大森子陽先生の墓


良寛様は13歳から17歳まで、子陽先生の狭
川塾(三峯館)で漢詩漢文を学びました。
お墓は旧寺泊町当新田の万福寺の境内に
あります。
良寛様は「子陽先生を弔う」の詩を残してお
ります。


説明看板です。 「子陽先生を弔う」の詩です。
大森一族の墓です。 向かって左から2番目です。
修理がなされています。


吊子陽先生墓

子陽先生の墓を吊(とむら)ふ

古墓荒岡側
年年愁草生
灑掃無人侍
適見蒭蕘行
憶昔総角歳
従游狭水傍
一朝分飛後
消息両茫茫
帰来為異物
何以対精霊
我灑一掬水
聊以弔先生
白日忽西沈
山野只松声
徘徊不忍去
涕涙一沾裳


古墓 荒岡(こうこう)の側ら
年年 愁草(しゆうそう)生づ
灑掃(さいそう) 人の侍するなく
適(たまた)ま 蒭蕘(すうぎよう)の行くを見る
憶ふ昔 総角の歳
狭水の傍に従ひ游びき
一朝 分飛(ぶんぴ)して後
消息 両(ふたり)ながら茫茫たり
帰り来れば 異物となる
何を以つてか 精霊に対へん
我一掬(いつきく)の水を灑(そそ)ぎ
聊(いささ)か以つて 先生を弔ふ
白日 忽ち西に沈み
山野 只だ松声のみ
徘徊して去るに忍びず
涕涙 一へに裳(もすそ)を沾(ぬ)らす

                       大森子陽先生の墓前詩碑