その他資料



   おかのどの戒語

一 あさゆふおやにつかまつるべき事
一 ぬひをりすべてをなごのしよさ、つねにこころがくべき事
一 さいごしらひ、おしるのしたてよう、すべてくひもののこと、しならふべき事
一 よみかきゆだむすべからざる事
一 はきさうじすべき事
一 ものにさかろうべからざる事
一 上をうやまひ、下をあはれみ、しやうあるもの、とりけだものにいたるまで、なさけをかくべき事
一 けらげらわらひ、やすづらはらし、てもづり、むだ口、たちぎき、すきのぞき、よそめ、かたくやむべき事

右のくだりつねづねこころがけらるべし
おかのどの

                                   ※「おかの」とは、木村元右衛門の娘のこと。

南無大悲観世音 南無大悲観世音(なむだいひかんぜおん)              旧巻町・千仏寺の境内にある楷書で書かれた石碑
願我速知一切法  願我早得智慧眼
願我速度一切衆  願我早得善方便
願我速乗般若船  願我早得越苦海
願我速得戒常道  願我早登涅槃山
願我速会無為舎  願我早同法性身
汝等応依之修行之   良寛
願わくは我をして速やかに知一切の法を知らしめたまえ  願わくは我をして早く智慧の眼を得しめたまえ
願わくは我をして速やかに一切の衆を度せしたまえ  願わくは我をして早く善方便を得しめたまえ
願わくは我をして速やかに般若の船に乗らしめたまえ  願わくは我をして早く苦海を越ゆるを得しめたまえ
願わくは我をして速やかに戒常の道を得しめたまえ  願わくは我をして早く涅槃の山に登らしめたまえ
願わくは我をして速やかに会無為の舎に会(え)せしめたまえ  願わくは我をして早く法性(ほっしょう)の身に同ぜしめたまえ
汝等まさに之に依りて 之を修行すべし   良寛


   「出家の歌」      光照寺にある歌碑

うつせみは常なきものと むらぎもの 心にもひて 家を出で うからをはなれ 浮雲の 雲のまにまに 
ゆく水の ゆくへもしらず 草枕 たびゆく時に たらちねの 母に別れを つげたれば 今はこの世の 
名残とや 思ひましけむ 涙ぐみ 手に手をとりて わがおもを つくづくと見し おもかげは 
なほ目の前に あるごとし 父にいとまをこひければ 父がかたらく 世を捨てし すてがいなしと 
世の人に いはるなゆめと いひしこと 今も聞くごと 思ほえぬ  母が心のむつまじき その睦じき 
み心を はふらすまじと 思ひつぞ つねあはれみの こころもし 浮世の人に むかひつれ  
父がことばの  厳くしき そのいつくしき み言葉を 思ひ出ては つかのまも のりの教を くたさじと 
朝な夕なに いましめつ これの二つを 父母が かたみとなさむ わがいのち この世の中に 
あらむかぎりは


   水神相伝

北越の桑原氏、其の先は賀の人。中ごろ、島崎荻川の上に移って家す。家は世医を業
とし、業余に農をなす。一日農より還り、馬を岸の柳に維ぐ。日正に停午、水神偶出
でて背を曝して候う。その時適人無く、絆を解きて自ら纏い、将に水に牽き入れんと
す。馬躍りて疾走す。水神の力支うること能わず、却って牽かれ廐に入る。馬嘶きて
止まず。家翁往きて之を見るに、一稚子、馬の絆に困しみて啼く。その面血盆の如く、
垂髪肩に及ぶ。翁之を怪しんで、まさに刀をもてその臂を断たんとす。稚子涙を流して云
う。我に霊方あり。之を秘すること久し。幸いに命を賜わらば、則ち之を伝えん。しからず
んば則ち必ず子孫の殃とならんと。翁意謂えらく、是れ水神ならんと。跪いてその絆
を釈き、送りて河に至り、殷勤に別れを告ぐ。その夕、一器を持ちて来る。形香奩の如
く、大さ椰子の如く、函蓋合す。いわく、之を帯ぶれば血痕を治すと。且つ嘱していわ
く、親と雖も、子と雖も、慎んで開くこと勿れと。併せてその薬方を伝う。その薬方は兢
世にいう所の阿伊寿なり。その器は秘して厨庫にあり。此を以て之を験するに、その
験神の如し。尓後その門を叩く者、日夜踵を続く。今より上ること五世の祖なり。始祖
より今に到る蓋し十有三世なり。



     大蔵経碑文

我が兄終焉の夕べ、密に我を召し慇懃に属して曰く、「我に夙願有り。一大蔵経を建立せんと欲す
れども、如何せん家貧しくて遂ぐる能はざりき。憾む所は唯だ是れのみ。願はくば爾(なんじ)我が志
を継いで之を成せ」と。言ひ了つて奄然として逝く。爾(しか)りし自り以来、戦戦兢兢、深淵に臨むが
如く、薄氷を踏むが如し。今玆、文政十一戊子年夏四月、所願を果たすことを得たり。実に重担を
脱せしが如し。然るに躊昔の事を思ふ毎に、悲喜交集ひ、涕涙殆ど襟を霑すに至る。主人其の事
を以て余に語り、且之を記さんことを求む。因つて禿筆(とくひつ)を援り以て之を述ぶるのみ。
願主 能登屋元右衛門                                  沙門良寛謹書


    須磨紀行

「須磨寺の昔を問へば山桜」
あなたこなたとするうちに、日暮ければ、宿を求むれども、独者にたやすく貸すべきにしも
あらねば、
「よしや寝む須磨の浦わの波枕」
とすさみて、綱敷天神の森を尋ねて宿る。里を去ること一丁ばかり、松の林の中にあり。
「春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見へね」
おりおりは夜の嵐にさそわれて、墨の衣にうつるまで匂ふ。石灯籠の火はほのよりきらめ
き、うち寄する波の声も常よりは静かに聞こゆ。板敷の上に衣かたしきて、しばしまどろむ
かとすれば、雲の上人とぼしきが、薄衣に濃き指貫して、紅梅の一枝を持ちて、いづこと
もなく来たりたまふ。今宵は夜もよし。静かに物語りせんとてうち寄りたまふ。夜のことな
れば、気配も更に見へねども、久しく契りし人の如くに思ひ、昔今、心のくまぐまを語り明
かすかとすれば、夢はさめぬ。有明の月に浦風の蕭蕭たるをきくのみ。手を折てうち数ふ
れば、睦月二十四の夜にてなんありける。



       吉野紀行

里へ下れば、日は西の山に入りぬ。あやしの軒に立ちて一夜の宿りを乞ふ。その夜は板敷の
上に「ぬま」てふものを敷きて臥す。夜の物さへなければいとやすくねず、宵の間は翁の松を
灯してその火影にいと小さきかたみ組む。何ぞと問へば、これなん吉野の里の花筐(がたみ)といふ。
蔵王権現の桜の散るを惜しみて、拾ひて盛りたまふ。そのいはれには、今も吉野の里には、いやし
きものの家の業(わざ)となす。あるはわらわのもて遊びとなし、また物種入れて蒔きそむれば、秋よく
実る。これもてる者は万(よろづ)の災ひをまぬがると語る。あはれにもやさしくもおぼえければ、
    つとにせむよしのの里の花がたみ



    高野紀行

高野道中 衣を買ふに直銭無し
一瓶一鉢遠きを辞せず 裙子褊衫破れて春の如し また知る嚢中一物無きを
総て風光の為に此の身を誤る

さみづ坂といふ所に 里の童の青竹の杖をきりて売りゐたりければ

 こがねもていざ杖買はんさみづ坂



   京都紀行

はこの松は常住寺の庭にあり 常住寺は太子の建立也 家持の歌に

 今日ははや鶴のなく音も春めきて霞に見ゆるはこの島松



    嵐窓記

吾が定卿や、性隠逸を愛し、兼ねて和歌を好む。宅中に高楼有り、斜めに国上山に対す。樹鬱蒼
として、烟峰氤氳たり。主逍遥として其の中に寝臥し、名づけて嵐窓と云ふ。佳晨良宵、興至る毎
に、文を以て友を会し、一唱一咏、聊か以て其志を楽しまむ。



    有人乞仏語

人有り仏語を乞ふ。仏語吾知らず、聊か衆生の語を以てせん。衆生の語も亦た成さざれど、幸ひ
に鶯語有り。鶯語とは其れ如何。法法法華経。若し法法法華経の若くんば、何の示す所か之り有
らん。然りと雖も、此くの如く来たれば、機も亦た赴かん。



    自警文

若し邪見の人・無義の人・愚痴の人・暗鈍の人・醜陋(しゆうろう)の人・重悪の人・長病の人・
孤独の人・不遇の人・六根不具の人を見る者は、当に是の念を成すべし。何を以てか之を
救護せんと。従佗、救護する能はずとも、仮にも驕慢の心・高貴の心・調弄の心・軽賤の心・
厭悪の心を起こす可からず。急ぎ悲愍の心を生ず可し。若し起こらざる者は、慚愧の心を生
じて深く我が身を恨む可し。我は是れ道を去ること太だ遠し。所以の者は何ぞや。先聖に辜負
(こふ)するが故なり。聊か之を以て自ら警むと云ふ。



    書して敦賀屋に与ふ
古に曰く、君子は物を好めども、意を物に寓すと。誠なるかな、夫れ人の意有る、物に触れて感
ずれば則ち憂喜を発す。其の未だ発せざる、之を中と謂ひ、発して節に当たる、之を和と謂ふ。足
らざれば則ち及ばず、過ぐれば則ち溢れ、溢るれば則ち流れ、流るれば則ち焉に其の身を亡ぼすに
至らん。我が細道をして、世を没するまで尽くす能はざら使む。謂ふ、其の大体を謂はん。陶淵明は
之を菊に寓し、謝康楽は之を山水に寓し、支遁林は馬に寓し、劉伯倫は酒に寓す。書に寓する者、
琴に寓する者、画に寓する者、詩に寓する者、狂に寓する者、滑稽に寓する者、毬子寓する者、弾丸
に寓する者あり。物殊なり事異なると雖も、其の之を寓する所以の者は一つなり。或るものは楽しみ
て之に忘れ、或るものは好んで之に執す。古来の感、目前の徴、了然として観る可べし。何れか是何
れか非、子其れ焉を択べ。


印可の偈

印可の偈 (いんかのげ)

附良寛庵主 

良也如愚道轉寛
騰騰任運得誰看
為附山形欄藤杖
到處壁間午睡閑

寛政二庚戌冬 
水月老衲仙大忍

良寛庵主に附(ふ)す

良や愚の如く道転(うた)た寛(ひろ)し、
騰騰任運(とうとうにんうん)誰か看(み)るを得ん
為に山形欄藤(さんぎょうらんとう)の杖を附す
到る処の壁間午睡(へきかんごすい)の閑(かん)なり

寛政二庚戌(かのえいぬ)冬 
水月老(すいげつろう)衲仙(のうせん)大忍(だいにん)


          愛 語

愛語ト云フハ、衆生ヲ見ルニマヅ慈愛ノ心ヲオコシ、顧愛(コアイ)ノ言語をホドコスナリ。オヨソ暴悪ノ言語ナキナリ。世俗ニハ安否をトフ礼儀アリ、仏道ニハ珍重ノコトバアリ、不審ノ孝行アリ。慈念衆生(ジネンシュジョウ)、猶如赤子(ユウニョシャクシ)ノオモイヲタクハヘテ言語スルハ愛語ナリ。徳アルハホムベシ、徳ナキハアワレムベシ。愛語ヲコノムヨリハ、ヤウヤク愛語ヲ増長スルナリ。シカアレバ、ヒゴロシラレズミエザル愛語モ現前スルナリ。現在ノ身命ノ存スルアヒダ、コノンデ愛語スベシ、世々生々ニモ不退転ナラン。怨敵ヲ降伏シ、君子ヲ和睦ナラシムルコト愛語ヲ根本トスルナリ、向テ愛語ヲキクハオモテヲヨロコバシメ、ココロヲ楽シクス。向ハズシテ愛語ヲキクハ、肝ニ銘ジ魂ニ銘ズ。シルベシ愛語ハ愛心ヨリオコル、愛心ハ慈愛ヲ種子トセリ。愛語ヨク廻天ノ力アルコトヲ学スベキナリ、タダ能ヲ賞スルノミニアラズ。

                                                           沙門良寛謹書

                                ※道元の「正法眼蔵」の「菩提埵薩四摂法」の愛語を良寛様が謹書したもの。


   周蔵どの戒語

あさねすべからず
大食すべからず
ひるねをながくすべからず
みにすぎたことをすべからず
おこたるべからず
ものをかたることにすべからず
こころにものをかくすべからず
酒をあたためてのむべし
かみさかゆきすべし
てあしのつめをきるべし
くちそそぎ やうじつかうべし
ゆあみすべし
こゑをいだすべし
仏に香花をそなふべし
草木をうゑ にはをさうぢし、水をはこび 石をうつすべし
をりをり足にきうすゆべし
あぶらこきさかなくふべからず
つねにあはきものをくふべし

   ※周蔵とは、11代木村元右衛門の子である。父親に一時期
     勘当 されたことがある。12代を継いでいる。

 戒語

  おだやかならぬは
いくさのはなし
騒動のはなし
くじのはなし
ふしぎのはなし
あやしきはなし
あらかじめもののよしあしいふ
  うるさきは
ことばのおほき
ことばあらそひ
よしなきあげづらひ
ものいひのくどき
つけごとのおほき
ひきみ゛とのおほき
たとへごとのかさなる
おとしばなしのながき
講釈のながき
こざかしくものいふ
かたおどけ
興なきおどけ
めづらしきはなしもあまりかさなる
かへらぬ事をいつまでもいふ
ひとつひとつかぞたててものいふ
人のおもてを見てものいふ
酒のみのことばのみだれがはしき
いろいろのわけいふて人にものくるる
  ものいふて
人のおもてをまもりてあいさつをまつ
かたごと
しひごと
くりごと
かげごと
  きのどくなものは
ことばのたがふ
はなをふごめかして世の中に人なしげにものいふ
よくもしらぬ事を事にをしふる
人のいふことはききいれずわがいふことばかりいふ
人のいふことをききとどけずしてあいさつする
人の器量のありなしをとふ
文のをしへやうのわろき
引ごとのたがふ
給仕のもののいふことをきかぬ
使の人のことばをおとす
おのがうぢのよきをかたる
こどもをてうしすぐる
説法僧のこわいろ
見識めきたるはなし
風雅めきたるはなし
てがらばなし
じまんばなし
はなしにとうどりのおほき
人のものいひきらぬうちにものいふ
その事をいひもはてぬうちにこのこといふ
はなしのあひをきらさぬやうにものいふ
おどけのかうじたる



   良寛様俚謡(りよう)

一 天上たつ鳥 南蛮味噌つけて
   三保の松原 医者さわぎ

二 今宵 天満の橋にもねたが
   笠を取られし 川風に

三 霞に見ゆる すげの笠 
   もはやかくれて 杉のかげ

四 加茂の社の 杉さへ見れば
   過ぎし昔が 思はるる

五 酒は酒屋に 魚は納屋に
   新潟女郎しゅうは 寺町に



もどる