良寛様の全俳句


新 年 俳 句

001

のつぺりと師走も知らず今朝の春

002

よそはでも顔は白いぞ嫁が君

003

春雨や門松の注連ゆるみけり
春雨と門松で、二重季語であるが、門松の方が季語感が強いので、新年の句となる。正月気分もそろそろなくなりかけているといった感じがする。

春 の 俳 句

004

あげ巻の昔をしのぶすみれ草

005

春雨や静になづる破(や)れふくべ

006

春雨や友を訪ぬる想ひあり
五合庵から外を眺めているとしとしと春雨が降っている。冬も終わりさてさて、里の友らはどうしているだろう。逢いにいきたいものだ。

007

水の面(も)にあや織りみだる春の雨

008

出でわれも今日はまぢらむ春の山

009

新池(あらいけ)や蛙とびこむ音もなし 
芭蕉の句を意識して詠んだ句です。あんな句はできそうもないて、はははは・・・という感じでしょうか・・・。

010

夢さめて聞くは蛙の遠音かな 
この句は、実感がこもった写実句。平明であるが、なかなかの佳句。個人的には好きな句である。

011

子らや子ら子らが手を取る躑躅かな 

012

山里は蛙の声となりにけり
蛙が田圃や沼や川など、そこら中に鳴いている。そんな季節になったものだな、ということである。感じたままを句にした平明句である。

013

今日来ずば明日は散りなむ梅の花

014

青みたるなかに辛夷の花ざかり

015

雪しろの寄する古野のつくづくし

016

雪しろのかかる芝生のつくづくし

017

雪汁や古野にかかるつくづくし

018

鶯に夢さまされし朝げかな

019

鶯や百人ながら気がつかず
百人は、百人一首ということであろう。百人一首には鶯は詠まれていない。誰も気がつかなかったのであろうか。

020

梅が香の朝日に匂へ夕桜

021

世の中は桜の花になりにけり
平明な句であり、所々で桜の花が満開となっているということです。作意のない句ですが、印象は明瞭である。

022

山は花酒屋酒屋の杉ばやし

023

同じくば花の下にて一とよ寝む
西行の歌「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」を意識して詠まれた句。良寛様は西行の生き方にも、あこがれていたのかも知れない。

024

須磨寺の昔を問へば山桜

025

ほろ酔ひのあしもと軽し春の風
良寛様は酒を飲みながら友達と詩歌を詠むことが大好きであった。春はよく詩歌の題材となっている。

026

この宮や辛夷の花に散る桜
良寛様は、神社で手鞠をついたりして子どもたちとよく遊んでいた。辛夷の花に桜の花びらが舞い散って、ゆく春をしみじみ感じていたのかも知れない。辛夷と桜が二重季語であるが、昔はそれほど気にもしなかったのだろう。季語感は桜の方が強い。

027

散る桜残る桜も散る桜
神風特攻隊員に愛唱された句といわれているが、本当に良寛様の句なのかという気がする。なお、この句は旧分水町地蔵堂の小川家に残された文書が元になっている。
「良寛禅師重病の際、何の御心残りはこれなきかなと人問ひしに、死にたうなしと答ふ。また辞世はと人問ひしに、『散る桜残る桜も散る桜』と答ふ」

028

苞にせむ吉野の里の花がたみ

夏 の 俳 句

029

誰れ聞けと真菰が原の行行子

030

真昼中真菰が原の行行子

031

人の皆ねぶたき時の行行子

032

かきつばた我れこの亭に酔ひにけり
かきつばたが庭に咲いている館の離れの座敷で、友達と語らいながら酒を酌み交わしている」と解釈できる。普段は味わうことのできない、楽しいひとときである。

033

真昼中ほろりほろりと芥子の花

034

鍋みがく音にまぎるる雨蛙
台所で、「シュッシュッ」と鍋の汚れ落としをしてるのでしょう。その音に紛れて外から雨蛙の鳴く声が聞こえてきたということで、雨が降りそうな雰囲気も感じられる。

035

夏の夜や蚤を数へて明かしけり
ユーモラスな句である。だが実際数えることができたのだろうか。月夜であってもなかなか蚤は見えないように思える。しかし、そんな見方をする方が良くないのかも知れない。このユーモアをふっと笑えばよい句なのかも。

036

風鈴や竹を去ること三四尺
風鈴が庇にたれ下がり、庭の三四尺離れた処に竹やぶがあり、そこから風がやってきて風鈴をなびかせている、ということであろうか。風情のある風景である。 

037

涼しさを忘れまひぞや今年竹

038

鳰の巣のところがへする五月雨

039

さわぐ子の捕る知恵はなし初ほたる

040

青嵐吸物は白牡丹 

041

凌霄花(のうぜんか)に小鳥のとまる門垣に 

042

酔臥(よひぶし)の宿(やどり)はここか蓮の花 

043

わが宿へ連れて行きたし蓮に鳥

044

雷をおそれぬ者はおろかなり

045

鉄鉢(てっぱつ)に明日の米あり夕涼  
良寛様らしい句である。明日の米さえあれば、何とか生きていけるということであり、良寛様はなかなかの楽天家なのであろう。

046

手もたゆくあふぐ扇の置きどころ

047

昼顔やどちらの露の情やら

048

留主の戸に独り寂しき散り松葉

秋 の 俳 句

049

いざさらば暑さを忘れ盆踊

050

手ぬぐひで年をかくすや盆踊
良寛様はなぜ肩であり、顔を手拭いで隠して踊ると若い女性にも見えたそうである。踊りの名手でもあったのであろう。楽しい夜を過ごしている良寛様である。

051

この人の背中に踊りできるなり

052

萩すすき露のぼるまで眺めばや

053

萩すすきわが行く道のしるべせよ

054

雨の日や昔を語らむ破れふくべ  

055

顔回(がんかい)がうちものゆかし瓢(ふくべ)かな  
顔回とは、孔子に最も信頼された、すぐれた弟子である。その方が用いたうちもの(入れ物)のひょうたんはなかなか味わいがあることだ、ということであろう。

056

わが恋はふくべで泥鰌をおすごとし
基本的には恋には無縁な方だったのだと思う。それが貞心尼が現れて・・・・・・何かが・・・。  

057

秋風のさはぐ夕べとなりにけり

058

秋風に独り立たる姿かな
ひとり立っているのは、良寛様であろう。秋風をうけつつ、枯野の中の、さびしい風情の良寛様である。

059

摩頂(まちやう)して独り立ちけり秋の風
摩頂とは仏教の伝法式の一つであり、それを終えて立ち上がると秋風が吹いていたよ、ということであるが、さびしい秋の一こまということであろう。

060

屋根引の金玉しぼむ秋の風

061

柿もぎの金玉寒し秋の風
「柿の木に上り、柿をもいでいると晩秋のつめたい風が吹き、あそこもしぼんでしまうことよ」と俳諧している良寛様でした。

062

秋高し木立は古りぬ籬(まがき)かな

063

秋は高し木立はふりぬこの館

064

二人して筆をとりあふ秋の宵
「親しい方と筆を取り合い、歌合わせを行っていると、時間の過ぎるのも忘れてしまうことよ」ということであろうか。

065

宵闇や前栽(せむざい)はただ虫の声

066

稲舟をさしゆく方や三日の月

067

名月や庭の芭蕉と背比べ
満月が庭に植えている芭蕉と高さを競っているということだろう。良寛様は松尾芭蕉に敬意をもっていたので、芭蕉を庭に植えたのだろう。しかし、冬に多くの雪が降る国上山に芭蕉が成長できるのであろうかと。だが、芭蕉の生えている五合庵を想像すると、何かおもしろみを感じる。

068

名月や鶏頭花もによつきによき

069

綿は白しこなたは赤し鶏頭花

070

秋日和千羽雀の羽音かな
千羽鶴ではなく千羽雀とはおもしろい。昔は雀が田んぼにたくさんいたが、この頃雀は激減し、このような風景は田舎でもほとんど見られなくなってきた。

071

手を振つて泳いでゆくや鰯売り
最初、「泳ぐ」の意味が分からなかったが、いろいろ考えてこれは比喩だと気づいた。浜辺でたくさんの鰯売りが手を振って泳ぐように駆けていくという意味なのだろう。昔は鰯がたくさんとれたそうである。しかし、比喩でないとするなら、川を泳ぎながら、こちら(良寛様)に手を振って鰯売りが去って行くということであろう。この解釈も成り立つかも知れない。

072

いく群れか泳いで行くや鰯売り

073

息せきと升(のぼ)りて来るや鰯売り
鰯売りが鰯を担いで、国上山の山道をせっせと汗をかきながらのぼってくるのが見えた、ということであろう。日本海から水揚げされた美味しい鰯なのであろう。

074

蘇迷盧(そめいろ)の訪れ告げよ夜の雁

075

われ喚(よび)て故郷へ行くや夜の雁

076

君来ませいが栗落ちし道よけて
君とは、親友の原田君であろうか。それとも定珍さんであろうか。毬栗が落ちているので気をつけて、五合庵に来て欲しいな。そして歌でも詠みあおうではないか、と。

077

ぬす人に取り残されし窓の月
「泥棒に布団や衣服などを盗まれて、残ったものは窓の月だなあ」という句であるが、良寛様にしか詠めない、最も良寛様らしい名句。代表作である。

078

つっくりと独り立ちけり秋の庵 

049

悠然と草の枕に秋の庵

080

柴の戸に露のたまりや今朝の秋

081

いくつれか鷺の飛びゆく秋の暮

082

いざさらば我も帰らむ秋の暮
誰に「いざさらば」といっているのだろう。歌友であろうか。道友であろうか。ともかく友であろう。友と別れることは寂しいことである。寂しい秋の暮れである。

083

もみぢ葉の錦の秋や唐衣

084

松黒く紅葉明るき夕べかな

085

ゆく秋のあはれを誰に語らまし
秋が去れば厳しい冬がやって来て、五合庵を訪れる人もずっと少なくなってしまうのである。また、托鉢も冬はなかなか大変なのである。話し相手か誰か来てくれないかということであろうか。良寛様は冬場どのように過ごしていたのであろう。

冬 の 俳 句

086

雨もりやまた寝るとこの寒さかな

087

焚くほどは風がもて来る落ち葉かな
五合庵と三条の日吉神社と弥彦の法円寺に、この句碑がある。また、一茶の句によく似た句がある。生活に必要な焚き物は風が運んでくれるよ。ということで、必要以上なものは、日々の生活には入らないということ。

088

初時雨名もなき山のおもしろき

089

柴焼いて時雨聞く夜となりにけり
解良家に伝わる句であり、その門前にこの句の石碑が建っている。木の枝を炉に炊いて夕飯の準備をしながら、家の中に響いてくる時雨の音を聞いていることだよ。ということであり、しみじみとした句である。

090

日々日々に時雨の降れば人老いぬ 

091

山しぐれ酒やの蔵に波深し

092

木枯を馬上ににらむ男かな 
馬上の人物は武士であろうか。木枯の吹いてくる方をじっと見つめているのであろう。その姿がにらんでいるように見えたのであろうか。また厳しい冬がやってくるのである。

093

冬川や峰より鷲のにらみけり

094

湯貰ひに下駄音高き冬の月
お風呂をもらいに、五合庵の下のお寺に行くのであろうか。からころと下駄の音を鳴らしながら、やや楽しい気持ちで歩いているのである。見上げると冬の月がしらしらと輝いている。

095

火貰ひに橋越て行く寒さかな

096

柴垣に小鳥集まる雪の朝

097

疑ふな六出(むつで)の花も法の色

098

老翁(をい)が身は寒に埋(うずくまる)雪の竹

099

鉢叩き鉢叩き昔も今も鉢叩き
お坊さんは昔から鉢を叩いて日日を過ごすのである。しきたりであり、日常である。

100

人の来てまたも頭巾を脱がせけり
手拭いをかぶって踊っていると、「おや、良寛様かい?」といって、手拭いを脱がすのである。良寛さまであると、納得して笑うのである。

101

のつぽりと師走も知らず弥彦山

無 季 の 俳 句

102

あけ窓の昔をしのぶすぐれ夢

103

よしや寝む須磨の浦はの波枕

104

黄金もていざ杖買はむさみつ坂

105

落ちつけばここも廬山(ろざん)の時雨かな
廬山は中国江西省九江市南部にある名山であり、峰峰がつくる風景の雄大さ、奇絶さなど、古来より有名で、奇秀は天下一であると称えられてきた。時雨の降り続く住み慣れた国上山もその山のように見える、ということである。

106

平生の身持にほしや風呂上り

107

雨の降る日はあはれなり良寛坊
雨にあたっている、本当に哀れな良寛様の姿が目に浮かんで来る。

108

うら畑埴生(はにう)の垣の破れから  

109

倒るれば倒るるままの庭の草 
良寛様は庵の庭に秋の草花を植えていたが、それが台風などの大風を受けて倒れてしまったのである。倒れた草花はどうすることもできないので、ただ残念に思いながら眺めているのである。

110

幾重ある菩提の花を数へみよ

111

おしむべき虚空に馬を放ちけり

112

悠然と草の枕に留守の庵  

113

来ては打ち行きては叩く夜もすがら 

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