「良寛様」という言霊                                     

                                                          小山 宗太郎

 良寛様のことについて調べ出して気づいたことがある。私は人相がやや怖そうなので、初対面の方には少し抵抗を与えるらしいのである。だが初対面の方に、
「あのう、少しお聞きしたいのですが・・・・、良寛様のことついて調べているのですが、○○寺はどこにありますか?」
 と尋ねると、「あのう、少しお聞きしたいのですが」の部分では、相手がやや不審な、何者であるかという顔をするのであるが、「良寛様のことついて調べているのですが、」の部分になると、相手の顔がすっと穏やかになり、その後とても親切に教えてくれるのである。まるで良寛様に興味関心を持つ人には、悪人はいないと勝手に解釈している風である。良寛様と関係の深い出雲崎町や旧分水町、旧和島村、旧与板町、旧寺泊町などでは、良寛様にとても親しみをもっている人が多く、特にその傾向が見られる。
「良寛様」という言葉に何か力があるような気さえするのである。もしかしたら良寛様という言葉は人を和ませる「言霊」なのではなかろうか。良寛様に親しみをもつ人々にとっては、強い言霊である。
 良寛禅師奇話の四十八話に次の記述がある。

 師ハ余ガ家ニ信宿(シンシュク)日ヲ重(カサ)ヌ。上下自ラ和睦シ、和気家ニ充チ、帰リ去ルト云ヘドモ、数日ノ内人自ラ和ス。師ト語ルコト一夕(イッセキ)スレバ、胸襟(キョウキン)清キ事ヲ覚ユ。師ハ更ニ内外ノ経文ヲ説キ、善ヲ勧ムルニモアラズ。或ハ厨下ニツキテ火ヲ焼キ、或ハ正堂ニ坐禅ス。其ノ話、詩文ニワタラズ、道義ニ及バズ、優游トシテ名状スベキ事ナシ。只道徳ノ人ヲ化スルノミ。

 つまり、良寛様がいるだけで、「みんな自ら和睦し、和気が家に充ちて、良寛様が帰り去っても、数日は家の者は自ら和する。」ということである。確かに良寛様は周囲を和する力をもってるのであるが、お亡くなりなってもその力は衰えることなく、良寛様の詩歌や行い、教え、書だけでなく、「良寛様」という言葉そのものに、人々を和する力が宿っているのである。良寛様の和やかにする霊力は、慕う人々の心に強く反応するのであろう。やはり良寛様は偉大な方なのである。

2011.3.4記載