遍澄さんの和歌
                                                  小山宗太郎


 新潟県燕市の地蔵堂にある願王閣の境内に、遍澄さんの歌碑が建っている。遍澄さんは文政九年から嘉永三年までの約24年間、願王閣主となっている。近辺の子弟を教育したり、良寛様と交流のあった人々を訪ね、良寛様の詩歌の収集に努めたりしたのである。
 さて、和歌は石にひらがなで刻まれている。

とがまもてかりはらふべきひともなし むぐらしげれるしきしまのみち   釈遍澄

分かりやすく漢字を入れると、
利鎌もて刈り払うべき人もなし 葎茂れる敷島の道
となる。

 直訳すると、「営利な鎌を使って刈り払う人もいない。和歌の道には雑草のたくさん生い茂っていることよ」ということだろう。この歌は全体に暗喩法による比喩で構成されており、「今、和歌の世界は停滞しており、(良寛様のような)すぐれた歌人が現れていない。嘆かわしいとよ」という意味であろう。なかなかに遍澄さんは和歌が上手である。批評力もあり、性格も出ている。良寛様の和歌とはまた異なる世界である。私は好きである。この歌しか残っていないことがとても残念である。
                                              2011.8.6