまい)して   ほのりほのりと
み冬月   春日にむかふ   心地こそすれ

何をもてこたへてよけむたまきはる命にむかふこれのたまもの
しかりとも黙に絶えねば言あげす勝ちさびをすなわが弟(おと)の君

1212

    年のはてによみて有則におくる

野積のや   み寺の園の  梅の木を   根こじにせむと
あづさゆみ  春のゆふべに  岩が根の   こごしき道を
踏みわけて   軒端に立てば  人は見て   盗人なりと  
鐘うち  つづみを鳴らし  あしひきの   山とよもして
つどひけり    しかしよりして  みなびとに   花盗人と
呼ばはえし   君にはあれど  いつしかも   年も経ぬれば
あしのやの   まろやがもとに   よもすがら   八束のひげを
ひねりつつ  おはすらむかも   この月ごろは

1213

    年のはてによみて有則におくる    有則におくる

野積のや   み寺の園の  梅の木を   根こじにせむと
かぎろひの   夕さり来れば  岩が根の   こごしき道を
ふみ分けて   辿りたどりに  しぬびつつ   垣根に立てば
人の見て   盗人なりと  呼ばはれば   おのもおのもに
しもととり   鐘うちならし  あしひきの   山とよもして
集ひ来ぬ   しかしよりして  みな人に   花盗人と
よばれたる   君にはあれど  いつしかも   年のへぬれば
篠原の   しけけき屋に  夜もすがら   八束の髯を
かいなでて   おはすらむかも   此の月ごろは

1214

     また

つぬさはふ   岩坂山の  山かげの   み寺の梅を  
三日月の   ほの見てしより  さ根こじの   根こじにせむと
霞立つ   ながき春日を  しぬびかね   夕さり来れば
あぢむらの   村里出でて  はたすすき   大野をこえて
千鳥なく   磯べを過ぎて  ま木たてる   荒山さして
岩が根の   こごしき道を  ふみさくみ   辿りたどりに
しぬびつつ   み垣に立てば  人の見て   そよやといへば
下部らは   おのがまにまに  手をあかち   鐘うちならし
あしひきの   み山もさやに  笹の葉の   露をおしなみ
呼び立てて   道もなきまで  かくみけり   しかしよりして
世の中に   花盗人と  名のらへし   君にはませど
いつしかも   年の経ぬれば  小山田の   山田守る屋の
葦の屋の   伏屋がもとに  夜もすがら   やつかのひげを
かいなでて   おはすらむかも   この月ごろは

あらたまの年は消えゆき年はへぬ花ぬす人は昔となりぬ

1215

    また   山寺梅

つぬさはふ   岩坂山の  山越えに   み寺の梅を
垣越しに   ほの見てしより  さねこじの   根こじにせむと
むらぎもの   心にかけて  霞立つ   長き春日を
忍びかね   夕さり来れば  からにしき   里たち出でて
はたすすき   大野をすぎて  千鳥なく   浜べをとほり
ま木立てる   荒山こえて  岩が根の   こごしき道を
ふみさくみ   辿りたどりに  忍びつつ   うら門まはり
大寺の   垣根に立てば  寺守の   こや盗人と
呼ばはれば   里に聞えて  里人は   おのもおのもに
手をあかち   しもとをとりて  あしひきの   み山もさやに
笹の葉の   露をおしなみ  たまほこの   道もなきまで
かくみつつ   然しよりして  天が下に   花盗人と
名のらへし   君にはませど  うつせみの   世のことなれば
いつしかも   年のへぬれば  葦の屋の   ふせ屋がもとに
夜もすがら   八つかのひげを  かいなでて   おはすらむかも
この月ごろは

まらたまの年はきえゆき年はへぬ花ぬす人はむかしとなりぬ
なにごともみな昔とぞなりにける花に涙をそそぐけふかも

1216

    み林    寺泊にありし時よめる

大殿の   とののみ山の  み林は   幾世経ぬらむ
ちはやふる   神さび立てり  そのもとに   庵をしつつ
朝には   いゆきもとほり   夕べには   そこに出で立ち
立ちて居て   見れども飽かぬ  これのみ林

えにしあらばまたも住みなむ大殿の森の下庵いたくあらすな
山かげのありその波の立ちかへり見れどもあかぬこれのみ林
おほとのの林のもとに庵しめぬ何かこの世に思ひ残さむ
大殿の林のもとを清めつつ昨日も今日も暮しつるかも
月夜にはいもねざりけり大殿の林のもとに往きかへりつつ

1217

    一つ松

国上の   大殿の前の   一つ松   幾世へぬらむ
ちはやふる   神さび立てり   あしたには   いゆきもとほり
夕べには   そこに出で立ち  たちて居て   見れども飽かず
一つ松はや

山かげのありその波の立ち返り見れどもあかぬ一つ松かも

1218

    一つ松

国上の   大殿の前の   一つ松   上つ枝は
照る日をかくし   中つ枝は   鳥を住ましめ   下枝は
いらかにかかり   時じくぞ   霜は降れども   時じくぞ
風はふけども   ちはやふる   神の御代より   ありけらし
あやしき松ぞ   国上の松は

1219

     国上山のうた

あしびきの   国上の山の  山かげの   乙子の宮の
神杉の   杉の下道  ふみわけて   い行きもとほり
山見れば   高く貴し  谷見れば   深さはふかし
その山の   いや高高に  その谷の   心深めて
あり通ひ   いつきまつらむ  万代までに

乙宮の宮の神杉しめゆひていつきまつらむをぢなけれども

1220

    国上にてよめる

あしひきの   国上の山の  山もとに   庵をしめつつ
朝夕に   岩のかげ道  ふみわけて   いゆきかへらひ
山見れば   山もみがほし  里みれば   里も賑はし
春されば   椿花さき  秋べには   野べに妻恋ふ
さを鹿の   声をともしみ  あらたまの   年の十とせは
過ぎにけるかも

あしひきの山べに住めばすべをなみしきみ摘みつつけふも暮らしつ

1221

    国上

あしひきの  国上に   庵して   いゆきかへらひ  山見れば  
山も見がほし   里見れば  里もゆたけし  春べには  
花咲きををり  秋されば  紅葉を手折り    ひさかたの  
月にかざして  あらたまの  年の十とせは  過ぎにけらしも

1222

      国上

あしひきの    国上の山の   山もとに   庵をしつつ
朝にけに   いゆきかへらひ  まそかがみ   仰ぎて見れば
み林は    幾代へぬらむ   ちはやふる   神さび立てり
落ちたぎつ   水音さやけし   五月には   山ほととぎす
うち羽ふり   しぐるる折は   もみぢばを   引きて手折りて
うちかざし   あまた月日を   すぐしつるかも

こひしくばたづねて来ませあしひきの国上の山の森の下庵

1223

   国上

あしひきの   国上の山の   山かげの   乙子の宮に
宮づかへ   朝なゆふなに  岩床の   苔むす道を
ふみならし   いゆきかへらひ  ます鏡    仰ぎてみれば
み林は   神さび立てり  落ちたぎつ   水音さやけし
そこをしも   あやにともしみ  五月には   山ほととぎす
をちかへり   来鳴きとよもし  なが月の   時雨の時は
もみぢばを   ひきて手折りて  あらたまの   あまた月日を
ここにすごしつ

露霜の秋の紅葉と時鳥いつの世にかはわれ忘れめや
青山の木ぬれたちぐきほととぎすなく声きけば春は過ぎけり
おと宮の森の木したにわれをれば鐸(ぬて)ゆらぐもよ人きたるらし

1224

    国上

あしひきの   国上の山の  山かげに   庵をしめつつ
朝にけに   岩の角道  ふみならし   いゆきかへらひ
ますかがみ   仰ぎて見れば  み林は   神さびませり
落ちたぎつ   水音さやけし  そこをしも   あやにともしみ
春べには   花咲きたてり  五月には   山時鳥
うち羽ふり   来鳴きとよもし  長月の   しぐれの雨に
もみぢばを   折りてかざして  あらたまの   年の十とせを
すごしつるかも

1225

      国上
あしひきの   国上の山の   山もとに   いほりをしつつ   をちこちの
里にいゆきて   飯を乞ひ    ひと日ふた日と   すごせしに   あまたの年の
積り来て  身にいたづきの   おきぬれば  立ち居もよ   心に添はず  
うつせみの   知りにし人も  もみぢ葉の   すぎてゆけば   いまさらに
世にはありとも   ありぎぬの  あるかひなしと  思ひしより   飯も乞はずて
閉ぢこもり   国上の山の   山もとに   みまかりにけり  朝露のごとや
夕露のごとや

1226

    国上

国上の   山のふもとの  乙宮の   森の木下に
庵して   朝な夕なに  岩が根の   こごしき道に
つま木伐(こ)り   谷に下りて  水を汲み   ひと日一日と  
日を送り   おくりおくりて  いたつきは   身につもれども
うつせみの   人し知らねば  はひはひて   朽ちやしなまし
岩木のもとに

1227

     国上の山を出づるとて

あしひきの   国上の山の  山かげの   森の下屋に
いくとしか   わが住みにしを  からころも   たちてし來れば
夏草の   思ひしなへて  夕づつの   かゆきかくゆき
その庵の   いかくるまでに  その森の   見えずなるまで
たまほこの   道の隅ごと  隅もおちず   かへり見ぞする
その山のべを

1228

    伊夜日子
    いやひこにもうでて

ももつたふ   いやひこ山を  いやのぼり   登りてみれば
高嶺には   八雲たなびき  ふもとには   木立神さび
落ちたぎつ   水音さやけし  越路には   山はあれども
この山の   いやます高に   この水の   たゆることなく
ありかよひ   いつきまつらん   伊夜日子の神

伊夜日子の森のかげ道ふみ分けてわれ来にけらしそのかげ道を

1229

      ○

いやひこの 森の下道  踏み分けて  いゆきもとほり  山見れば
高くたふとし  おちたぎち  みおとさやけし  この山の
いや高ますに  その水の   心きよめて  ありがよひ
仕へまつらむ  よろづ代までに

よろづ代に仕へまつらむいやひこの杉の下道いゆきかへらひ

1230

   いやひこ

伊夜日子の  麓の木立  神さびて  幾世経ぬらむ
ちはやふる  神さび立てり  山見れば   山もたふとし
里見れば  里もゆたけし  朝日の まぐはしも  夕日の  
うらぐはしも   そこをしも  あやにともしみ  宮柱  
太しく立てし  いやひこの神

1231

   伊夜日子に詣でて
   いやひこ山へのぼりて

ももつたふ  いやひこ山を   いやのぼり  登りて見れば
高根には  や雲たなびき  麓には  木立神さび
落ち瀧津  水音さやけし 越路には  山はあれども
越路には  水はあれども  ここをしも   うべし宮居と  
定めけらしも

1232

   いやひこの椎の木
  
いやひこの  神のみ前の 椎の木は   幾代経ぬらむ
神代より  斯くしあるらし  ほづえには  照る日を隠し
中つ枝は  雲をさへぎり  下枝はも  いらかにかかり
ひさかたの  霜はおけども  しなとべゆ  風は吹けども
とこしへに  神の御代より  かくてこそ  ありにけらしも
いやひこの   神のみ前に   立てる椎の木

1233

     老をいたむ歌

行く水は   寒けばとまるを  高山は   こぼてば岡と
なるものを   過ぎし月日の  かへるとは   書にも見えず
うつせみの   人もかたらず  いにしへも   かくしあるらし
今の世も   かくぞありける  後の世も   かくこそあらめ
かにかくに   すべなきものは  老にぞありける

ねもごろのものにもあるか年月は賤が宿までとめて来にけり
たまほこの道のくまぐましめ結はば行きし月日のけだしかへらむかも
うたてしきものにもあるか年月は山の奥までとめて来にけり

1234

     老いをのぶる歌

行く水も   せけばとまるを  老いらくの   またかへるとは
うつそみの   人も語らず  とつ国の   書にも見えず
いにしへも   かくやありけむ  今の世も   かくぞありぬる
後の世も   かくこそあらめ  かにかくに   すべなきものは
老にぞありける

をつつにも夢にも人のまたなくに訪ひ来るものは老にぞありける
しげ山にわれ杣たてむ老いらくの来むてふ道に関すゑむため
老いもせず死にせぬ国はありときけどたづねていなむ道の知らなく
老の来る道のくまぐましめ結へばいきうしといひてけだしかへらむ
老いらくを誰がはじめけむ教へてよいざなひ行きてうらみましものを

1235

      老いをのぶるうた

高山も  ふめば尽くるを   ありそ海も   かぎりほしてむ  老いらくの
またかへるとは  うつせみの  人も語らず  とつ国の  文にも見えず
われのみか   ひとも然るか   いにしへも  かくしありけり   今の世も
かくこそあらめ  かにかくに  すべなきものは   老いにぞありける

1236

     白髮

かけまくも   あやにたふとく  言はまくも   かしこきかもな
ひさかたの   あまのみことの  みかしらに   しら髪生ふる
あしたには   臣を召さしめ  白銀の   毛ぬきをもちて
その髮を   拔かせ給ひて  白銀の   はこに秘めおき
あまつたふ   は嗣のみ子に  伝ふれば   ひつぎの皇子も
つがの木の   いやつぎつぎに  かくしつつ   い伝へますと
聞くがともしも

白髮はおほやけものぞかしこしや人の頭もよくといはなくに
白かみは黄泉の尊の使かもおほにな思ひそその白かみを
おほに思ふ心を今ゆうちすててをろがみませす月に日にけに
世にみつる宝といへど白かみにあに及ばめや千千のひとつも

1237

    白髪    としのくれによめる

宵よひに   霜はおけども  よしゑやし   明くればとけぬ
年のはに   雪はふれども  よしゑやし   春日に消えぬ
しかすがに   人のかしらに  ふり積めば   積みこそまされ
あらたまの   年は経れども  消えずぞありける

白雪はふればかつ消ぬしかはあれど頭にふれば消えずぞありける

1238

     白髪 

朝なあさな   霜はおけども  よしゑやし   年のはに
雪は降れども   よしゑやし  積れば消えぬ   うつしみの
頭にふれる   白雪は  積みこそまされ    あづさゆみ
春は来れども   消ゆとはなしに

1239

     貧しきをのぶる

あしひきの   山田の田居に  いほりして   昼はしみらに
飯乞ふと   里に出でたち  かぎろひの   夕さりくれば
山越しの   風を時じみ  門さして   あし火たきつつ
いにしへを   思へば夢の  世にこそありけれ

1240

     ○

うつせみの   仮のうき世は   ありてなき   ものと思へこそ   白妙の
衣に変ふる   ぬばたまの   髪をもおろす   しかしより   天つみ空に
ゐる雲の  あとも定めず   ゆく水の   そこともいはず   うち日さす
宮も藁屋も   はてぞなき   よけくもあれ   あしけくも   あらばありなむ
思ひし身の  なぞもかく   思ひしやまぬ  わがおもひ  人知るらめや
この心   誰に語らむ  語るとも   いふとも尽きぬ   荒磯海は
深しといへど   高山は   高くしあれど   時しあれば   尽くることなし
ありといふものを   かにもかくにも   つきせぬものは   わが思ひはも

世の中に門さしたりと見ゆれどもなどか思ひの絶ゆることなき  

1241

     わくらば

わくらばに   人となれるを  うちなびき   やまふのとこに
ふし臥し   癒ゆとはなしに  いたづきの   日にけにませば
そこ思ひ   みをおもそふに  思ふそら   安からなくに
なげく空   苦しきものを  あからひく   昼はしみらに
水鳥の   息つき暮し  ぬばたまの   夜はすがらに
人のぬる   安寝もいねず  たらちねの   母が在しなば
かいなでて   たらはさましを  わかくさの   妻がありなば
とりもちて   はぐくまましを  家とへば   家もはふりぬ
はらからも   いづち去ぬらん  うからやも   ひとりも見えず
つれもなく   荒れたる宿を  うつせみの   よすがとなせば
うづら鳴く   ふる里すらを  草枕   旅寝となせば
ひと日こそ   堪へもしつらめ  ふた日こそ   忍びもすらめ
あらたまの   長き月日を  いかにして   明かし暮さん
うちつけに   死なめともへど  たまきはる   さすが命の
をしければ   かにもかくにも  すべをなみ   音をのみぞ泣く
ますらをにして

あらたまの長き月日をいかにしてあかしくらさん麻手小ぶすま

1242

    わくらば

わくらばに   人となれるを  何すとか   悪しき病に
ほださへて   昼はしみらに  水とりの   息つき暮らし
ぬばたまの   夜はすがらに
人のぬる   安寝もいねず  たらちねの   母が在しなば
かいなでて   足らはさましを  若草の   妻がありせば
かい持ちて   育まましを  家とへば   家もはふりぬ
はらからも   何処去ぬらん  つれもなく   荒れたる宿を
うつせみの   寄処となせば  ひと日こそ   絶へもしつらめ
ふた日こそ   忍びもすらめ  あらたまの   この長き日を
いかに暮らさむ   麻手小ぶすま

ももつたふいかにしてまし草枕旅のいほりにあひし子らはも

1243

     為求古述懷

わくらばに   人となれるを   何すとか   この悪しき気に
さやらえて   昼はしみらに   門さして   夜はすがらに
人のぬる   うまいもいねず   たらちねの   母が在しなば
かい撫でて   たらはさましを   わかくさの   妻がありせば
かいもちて   はぐくまましを   家とへば   家もはふりぬ
はらからも   いづちいぬらむ   鶉なく   ふるさとすらを
くさ枕   旅寝となせば   ひと日こそ   人もみつがめ
ふた日こそ   人もみつがめ   ひさかたの   長き月日を
いかにして   世をやわたらむ   日にちたび   死なば死なめと
思へども   心にそはぬ   たまきはる   命なりせば
かにかくに   すべのなければ   こもりゐて   音のみしなかゆ
朝夕ごとに

ひさかたの長き月日をいかにしてわが世わたらむ麻手小ぶすま

1244

     悲求古歌

草枕   旅のいほりに   うちこやし   年の経ぬれば
うづら鳴く   古りにし里に   からころも   立ちかへり来て
あからひく   昼はしみらに   水鳥の   息つき暮らし
ぬばたまの   夜はすがらに   人のぬる   うまいもいねず
たらちねの   母がましなば   かひなでて   たらはさましを
若草の   妻がありせば   かいもちて   はぐくまましを
家とへば   家もはふりぬ   はらからも   いづちいぬらむ
つれもなく   よしもなきやに   うつせみを   よせてしあれば
ひと日こそ   たへもしつらめ   ふた日こそ   忍びもすらめ
長き日を   いかにわたらむ   かくすれば   人にいとはれ
かくすれば   おさにさやらえ   かにかくに   せむすべをなみ
籠り居て   音のみし泣かゆ   朝夕ごとに

あらたまの長き月日をいかにしてわが世わたらむ麻でこぶすま

1245

      求古に代りてよめる

わくらばに   人となれるを   何すとか   このあしきけに
ほだされて   昼はしみらに   水鳥の   息づきくらし
ぬばだまの   よるはすがらに   人のぬる   やすいも寝ねず
たらちねの   母がましなば   かいなでて   たらはさましを
若草の   妻がありせば   かいもちて   はぐくまましを
家といへば   家もはふりぬ   うからやも   いづち去ぬらむ
よしもなく   荒れたる宿を   うつせみの   よすがとなせば
ひと日こそ   堪えもしつらめ   ふた日こそ   しぬびもすらめ
あらたまの   長き月日を   いかにして   暮しやすらむ
うちつけに   死なば死なめと   思へども   さすが命の
をしければ   かにもかくにも   すべをなみ   朝なゆふなに
こもりゐて   ねのみしなかゆ   ますらをにして

1246

     人にかはりて

手を折りて   うち数ふれば  わが背子に   別れにしより
今日までに   八としの年を  つれもなく   荒れたる宿に
たをやめが   一人し住めば  なぐさむる   こととはなしに
なげきのみ   積りつもりて  かげのごと   わが身はなりぬ
今更に   世にはありとも  ありのみの   ありがひなしと
思ひこそ   一日に千度  死なめとは   思ひはすれど
二人の子   見るに心の  ほださへて   かにもかくにも
言はんすべ   せんすべ知らず  こもり居て   音のみし泣かゆ
朝な夕なに 

ますかがみ手にとり持ちて今日の日もながめくらしつかげと姿と
わがごとやはかなきものはまたもあらじと思へばいとどはかなかりけり
何事もみな昔とぞなりにける花に涙をそそぐ今日かも

1247

     人にかはりて

わが背子が   みまかりしより  あらたまの   年の八とせを
つれもなく   荒れたる宿に  たをやめが   ひとりし住めば
なぐさむる   心はなしに  なげきのみ   積りつもれば
かげのごと   わが身はなりぬ  今更に   世にはあれども
ありのみの   ありがひなしと  思ひとて   ひと日に千たび
死なめとは   思ひはすれど  わが背子が   かたみに残す
二人の子   見るに心も  しのびずて   かにもかくにも
言はむすべ   せんすべ知らに  こもりゐて   ねのみし泣かゆ
朝なゆふなに

1248

      ○

形見とて   残す二人の   子ら見るに   見るに心の   ほださえて
かにもかくにも   いはむすべ   せむすべ知らに   隠りゐて
ねのみし泣かゆ   朝な夕なに

1249

    塩入峠の道こしらへたるをよろこびて

越の浦   角田の浜の  朝凪に   いざなひて汲み
夕なぎに   つれてやくてふ  塩入の   坂はかしこし
上見れば   目にも及ばず  下見れば   魂もけぬべし
千里ゆく   駒も進まず  み空行く   雲もはばかる
この坂を   善けく安けく  平らけく   なしけむ人は
いかなるや   人にませかも  ちはやふる   神の宣りかも
み仏の   つかはせるかも  ぬばたまの   夜の夢かも
うつつかも   かにもかくにも  いはむすべ   せむすべ知らに
塩入の   坂に向ひて   三たびをろがむ

しほのりの坂は名のみになりにけりゆく人しぬべよろづ代までに

1250

    寺泊に飯乞ひて

こき走る   鱈にもわれは  似たるかも  あしたには  かみにのぼりて
ゆふべには  しもへ下りて  またそのしもへ 

1251

    また

こきはしる  鮎にもわれは  似たるかも  うしたには  かみにのぼりて
ゆふべには  しもへ下りて  またそのしもへ 

1252

    由之老

この夜らの  いつか明けけむ  この夜らの  明けなれなば  をみな来て
はりを洗はむ  こいまろび  あかしかねけり   長きこの夜を

1253

    月の兎   月のうさぎをよめる

天雲の    むか伏すきはみ   たにぐくの   さ渡る限り
国はしも   さはにあれども  里はしも    あまたあれども
み仏の   生れます国の  あきかたの   そのいにしへの
ことなりき   猿と兎と  狐とが   言をかはして
朝には   野山にかけり   夕には   林にかへり
かくしつつ   年のへぬれば   ひさかたの   天のみことの
きこしめし   偽りまこと  しらさむと    旅人となりて
あしひきの   山ゆき野行き   なづみゆき   食し物あらば
たまへとて   尾花折り伏せ   憩ひしに   猿は林の
秀枝より   木の実を摘みて   まゐらせり   狐は簗の
あたりより  魚をくはへて   来りたり   兎は野べを
走れども   何もえせずて   ありしかば   いましは心
もとなしと  戒めければ  はかなしや   兎うからを
たまくらく  猿は柴を  折て来よ   狐はそれを
焚きて食べ  まけのまにまに  なしつれば   炎に投げて
あたら身を   旅人の贄(にへ)と  なしにけり   旅人はこれを
見るからに   萎(しな)えうらぶれ  こひ転び   天を仰ぎて  
よよと泣き   土にたふれて  ややありて   土うちたたき  
申すらく   いましみたりの  友だちに   勝り劣りを  
いはねども   我れは兎を  愛ぐしとて   元の姿に  
身をなして   骸(から)を抱へて  ひさかたの   天つみ空を  
かき分けて   月の宮にぞ   葬りける   しかしよりして  
つがの木の   いやつぎつぎに  語りつぎ   言ひつぎ来り  
ひさかたの   月の兎と  いふことは   それが由にて   
ありけりと   聞くわれさへに  白妙の   衣の袖は   
徹(とほ)りて濡れぬ

1254

    月の兎   みたりの友

いそのかみ  ふりにしみ代に  ありといふ  猿と兎と  狐とが
友を結びて  あしたには  野山に遊び  夕べには  林に帰り
かくしつつ  年のへぬれば   ひさかたの  天の帝の  聞きまして  
それがまことを   知らむとて  翁となりて  そがもとに よろぼひ行きて
申すらく  いましたぐひを 異(こと)にして  同じ心に  遊ぶてふ
まこと聞きしが  ごとならば  翁が飢を  救へと  杖を投げて  
いこひしに やすきこととて  ややありて  猿は後ろの  林より
木の実拾ひて  来りたり  狐は前の   川原より  魚をくわへて
与えたり  兎はあたりに  飛びとべど  何もものせで
ありければ  兎はこころ  異なりと  ののしりければ
はかなしや  兎計りて  申すらく  猿は柴を
刈りて來よ  狐はこれを  焚きてた食べ  いふが如くに
なしければ  烟の中に  身を投げて  知らぬ翁に
与へけり  翁はこれを  見るよりも  心もしぬに
久がたの  天をあふぎて  うち泣きて  土にたふりて
ややありて  胸うちたたき  申すらく  今しみたりの
友だちは  いづれ劣ると  なけれども  兎はことに
やさしとて  骸(から)を抱へて  ひさかたの  月の宮にぞ
はふりける  今の世までも  語りつぎ  月の兎と
いふことは  これが元にて  ありけりと  聞くわれさへも
白たへの  衣の袖は  とほりて濡れぬ


あたら身を翁がにへとなしけりな今のうつつにきくがともしさ
秋の夜の月の光を見るごとに心もしぬにいにしへおもほゆ
ますかがみとぎし心は語りつぎいひつぎしのべよろづよまでに
あまのはらとわたる月の影見れば心もしぬにいにしへおもほゆ

1255

     題妓女初君図画

越の浦の   海女をとめらが  焼く塩の   しほなれごろも
なれにける   君がみこと  大君の   み言かしこみ
うつ木綿の   佐渡にいゆくと  はしきやし   妹をわかれて
朝びらき   真かぢしじぬき  大海に   み船をうけて
はるばると   へつべをさかり  いや遠に   沖べにさかり
かくばかり   い別れ行けば  越の浦の   波にひづちて
こひまろび   招くとすれど  帰るべき   由しなければ
すべをなみ   妹がふり袖  君に見えきや

1256

     松山の鏡

越なるや    松の山べの  をとめごが   母に別れて
忍びずて    逢ひ見むことを  むらぎもの   心にもちて
あらたまの    年の三とせを  すぐせしが   師走の暮に
市に出で   もの買ふ時に  ます鏡   手にとり見れば
わが面の   母に似たれば  母とじは   ここにますかと
よろこびて   います日のごと  こととひて   ありの限りの
値もて   買うてかへりて  朝にけに   見つつしぬぶと
聞くがともしさ

1257

   五陰皆空と照見して一切の苦厄を度すといふ心をよめる

世の中は   はかなきものぞ  あしひきの   山鳥の尾の
しだり尾の   ながながし世を  百代つぎ   五百代をかけて
よろづ代に   きはめて見れば  枝にえだ   ちまたに岐(ちまた)
分かへて   たどるみちなみ  立つらくの   たづきも知らず
をるらくの   すべをも知らず  解き衣の   思ひみだれて
浮き雲の   行くへも知らず  言はむすべ   せむすべ知らず
沖にすむ   鴨のはいろの  水鳥の   やさかの息を
つきゐつつ   誰に向ひて  うたへまし   大津の辺に居る
大船の   へづな解き放ち  とも綱とき放ち   大海原のへに
おし放つ  ことの如く    をち方や  繁木がもとを   やい鎌の 
とがまもて  うち払ふ  ことの如く   五つのかげを  さながらに   
五つのかげと  知るときは   心もいれず  こともなく   わたしつしぬ
世のことこども

うつし身のうつし心のやまぬかもうまれぬ先にわたしにし身を
津の国のなにはのことはよしゑやし唯一と足をすすめもろ人

1258

    答山上憶良令反感情歌

うつしみの  人の心の   多かれば   それがまにまに  ますらをの
説きおける書は  いさごなす    読むとも尽きず   世の人の  心言葉は
及ばねば   かけていはむも   をこなれど   御法の道に   従ひて
ならはむ人は  知りぬべし   父母も   妻もやからも   放らして 
心一つを   ますかがみ   朝なゆふなに   研ぎ澄まし   それをしも
法とおもへど  世の中に   をぢなき人の   多かれば   それがこころを
調とて  たてによせて   説きませり   汝はしも   書の一はし   開きみて
なべて然りと   おもひけむ   ことわりなりや   否をかも   いかにやいかに
山の上の憶良   

1259

      ○

ひさかたの  雪かきわけて  さすたけの  君が掘りけむ  さ百合根の
さゆりね   そのさゆりねの  あやにうまさよ

1260

      ○

ときは木の  ときはかきはに  ましませと  君がほぎつる   豊御酒に  
われ酔ひにけり  そのとよみきに

1261

      ○

昔も今も  うそもまことも  晴れやらぬ  峰のうす雲  
立ち去りて  後の光と  思はずや君

1262

      ○

ひさかたの  月の光の  きよければ   照らしぬきけり   
唐も大和も  昔も今も  うそもまことも

1263

     たがやのこつを見てよめる

たがやさん  たがやさん  色も妙なり  たがやさん  あやにたへなり
たがやさん  肌もいとうるはし   たがやさん   たがやさん  たがやさん
たがやさむには   なほ如かずけり

1264

      ○

たがやさん  たがやさん  色はもよ  あやに妙なり  たがやさん  たがやさん
はだはもよ  いともくはし  たがやさん   たがやさん   たがやさん  たがやさん   
たがやさむには   なほしかずけり

たがやさん色もはだへも妙なれどたがやさんよりたがやさむには   

1265

    鉢坊主

鉢たがき   鉢たがき  昔も今も   鉢たがき  鉢たがき  鉢たがき   鉢たがき
鉢をたがいて  日を暮らせ

1266

    人にかはりて

二十日講の  混むさ中  塗物  ただは呉るるとも   俺いやよ  漆地
ほしぬらひくは   投げ刷けの  たつたひと刷け

1267

    大雅堂画讃

けさよりは   一つ谷より   出て来たが  牝猪を  霧にかくされて   
ひとむらすすき   分けてだつねむ


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