良寛様の和歌二百八十首
                                                           小山 宗太郎

※はじめに

1  あわ雪の中に顕(た)ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中にあわ雪ぞ降る

 まず、三千大千世界とは、仏教の世界観による世界のことであり、須弥山(しゅみせん)を中心に日・月・四大州・上天を含む世界を一世界として、これが千個集まったものを小千世界であり、それが千個集まったものを中千世界、中千世界が千個集まったものを大千世界といい、これらを総称していう。
「国上山に住む良寛様の目の前には、あわ雪がしんしんと降り続いており、その中に三千大千世界が視えたのである。その中の一つ一つの世界にもあわ雪が降り続いていることだ」と解釈できる。良寛様の空想の歌であり、あわ雪は総てを覆い尽くすということである。つまりこれは宇宙の総ての世界が同じような現象に覆われるということである。あわ雪ならばあわ雪、花吹雪ならば花吹雪である。宇宙は一つに繋がっているということであろう。とても奥行きの深い代表的名歌である。


2  この里に手鞠つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし

 里の神社の境内で、良寛様は子どもたちと手鞠をついているのである。この子どもたちはみな貧しく、このような遊びばかりをしてはいられない子どもたちである。家の手伝いを毎日しなければならない子もいるであろうし、明日には売られていく子もいるのである。そのような中で手鞠をついている。良寛様はこのような楽しい幸せな春の日々がいつまでも続いてほしいと願っているのである。これも代表的名歌である。


3  霞立つながき春日に子供らと手鞠つきつつこの日暮らしつ

「霞がたつ長い春の日に子供たちと手鞠をついてひと日を暮らしたよ」と解釈できる。ゆったりとした時間が良寛様と子どもたちの間に流れているように感じられる。手鞠の音も聞こえてきそうである。良寛様にとっては幸せの時間であったろう。


4  つきてみよひふみよいむなやここのとを十とをさめてまた始まるを

 貞心尼は良寛様に弟子にして下さいと歌を認め手鞠を置いていったが、その入門の許可の手紙と共にこの返歌が添えられてあった。
「手鞠をついてみなさい。一二三四五六七八九十で、十までついたらまた一から始めます」と直訳できる。しかしこれには深い意味があり、「仏の道はこれで終わりということなく、ずっと続くものです」ということが含まれている。またニーチェがツァラトゥストラに語らせた永遠回帰の思想にもつながっている。とにかく、ここから二人の交流が始まったのである。


5  世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれは勝れる

「世の中の人々と交流しないということはないけれど、一人で書をかいたり、読書したり、詩歌をつくったりしている方が私は好きであることよ」と解釈できる。良寛様は基本的に孤独が好きな方であり、1人の時間を大切にした方であるように思う。しかし、大好きな詩歌を友だちと語らったり、つくったりすることは好きであったらしく、趣味を同じくする方との交わりは好んだようである。それにお酒も孤独とおなじくらい好きだったかも知れない。この歌碑は、出雲崎の夕日の丘公園に建っている。


6  道のべに菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来しあはれ鉢の子

 菫つみに熱中して、鉢の入れ物を野辺に忘れてしまったのである。鉢の子はとても大事なものであり、この中に施しを入れてもらうのである。つまり生きていくために必要な道具なのである。本当にあわれ鉢の子、あわれ良寛様である。


7  月よみの光を待ちてかへりませ山路は栗のいがの落つれば

 この歌は、国上山の麓に住む阿部定珍への贈答歌である。五合庵で定珍と歌詠みに熱中してやや遅くなったのであろう。「歌友に、月が出て光が射すようになってから出てから帰った方がいいですよ。山路は栗の毬が多く、危ないですから」という意味の歌を詠んだのである。これに答えて、定珍は、「しまらくはここにとまらむひさかたの後には月のいでむと思へば」 と詠んでいる。なお、「月よみの光を待ちてかへりませ君が家路はとほからなくに」という歌もある。


8  形見とて何か残さむ春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉

「形見として私が残すとしたら、古里の山々に見られる、春は桜花、夏はほとどきすの鳴く声、秋は紅葉であろう」と解釈できる。形見は自分の持つ品物ではなく、自然そのものの素晴らしさであると良寛様はいうのである。川端康成がこの歌をノーベル賞授賞式の記念講演で紹介している。日本らしい詩歌であり、日本の自然の素晴らしさをよく理解している良寛様である。


9  なにとなく心さやぎていねられずあしたは春のはじめと思へば

「明日が春の初めと思うと、嬉しくて今夜はなかなか眠ることができないな」と解釈できる。春の初めとは、元旦と立春のどちらであろう。やはり眠ることができない位の喜びという観点から元旦が相応しいように思う。とすれば大晦日の歌ということである。確かに大晦日には新しい年、新しい春がもうすぐやって来るというわくわくとした雰囲気があるように思う。


10  いざ歌へわれ立ち舞はむひさかたのこよひの月にい寝らるべしや

「さあ歌おう。私は踊り明かそう。今宵はよい月が出ている。寝てはいられないよ」と解釈できる。良寛様は盆踊りが大好きであり、頭巾を被れば、華奢な良寛様は女のようにみえたそうである。夜通し村人と共に踊ったであろう。


11  いにしへに変はらぬものは荒磯海(ありそみ)と向かひに見ゆる佐渡の島なり

「昔から変わらないものは、ごつごつとした岩のある出雲崎の海と向かいに見える佐渡島であることよ」と解釈できる。「鰈になる話」に見られるように、子どもの頃から良寛様は海を眺める事が大好きであったと思われる。この歌は出雲崎にある良寛堂の中の多宝塔に刻まれている。


12  たらちねの母が形見と朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも

「亡くなった母の形見として、朝や晩に佐渡島を眺めていることであるよ」と解釈できる。良寛様にとってとても優しい母親だったのであろう。祖父母や父親を対象としたこのような歌はない。良寛様は母っ子だったと思われる。「たらちねの」は母の枕詞。


13  やまかげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみ渡るかも

「山陰の岩の間を伝わる苔の水のかすかな音を聞いていると、私の心は澄み渡ってくるようだ」と解釈できます。また歌人の吉野秀雄は、この歌の後半を「苔清水のように、かすかに世にかくれた生の営みを私は続けているよ」と解釈している。どちらとも解釈できるように思う。


14  あしひきの国上の山の松かげにあらはれいづる月のさやけさ

「国上山の松の陰より現れ出てくる月は清々しく見えるものだ」と解釈できるが、後半を「清々しい月を眺めていると私の心も澄んでくるようだ」とも解釈できる。微妙な違いではあるが、和歌は短いが故にいくつか解釈できることがある。それはそれで良いのではなかろうかと思う。「あしひきの」は山の枕詞。


15  良寛に辞世あるかと人問はば南無阿弥陀仏といふと答へよ

 意味は平明であり、「良寛に辞世があるかと人が問うならば、南無阿弥陀仏であると答えなさい」と解釈できる。しかし、「南無阿弥陀仏」は浄土宗及び浄土真宗のお経の一節である。良寛様は曹洞宗のお坊様である。曹洞宗は「南無釈迦牟尼仏 」と唱えるのである。ここが良寛様の良寛様たる所以である。良寛様は「雑炊宗」といわれる位、いろいろな宗派の教典を独学で学んだのである。そして、最後に南無阿弥陀仏にたどり着いたのである。 良寛様は何宗という枠には括れない方であり、ここに良寛様の魅力があるのである。


16  ひさかたの雲のはたてをうち見つつ昨日も今日もくらしつるかも

「彼方の空に広がる雲を見上げつつ、私は昨日も今日も、暮らしていることであるよ」と解釈できる。現代の大人は日々忙しく空を眺めることはまずないのである。忙しくなくても眺めないであろう。少年の頃はよくあったように思う。良寛様は少年の心を持ったお方なのである。時には見上げてみよう。少年の頃の心に戻れるかも知れない。「ひさかたの」は雲の枕詞。


17  蚤虱音(ね)に鳴く秋の虫ならばわがふところは武蔵野の原

「蚤や虱が秋の虫のように鳴いているとしたら、私の懐は武蔵野の原野のようだろう」と解釈できる。ユーモアに富んだ歌である。しみじみとして情緒に満ちた歌が多いが、時にはこのような歌を詠んでいたのである。良寛様はユーモリストであり、普段から周囲の人々を楽しませていたと思われる。


18  この宮のみ坂に見れば藤なみの花のさかりになりにけるかも

「神社へ向かう坂から見上げると藤の花が垂れ下がり、咲き満ちていることであるよ」と解釈できる。ここでいう神社とは、石部(いそべ)神社のことであり、旧和島村上桐にある。良寛様は示寂する一年前に神社を訪ねて、この歌を詠んでいる。調べの整った歌であり、万葉調の名歌といえるであろう。歌碑が階段ののぼり口に建っている。


19  鉢の子に菫たんぽぽこきまぜて三世(みよ)の仏にたてまつりてむ

「鉢の子に摘んだ菫や蒲公英を混ぜ合わせて、過去、現在、未来の三世の仏たちにお供えましょう」と解釈できる。三世の仏とは、釈迦・阿弥陀・弥勒の三尊のことで、釈迦が現在、阿弥陀が過去、弥勒が未来に関係する仏だからである。「こきまぜる」という言葉がやや和歌向きの言葉ではないように思うが、子ども達とままごとでもしていた時の歌であろうか。


20  くれなゐの七の宝を諸手しておし戴きぬ人のたまもの

「紅色の七つの宝のような石榴を両手にて戴きました。ある人からの贈り物です」と解釈できる。人とは、新津の大庄屋桂東悟の妻、時子のことである。時子の歌の師は良寛様の弟の由之である。良寛様は石榴が大好きだったようである。


21  老が身のあはれを誰に語らまし杖を忘れて帰る夕暮

「老いてしまった我が身のあわれさを一体誰に話したらよいであろう。大切な杖を忘れてしまって夕暮れの道をとぼとぼ帰ることであるよ」と解釈できる。良寛様は忘れ物がとても多く、忘れないようにしたためたメモの紙までも忘れてしまったりしている。ぼおっとしていることも多いが、一旦集中すると周囲のことが眼に入らなくなるタイプの人だったようである。天才にありがちな性格である。


22  ふるさとへ行く人あらば言(こと)づてむ今日近江路をわれは越えにきと

「古里の越後へ行く人がいるなら伝えてほしい。今日、近江路を私は越えましたと」と解釈できる。これは良寛様が22歳の時に古里出雲崎を離れて岡山県の円通寺に向かう時の歌であろう。ずっと後になって思い出して詠んだのである。なお近江路とは 、北陸から近江国(滋賀県)へと続く街道である。良寛様がまとめた歌集「ふるさと」の一番最初の歌である。


23  福井なる矢たれの橋に来てみれば雨は降れれど日は照れれども

「福井(旧巻町福井)にある矢垂れの橋に来てみると、雨は降るけれど、日が照っており、不思議な天気であることよ」と解釈できる。天気雨、つまり晴天にもかかわらず雨が降っている状態なのであろう。稀に見られる現象である。その不思議さを歌にしたのである。歌碑がその橋のあった場所に建っている。


24  この宮の宮のみ坂に出で立てばみ雪降りけり厳樫(いつかし)が上(へ)に

「この菅原神社の坂の所へ出て見渡すと、厳かな樫の木々の上に雪が美しく降り積もっていることであるよ」と解釈できる。菅原神社は旧分水町渡部にあり、粕川家がその当時から現在まで神官を務めている。良寛様はよくここを訪れ、泊まったりしている。早朝の歌であろう。なお菅原神社の登り口には、「天神のかみのみ坂ゆ見はたせばみ雪ふりけり巌橿が上に」の歌碑が建っている。


25  むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば

「心が本当に楽しくなります。のどかな春の日に鳥たちが群れ遊ぶのを見ていると」と解釈できる。自分も鳥たちのように自由気ままに遊んでいることができたらなあという気持ちも感じられる。なお、「むらぎも」は心の枕詞であり、調べを整える働きがあるように思われる。


26  五月雨の晴れ間に出でて眺むれば青田涼しく風渡るなり

「ずっと降り続いていた五月雨がやんで晴れ間になったので、外に出て平野を眺めると、青々とした田んぼに涼しい風が吹き渡っていることよ」と解釈できる。梅雨の晴れ間のすがすがしい雰囲気の漂う万葉調の歌である。昔から越後平野は広々として風が吹き渡っていたのであろう。


27  岩室の田中の松を今日見ればしぐれの雨に濡れつつ立てり

「岩室村の田中の松を今日みたら、時雨の雨に濡れながら立っていたよ」と解釈できる。托鉢の時の歌であろうか。良寛様も松も濡れているのである。松が良寛様を待っていたかのようである。この歌は調べがよく、声に出して詠んで味わう歌であろう。和歌はそれほどの意味はないけれど、心地よい響きが感じられるという名歌もある。これも万葉調の歌である。


28  いにしへを思へば夢かうつつかも夜は時雨の雨を聴きつつ

「昔のことを思い起こせば、夢であったか現実であったかよく分からなくなってしまう。夜に時雨の雨音を聞きつつそんなことを思っているよ」と解釈できる。昔のことを回想しながら、自分の人生を振り返っているのであろう。深みのある歌であり、あまり知られていないが、なかなかの名歌である。


29  秋の野にだれ聞けとてかよもすがら声ふり立てて鈴虫の鳴く

「秋の野に誰かに聞いてほしいと言う如く、一晩中大きな声を出して鈴虫が鳴いていることであるよ」と解釈できる。この鈴虫は良寛様であろうか。良寛様は誰かに来て欲しいのであろう。和歌の詠み合わせをしたいのかも知れない。人恋しい良寛様であった。


30  春の野に若菜摘みつつ雉子の声きけば昔の思ほゆらくに

「春の野原に山菜を摘んでいると雉の鳴く声が聞こえる。その声を聞くと昔のことが懐かしく思い出されることだ」と解釈できる。父母がいて、裕福であり、幸せだった幼い頃のことが思い出されるのであろうか。これも万葉調の歌である。


31  何ごともみな昔とぞなりにける花に涙をそそぐ今日かも

 これは親友の原田鵲齋(じゃくさい)が亡くなったと聞いて詠んだ歌といわれている。「君との交流が総て昔の出来事となってしまったことだ。今日は君の訃報を聞き、桜の花を見ながら泣いているよ」と解釈できる。鵲齋は隠居してから加茂町に居住し、そこで亡くなっている。


32  来てみればわが古里は荒れにけり庭も籬(まがき)も落葉のみして

「修行を終えて、わが古里に帰ってみれば、わが家の庭も垣根も荒れ果てて落ち葉ばかりであることよ」と解釈できる。この頃山本家は没落しており、その責任は長子である自分にもあると感じていたであろう。恐らく山本家の墓前にはお参りしたであろうが、家には入ることはできず、その前を素通りして寺泊方面に向かったのである。悲しみの深い良寛様であった。


33  世の中に恋しきものは浜辺なるさざえの貝のふたにぞありける

「世の中に恋しいものは、浜辺の栄螺の蓋でありますよ」と解釈できる。弟の由之からきず薬を貰ったが、その蓋がなく、栄螺のふたがちょうど良いので、送ってほしいと手紙に書いたのであるが、その手紙に添えられてあった歌である。ユーモアのある歌である。


34  明日よりの後のよすがはいさ知らず今日のひと日は酔ひにけらしも

「明日からのことはよく分からないが、今日一日は酒を飲んで楽しもうぞ」と解釈できる。親しい友だちと飲んでいるのであろう。酒が進むと先のことはどうでもよくなることがある。しかし酔いが覚めると二日酔いと共に後悔するものである。この気持ちは酒飲みならよく分かることであろう。禅僧は酒を禁じられていたが、良寛様は酒が大好きだったのである。


35  木の間より角田の沖を見わたせば海士(あま)の焚く火の見えかくれつつ

「山の木々の間から角田浜の沖を見渡せば、漁師の焚く火が見え隠れしているよ」と解釈できる。恐らく夕方か夜であろう。国上山や弥彦山からは海がよく見え、漁師の魚とりのために焚く火も美しく見えたことであろう。


36  しほのりの坂は名のみになりにけり行く人しぬべ万代までに

「塩之入の坂の険しさは昔語りとなりましたよ。ここを通る人は通りやすく整備してくれた方の有りがたさをこれからもずっと後世に伝たえて欲しい」と解釈できる。峠を整備し、通りやすくしてくれたのは与板藩主伊井直輝である。塩之入峠は、島崎と与板とをつなぐ峠であり、良寛様が通っただけでなく、弟の由之や貞心尼も島崎の良寛様に逢うために通ったのである。


37  また来むといひて別れし君ゆゑに今日もほとほと思ひ暮らしつ

「また来ますと言って別れた君であるがゆえに、今日も君を待って思い暮らしていることだよ」と解釈できる。相手は貞心尼ではないようであるが、恋しい女性にあてた歌のように思われる。それとも、とても親しい友だちであるかも知れない。相聞歌といってもよいであろう。


38  夕ぐれの岡の松の木人ならば昔のことを問はましものを

「夕ぐれの岡にある松の木が人であるなら、昔のことを聞いてみたいものだ」と解釈できる。「夕ぐれの岡」とは、国上山の登り口付近にある岡であり、国上寺の再興に功績のあった万元上人の和歌の碑が建っている。万元上人は詩歌の才があり、五合庵の開基である。良寛様は万元上人のことが聞きたかったのであろう。


39  越の海野積の浦の海苔を得ば分けて賜はれ今ならずとも

「越後の海の野積浜で海苔がとれたなら、分けてください。今でなくてもよいですから」と解釈できる。これはすぐ下の妹「むら」にあてた歌といわれている。むらは寺泊の廻船問屋外山外山弥惣右衛門に嫁いでいた。良寛様は海苔が好きだったようである。


40  わが宿をたづねて来ませあしひきの山の紅葉を手折りがてらに

「わが庵を訪ねて来て欲しい。国上山の紅葉を手で折るついでに」と解釈できる。所々をかえたこのタイプの発想の歌は多く、良寛様は気に入っていたのであろう。友だちに庵を訪ねて欲しいと常に思っていたのではなかろうか。「あしひきの」は山の枕詞。


41  さびしさに草のいほりを出で見れば稲葉押しなみ秋風ぞ吹く

「寂しくなったので、五合庵を出て見ると、稲の葉をなびかせて秋風が吹いている」と解釈できる。稲に秋風が吹くとパターン化してはいるが、調べの整った歌である。


42  たまきはる命死なねばこの園の花咲く春に逢ひにけらしも

「わが命が長らえているので、この庭に咲いている美しい春の花にまた逢うことができたよ」と解釈できる。この園とは阿部家の庭といわれている。命さえあれば、春夏秋冬の自然の素晴らしいものに出会うことができ、命のいとおしさを歌に詠んでいるのである。「たまきはる」は命の枕詞。


43  あしひきの山田の案山子汝さへも穂拾ふ鳥を守るてふものを

「山あいの田んぼの案山子よ、お前さえ鳥から稲穂を守るのいうのに、私は人々を守ることができないなあ」と解釈できる。良寛様は案山子よりも非力なのかと嘆いているのである。嘆きつつもただ民衆のために祈るしかないのであろう。


44   飯乞ふと里にも出でずなりにけり昨日も今日も雪の降れれば

「托鉢に村々にも出かけられなくなってしまったものだ。昨日も今日も雪が降り続くので」と解釈できる。托鉢しなければ食料も無くなってしまい、飢え死にしてしまうのである。しんしんといつまでも降り続く越後の雪は生き地獄にも似ているのである。


45  わが宿の垣根に植ゑし百草の花咲く秋は近づきにけり

「私の住む庵の垣根の周辺に植えたいろいろな草に、花が咲きほこる秋が近づいてきたものだよ」と解釈できる。良寛様は花が大好きであり、今風の花壇ほどではないにしても、いろいろな草花を植えて育てていたようである。


46  みづくぎの跡も涙にかすみけり在りし昔のことを思へば

「父の書いた筆跡を見ると涙に眼がかすんでしまう。在りし昔のことを思い出しているよ」と解釈できる。「父の書かいたものを見て」の添え書きがある。昔は父に逆らい、長男でありながら家督を継ぐこともせず、父に迷惑をかけたことをすまなく思っていたであろう。父・以南は北越蕉風中興の祖といわれるほど俳句がうまかった。「朝霧に一段低しねむの花」が代表作である。


47  世の中を何にたとへむ弥彦(いやひこ)にたゆたふ雲の風のまにまに

「世の中を生きていく方法として何にたとえたらよいであろう。弥彦山の上に漂う雲が風にまかせて流れていくようなものであろうか」と解釈できる。良寛様は自然にまかせてなすがままに生きていくことだと述べているのであろうか。現代ではなかなか難しい生き方ではある。


48  籠田より村田の森を見渡せば幾世経ぬらむ神さびにけり

「籠田の場所から村田の森を見渡すと、どれほどの代が過ぎたのであろう。神々しく見えることだ」と解釈できる。村田の森は、旧和島村の西のはずれにあり、その中には熊野神社がある。椿の森として知られており、良寛様の歌碑が境内に建っている。


49  あしひきの山田の田居に鳴く蛙声のはるけきこの夕べかも

「山あいの田んぼに鳴いている蛙の声が遙か遠くから聞こえて来る夕暮れであることよ」と解釈できる。このような情景は、初夏の越後平野にはよく見られる。田舎の典型的な風景であり、和歌は抒情詩であることがよく理解できる。


50  この里の桃の盛りに来て見れば流れにうつる花のくれなゐ

「この村の桃の花が盛んに咲いている時に来て見れば、大河の流れに花の紅色が美しく映っていることよ」と解釈できる。この里とは旧白根市新飯田地区のことであり、川は信濃川である。現在でも春になると桃の紅の花が見事に咲きほこっている。良寛様は舟に乗って新飯田に住む道友の有願上人に会いに行ったのである。


51  佐渡島の山はかすみの眉ひきて夕陽まばゆき春の海原

「出雲崎から日本海を眺めると佐渡島の山々に眉ずみで引いたような細長い霞がたなびき、夕陽が眩しく春の海原できらきらと輝いているよ」と解釈することができる。とても美しい風景である。私もこのような黄昏にかがやく日本海を見たことがあるが、とても印象的である。名歌の一つであろう。


52  あしひきの黒坂山の木の間より洩りくる月の影のさやけさ

「黒坂山の木々の間より月の光が洩れてきて、とても清々しく感じられることよ」と解釈できる。黒坂山は旧和島村にある山といわれている。形式はパターン化されてはいるが、調べの整った歌である。「あしひきの」は山の枕詞。


53  いづくより夜の夢路をたどり来しみ山はいまだ雪の深きに

「どこから夜の夢の道を歩いてここまでやって来たのか。周辺の山々はまだ雪が深く積もっているのに」と解釈できる。歌の添え書きに「由之を夢に見てさめて」とある。由之はすぐ下の弟で、とても仲が良く、和歌の宗匠でもあった。よく和歌について議論し合ったようである。お墓も隆泉寺の良寛様の隣りに並んで建っている。


54  その上(かみ)は酒に浮けつる梅の花土に落ちけりいたづらにして

「昔はお酒に梅の花びらを浮かべて飲んだものだが、今は梅の花が土の上にむなしく落ちているばかりだ」と解釈できる。これは友人の有則(原田鵲斎)の家を訪れた時、移転しすでに空き地になっており、梅の木が立っているのみであった。昔、二人はお酒に梅の花びらを浮かべ、和歌を詠み、風流を楽しんだりしていたのである。旧分水町真木山の旧宅には、この歌の碑が建っている。


55  さすたけの君がすすむるうま酒にわれ酔ひにけりそのうま酒に

「貴方が勧めるおいしいお酒で私は酔ってしましましたよ。そのおいしいお酒に」と解釈できる。君とは、国上山の麓に住む庇護者の阿部定珍のことである。良寛様は定珍ととても親しく、よく酒を飲み交わしながら歌を詠んだりしていたのである。「さすたけの」は君の枕詞。


56  やまたづの向かひの岡に小牡鹿(さをしか)立てり神無月時雨の雨に濡れつつ

「向かい側の岡に牡の鹿がじっと立っている。十月(陰暦)の初冬の冷たい時雨の雨に濡れながら」と解釈できる。絵画を見ているような歌であり、これからイメージを膨らませて絵が描けるかも知れない。現在、国上山や弥彦山には鹿などの大型の動物は住んではいないが、昔はいたようである。「やまたづの」は向かひの枕詞。


57  いかにして誠の道にかなひなむ千歳のうちにひと日なりとも

「どうにかして仏の真理の道を実行したいものだ。千年の内にたった一日であったとしても」 と解釈できる。日々実践しようとしているけれど、なかなか仏の真理にかなう実践はできないものだというのであるが、千年に一日とは、やや謙遜して述べているのだろうか。それとも真実の声なのであろうか。


58  水の上に数書くよりもはかなきは御法(みのり) をはかる人にぞありける

「水の上に数字を書くことよりもむなしいことは、仏の道をそのまま受け入れないで、あれこれ推し量ることであるよ」と解釈できる。良寛様には珍しく、批評を込めた歌である。現代短歌ではよく見られることであるが、批評のある和歌は珍しいのである。その意味で価値のある歌である。


59  飯乞ふとわが来しかども春の野にすみれ摘みつつ時を経にけり

「托鉢のために私はやって来たけれど、春の野原に菫を摘みながら時間を過ごしたことだよ」と解釈できる。良寛様はお花が大好きであり、菫の美しさについひかれてしまったのであろう。良寛様らしい歌である。


60  あづさ弓春になりなば草の庵をとく出で来ませ逢ひたきものを

「春になったら庵を出て私の所へ早く来てください。逢いたいものだなあ」 と解釈できる。貞心尼にあてた相聞歌である。現代風に言えばラブレターである。素直に気持ちを伝えており、七十歳過ぎの方の歌とは思えないのである。私は二十代の頃から歌をやってきたが、こんなストレートな歌は作ったことがないのである。「あづさ弓」は春の枕詞。


61  ひさかたの天ぎる雪と見るまでに降るは桜の花にぞありける

「一面曇って雪が降っているのかと見まちがうほどに、降っているのは桜の花であることよ」と解釈できる。花を雪と表現する技法は古今調であるが、良寛様は古今集を決して嫌ってはいなかったようである。万葉集も古今集も同じくらい大切にしていたのではなかろうか。「ひさかたの」は天の枕詞。


62  津の国の高野の奥の古寺に杉のしづくを聞きあかしつつ

「津の国の高野の奥地にある古寺に泊まって、杉の滴が落ちる音を聞きつつ一夜明かしたことであるよ」と解釈できる。杉林に囲まれた山深い寺なのであろう。しかし、高野の古寺の場所がどこであるか分からないのである。一説には高野山金剛峯寺とも摂津の高代寺とも言われている。


63  思ほへずまたこの庵に来にけらしありし昔の心ならひに

「いつの間にかまたこの庵にしてしまったことだ。昔の習慣のままに」と解釈できる。この庵には、今は亡き道友の有願上人が住んでいた庵であり、二十歳年上の曹洞宗のお坊さんであり、奇僧といわれ良寛様と心通じるものがあった。


64  秋もややうら寂しくぞなりにける小笹に雨のそそぐを聞けば

「秋もだんだんと寂しくなってきたものだ。笹に雨が降りそそぐ音を聞いていると」と解釈できる。秋の深まる五合庵で一人でその音を聞いていると、さらにその寂しい気持ちはつのったことであろう。良寛様はこの類想歌をいくつか詠んでおり、好きな歌だったのであろう。


65  秋山をわが越えくればたまぼこの道も照るまでにもみぢしにけり

「秋の山を私が越えて来ると、この山道が照りかえるまで美しく紅葉していたことだ」と解釈できる。最初、紅葉が散って色とりどりに美しく道が輝いていたと思ったが、そうではなく、両側の紅葉が反射して道が照り輝いているということである。日差しも美しく伸びているのであろう。「たまぼこの」は道の枕詞。


66  風は清し月はさやけしいざ共に踊り明かさむ老いの名残りに

「吹く風は清々しく月は明るく澄んでいる。さあ一緒に踊り明かそう。老人の思い出として」と解釈できる。良寛様は盆踊りが大好きであり、なで肩なので手拭いを被ると女性に間違われたそうである。「手ぬぐひで年をかくすや盆踊」という句も詠んでいる。


67  乙宮の森の下屋の静けさにしばしとてわが杖移しけり

「乙子神社の森にある庵は静かなので、しばらく住んでみようと思い、私は引っ越してきたよ」と解釈できる。五合庵は乙子神社のもっと高台にあり、年老いた良寛様が生活する上では不便になってきたので、乙子神社の脇の庵に引っ越してきたのである。乙子神社に住むようになって書も詩歌もさらに充実してきたといわれている。


68  天が下に満つる玉より黄金より春の初めの君がおとづれ

「世の中にたくさんある玉や黄金よりも、春の初めの君のお便りが一番嬉しいことであるよ」と解釈できる。君とは貞心尼のことであり、早く訪問してくれることを強く願っているのである。熱烈な相聞歌である。


69  手もすまに植ゑて育てし八千草は風の心にまかせたりけり

「手をかけて植えて育てた多くの草花は、吹いている風の思いのままにまかせたために、だめになってしまったよ」と解釈できる。この歌は長歌に対する反歌であり、長歌には、「自分が育てていた多くの草花が嵐によってだめになってしまってとても残念である」と歌っている。良寛様は草花を庵の周辺で育てており、長歌には、秋萩、薄、女郎花、紫苑、撫子、藤袴などであると書かれている。また、「風の心」という比喩表現はとても詩的である。


70  月夜よみ門田の田居に出でてみれば遠山もとに霧立ちわたる

「月夜がとても美しいので、家の門の前の田んぼに出て見たら、遠くの山の麓に霧が立ちこめていたことよ」と解釈できる。月と霧の歌が良寛様の歌には多く、好きな題材だったのだろう。また美しい題材である。電灯がない時代なので、月光のありがたい光源だったのではなかろうか。


71  大殿の林のもとを清めつつきのふもけふも暮らしつるかも

「観音堂のある林の下を掃いて清めながら、昨日も今日もここで暮らしていますよ」と解釈できる。大殿とは、旧寺泊町にある照明寺の観音堂のことであり、良寛様はこの寺の密蔵院に三度(45歳、70歳、72歳の頃)住んでいる。海が近く、少し高台にあり、景色もよく、とても気に入っていたようである。


72  月夜にはいも寝ざりけり大殿の林のもとに行き帰りつつ

「月の出た明るい夜には、よく寝ることができないなあ。それで観音堂のある林の下を行ったり来たりしていることよ」と解釈できる。大殿は照明寺の観音堂のこと。月夜は大好きだったようであり、夜の散歩をしながら詩作でもしていたのかも知れない。月夜の歌は多いのである。


73  秋の野の萩にすすきを折り添へて三世(みよ)の仏に奉りてむ

「秋の野原に咲いている萩の花に薄を折って添え、過去、現在、未来の三世の仏たちにお供えましょう」と解釈できる。三世の仏とは、釈迦・阿弥陀・弥勒の三尊のことである。これは「鉢の子に菫たんぽぽこきまぜて三世(みよ)の仏にたてまつりてむ」という春の歌と対になっているように思われる。


74  行く秋のあはれを誰に語らましあかざ籠(こ)に入れて帰る夕ぐれ

「過ぎようとする秋のもの寂しさを誰に語ろうか。あかざをカゴに入れて帰る夕暮れであることよ」と解釈できる。あかざとは、アカザ科の一年草であり、若葉などを食用にする。秋のもの寂しさは和歌の基本となる感情であり、この感覚が分からない方は和歌向きではないであろう。いやいや前衛短歌向きかも知れない。


75  大めしを食うて眠りし報いにや鰯の身とぞなりにけるかも

「大飯を食って眠った罰であろうか。鰯のように痩せ細った身となってしまったものだよ」と解釈できる。子どもに鰯のような良法師が来たといわれての歌である。与板町の山田杜皐に送った手紙に添えられてあった。晩年はやせ細っていたようであるが、ユーモアを感じさせる歌である。


76  今よりはつぎて白雲積もるらし道踏みわけて誰か訪ふべき

「これからは次々と白雪が降り積もるようだ。この道を踏み分けて誰がこの庵を訪れてくれるだろうか。おそらく誰もいないであろう」と解釈できる。冬場はほとんど麓からは誰も来てはくれなかったであろう。それほどに冬の山は厳しいのである。どのようにあの庵で良寛様は寒さを凌いだのであろうか。


77  世の中を憂しと思へばかほととぎす木の間がくれに鳴き渡るなり

「世の中をつらいと思うからなのであろうか、ホトドキスが木々の間を隠れながら鳴き渡っていくよ」と解釈できる。山上憶良の「世の中を憂しと恥じと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」の歌を本歌取りしている。良寛様の初期の作品には本歌取りが多く見られる。ホトトギスは自分のことを擬人化しているのであろうか。


78  はらからも残り少なになりにけり思へば惜しきけふの別れは

「兄弟姉妹も、死んでしまい残り少なくなってしまったものだ。思えば心惜しいことだ。今日の別れは」と解釈できる。「与板の由之と別るる時」と添え書きがある。肉親との別れは歳を取った良寛様には身に染みることであったろう。特に弟の由之とは親しかったのである。なお「はらからも残り少なになりにけり集ひしをりもありにしものを」という歌もある。


79  あしひきの山田の小父がひめもすにい行きかへらひ水運ぶ見ゆ

「山の田んぼに、年寄りが一日中忙しく行ったり来たりして水を運んでいる姿が見えることだ」と解釈できる。花鳥風月とは異なり、写実の風景である。老人が水を運ぶ大変さが見えるようである。枕詞がなければアララギ風写生短歌である。


80  里辺には笛や鼓の音すなり深山(みやま)は松の声ばかりして

「里の周辺は、笛や鼓の音がしている。(私の住む)山奥は、風に吹かれる松の音ばかりしている」と解釈できる。里と自分の住む山とでは、こんなに違うものであるかと感じている良寛様である。寂しい山の生活ではある。


81  うちつけに死なば死なずて永らへてかかる憂き目を見るがわびしさ

「突然に死んだらよいのに死なないで生き長らえて、このような辛い目をみることは苦しいことだ」と解釈できる。これは文政十一年の三条大地震の際に詠んだ歌である。三条町にも良寛様の親しい人たちが何人かいたのである。消息を確かめる手紙を出したりしている。


82  小山田(おやまだ)の山田の桜見む日には一枝を送れ風の便りに

「小山田の山田の桜を見に行く日には、その一枝を送ってほしい。風の便りとして」と解釈できる。風の便りとは、ほんのちょっとしたついでにという意味である。弟の由之に出した歌である。五泉市小山田は桜の名所であり、弟の由之が与板から五泉まで桜見物に出かけて行ったのである。


83  草むらの螢とならば宵よひに黄金(こがね)の水を妹(いも)たまうてよ

「私が草むらのホタルであるなら、宵ごとに黄金の水、つまりお酒を妹のような貴方、私に下さいな」と解釈できる。妹とは、山田杜皐の嫁「およし」であり、良寛様にホタルというあだ名をつけたと言われている。黄金の水とはこの場合、お酒のことである。良寛様はほんとうにお酒が大好きである。


84  春になりて日かずもいまだたたなくに軒に氷の融くる音して

「(暦の上では)春になって日にちもそれほど過ぎていないのに、軒につららの融ける音がしているよ」と解釈できる。氷の融ける音とは、氷から出る水のしたたりの音のことであろう。所々に春の訪れを感じている良寛様である。


85  今よりは千草は植ゑじきりぎりす汝(な)が鳴く声のいと物憂きに

「これからはいろいろな草を植えないようにしよう。蟋蟀よ、お前が鳴く声がとてもつらく聞こえるので」と解釈できる。この歌から、良寛様はいろいろな草花を植えることが趣味ということが理解できる。五合庵や乙子神社の周辺にいろいろな草花を植えていたのだろう。現在の雰囲気とは異なるようである。


86  わが宿に一本植ゑしすみれ草いまは春べと咲き初めぬらむ

「わが庵に一本植えたスミレの花が今は春だと咲き始めましたよ」と解釈できる。さて、ここいでいうスミレとは現在の菫であろうか。他の資料からすると、春のいろいろな草花の総称の可能性が高い。とすると良寛様はいろいろな草花を育てていたということであろう。


87  去年の秋移して植ゑし藤ばかまこの朝露に盛りなりけり

「去年の秋に移して植えた藤ばかまが、今日の朝露に濡れながら盛んに咲いていますよ」と解釈できる。藤ばかまは、秋の七草の一つであり、薬草にもなっている。どこからか見付けて株ごと運んできたのであろう。それを自分の庵の周辺に植えたのである。春の花、秋の花などたくさん植えたことであろう。


88  久方の棚機つ女(め)は今もかも天の河原に出で立たすらし

「織姫は今も彦星を待って、天の川の河原に出て立っているようだ。」と解釈できる。七夕の織姫彦星伝説をふまえて作られた歌である。中国から伝わった伝説であり、古今集においてそのような歌が見られる。好きでも添い遂げることができないことを不憫に思っていたのかも知れない。昔は身分制度により男女の自由な恋愛は禁じられていたのであり、悲恋もよくあったと思われる。


89  もみぢ葉は散りはするとも谷川に影だに残せ秋の形見に

「紅葉の葉は散ってしまっても、谷川にその影ぐらいは残してほしい。秋の形見として」と解釈できる。その影とはどういうことだろう。散っている影ということだろうか。やや非現実的な歌ではあるが、古今調なのかも知れない。


90  たどたどと山路の雪を踏みわけて草のいほりを訪(と)ひし君はも

「たどたどしい足取りで山道の雪を踏み分けて私の庵をよく訪ねてくれましたね、君は」と解釈できる。この君とは、三浦屋の遠藤幸助のことであり、三条の菓子商であり、当時の三条の文化人であった。良寛様の信奉者の一人であり、「月の兎」の詩歌もいただいている。


91  いまよりは往き来の人も絶えぬべし日に日に雪の降るばかりして

「これからは往き来の人はいなくなるだろう。日に日に雪が降るばかりであるよ」と解釈できる。雪が降れば道も消えてしまう国上山を訪れる人はほとんどいないと思われる。寂しくて厳しい山の生活が始まるのである。冬の五合庵で、良寛様は何をして過ごしていたのであろう。


92  かれこれと何あげつらむ世の中は一つの珠の影と知らずて

「あれこれと何を言い立てるのであろう。世の中というものは、一つの珠の中に映し出された影でしかないことを知らないのだろうか」と解釈できる。珠とは、如意宝珠のことであり、一切の願いが自分の意の如くに適うという霊力を持っているといわれている。仏教の教えを導く和歌ともいうべきものである。


93  いにしへを思へば夢の世なりけりいまも来む世を夢にぞあるらむ

「昔のことを思えば、夢のようにはかない世の中であったことよ。現在も未来の世の中も夢のようにはかないものなのだろう」と解釈できる。良寛様にしては暗くはかない歌である。何か落ち込むような出来事があったのであろうか。そんな風に感じさせる歌である。


94  岩が根にしたたる水を命にて今年の冬もしのぎつるかも

「大きな岩に滴る清水を命の支えとして、今年の厳しい冬も何とか過ごすことができたよ」と解釈できる。山で一冬過ごすことは、とても厳しいことである。経験はなくても理解できよう。良寛様は春がとても待ち遠しかったであろう。


95  月雪(つきゆき)はいつはあれどもぬばたまのけふの今宵になほしかずけり

「月の出ている雪の夜はいつも素晴らしいが、今宵の月と雪にはかなわないことであるよ」と訳すことができる。月と雪は良寛様の好きな題材である。冬の澄み切った月と白い雪の風景の組み合わせはとても素晴らしいのであろう。だが現代人は寒い夜に外に出て月を眺めようとは思はないであろう・・・。


96  いざさらば蓮(はちす)の上にうち乗らむよしや蛙(かはづ)と人は見るとも

「さあ、これでお別れしましょう。仏の蓮の台のような布団の上に乗りましょう。たとえ、それが蓮の蛙と人が見たとしてもかまいませんよ」と解釈できる。ここの蓮とは弟の由之が良寛様に贈った布団のことである。布団を蓮に見立てて詠んだ歌である。ユーモアのある歌である。


97  手折り来し花の色香は薄くともあはれみ給へ心ばかりは

「自ら折ってお供えする花の色や香りは薄いけれど、私の慕う心はご理解ください」と解釈できる。これは歌人西行法師のお墓に詣でた際の歌であり、良寛様は西行法師を崇拝していたといわれている。


98  ひさかたの降りくる雨か谷の音(と)か夜の嵐に散るもみぢ葉か

「ここに聞こえて来るのは、激しく降る雨音か、谷に水が激しく流れる音か、それとも嵐に激しく散る紅葉の葉の音であろうか」と解釈できる。嵐の窓に宿りて、と但し書きがある。嵐の夜の出来事なのであろうか。「嵐の窓」は阿部定珍の家の別称といわれている。阿部家に泊まった時の歌である。


99  あしひきの国上の山をいまもかも鳴きて越ゆらむ山ほとどきす

「国上山を今まさに鳴きながら越えてゆくようだよ。山のホトトギスは」と解釈できる。国上山にはホトトギスがよく鳴いており、また良寛様の好きな鳥であったようで、よく歌の対象として詠んでいる。


100  国上山岩の苔路踏みならし幾度(たび)われは来たりけらしも

「国上山の苔の生えた岩ばかりの道を踏み分けながら、何度もわたしは国上寺のお寺までやって来たものだよ」と解釈できる。良寛様と宗派は異なるが、何度もお参りしたのであろう。現在は国上寺の本堂と五合庵までは比較的整備されているが、昔はごつごつとした小路だったようである。本堂まで行ったならば、良寛様はその上の国上山の頂上まで登ったのではなかろうか。現在は登山道が整備されており、本堂から30分もあれば登れるのである。途中に良寛様の歌碑が三つ建っている。体力のある方は一度は登ってみては如何であろう。


101  起きてみて寝てみてみれどすべのなき独り寝(ぬ)る夜の小夜(さよ)の長さよ

「起きてみたり寝てみたりするけれど、どうしょうもないことだ。独りで寝ている夜の長さは」と解釈できる。心配ごとかあって寝付かれないのであろうか。なかなか眠られないと夜は長く感じられるものである。多くの人が経験することであろう。


102  人に送る手紙の文字の美しく書ける後(のち)のひと時たぬし

「人に送る手紙の文字が綺麗に書けた時は、とても楽しく感じられるものだよ」と解釈できる。平明な歌であり、時間をかけずすらりと詠んだように感じられる。この歌から、良寛様は一つ一つの手紙にも気をつかって書いていることが理解できる。


103  夕昏(ゆふぐれ)の岡に残れる言の葉の跡懐しや松風ぞ吹く

「夕暮れの岡に残されている万元上人の和歌の石碑が懐かしく思われることだ。今、松風が吹いているよ」と解釈できる。国上山の登り口付近に夕暮れの岡があるが、国上寺中興の祖、万元上人の歌碑が建っている。良寛様はここで万元上人のことを想い歌を詠んだのであろう。


104  あづさ弓春さりくればみ空より降りくる雪も花とこそ見め

「暦の上での春がやって来たが、空より雪がふってくる雪は桜の花びらに見えることだよ」と解釈できる。雪を桜の花びらと見る歌は古今集などによく見られる歌であるが、良寛様らしい歌ではないように感じられる。「あづさ弓」は春の枕詞。


105  行く水は堰きとどめてもありぬべし過ぎし月日のまた返るとは

「流れゆく水は堰き止めることができるであろう。しかし、過ぎ去った月日は戻ることはないのである」と解釈できる。日々の生活を大切にして過ごしなさいということであろう。やや説教めいた歌ではある。


106  秋もややうら寂しくぞなりにけるいざ帰りなむ草のいほりに

「秋も次第に寂しくなってきたものだ。さあ帰ろう。あの粗末な庵に」と解釈できる。粗末な庵とは、五合庵の庵であろうか。いくら粗末でも自分の住む庵である。やはり一番居心地が良いであろう。


107  尊しや祇園精舎の鐘の声諸行無常の夢ぞさめけり

「尊いことだ。祇園精舎の鐘の声を聞いて、諸行無常の夢の夢から覚めたことだよ」と解釈できる。祇園精舎とは、古代インドのお釈迦様のためのお寺のことであり、諸行無常とは、この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないことであり、人生の無常をいう仏教の根本的な考えである。平家物語では、「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」であり、その意味が異なっている。


108  水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ秋の時雨の降らぬその間に

「水を汲もうか、薪を切ろうか、それとも山菜を摘もうか。秋の時雨の降らないその間に」と解釈できる。冬が近いのである。冬仕度をしっかりと行わなければ、冬は越せないのである。山の冬はとにかく厳しい。

109  青山の木(こ)ぬれたちぐき時鳥鳴く声聞けば春は過ぎけり

「緑の山の木々の梢をくぐりながら飛ぶホトトギスの鳴く声を聞くと、春は過ぎてしまったなあと感じられることよ」と解釈できる。ホトトギスは初夏を伝える鳥であり、国上山や弥彦山にはよく鳴いているそうである。ホトドキスは良寛様の歌に良く出てくる鳥であり、好きだったのであろう。


110  春の野のかすめる中をわが来れば遠方(をちかた)里に駒ぞいななく

「春の野原に霞がたなびくその中を私がやって来ると、彼方の村や里から、馬がいなないく声が聞こえてくることだ」と解釈できる。春の長閑な一コマであり、万葉調の歌である。


111  何ごとも移りのみゆく世の中に花は昔の春に変はらず

「何ごとも移りゆく世の中ではあるが、桜の花は昔の春と同じものであるよ」と解釈できる。古今調の歌である。紀貫之の名歌「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける」が思い出される。良寛様は万葉集を絶賛していたが、古今集もよく勉強していたのである。


112  酒くみて語るうき世の流れ水濁り澄めるもさもあればあれ

「酒を酌み交わし、この世を語る我々は、流れ水のような存在だ。この世の汚れた嫌な所も澄んだ良い所も、我々にとってはどうでもよいことだ」と解釈できる。酌み交わす相手は、亀田鵬斎である。鵬斎は江戸の大儒学者であり、書の大家でもある。江戸を追放されて越後に来ていたのである。良寛様とはとても気が合い、よく交流した。


113  夕立に降り込められしくされ儒者ひたる君子と誰かいふらむ

「夕立に降られてびしょびしょに濡れたみすぼらしい儒学者が立派な君子だと誰がいうであろうか」と解釈できる。儒学者とは亀田鵬斎のこと。ややからかった歌ではある。「白雨忽ち来たる途上鵬斎に遇うて戯れて」と但し書きが付いている。鵬斎と道の途中で出逢ったのである。自分もびしょ濡れであったろうに。


114  女郎花(をみなへし)秋萩の花咲きにけりけさの朝けの露に競ひて

「女郎花と秋萩の花が咲きましたよ。今朝の降り来る露とどちらが先か競うようにして」と解釈できる。女郎花も秋秋の七草である。良寛様は株を採ってきて庵の周辺に植えているのである。朝起きるとそれらの草花を眺めて楽しんでいたのであろう。


115  今更にことの八千度(やちたび)悔しきは別れし日より訪はぬなりけり

「今更のことであるが、重ね重ね悔しいことは、貴方と別れた日より訪ねなかったことであるよ」と解釈できる。相手は国学者であり、歌人の大村光枝であり、諸国を遍歴していた。五合庵にも一泊している。賀茂真淵門であり、和歌のことなどを話し合ったのではなかろうか。


116  ともしびの消えていづくへ行くやらん草むらごとに虫の声する

「明かりの消えてしまったが、秋の虫たちは何処へ行ってしまうのであろうか。草むらごとに虫の鳴き声が聞こえることだ」と解釈できる。秋の虫たちの多くは、卵を産んで死んでしまうのであるが、そのようなことは昔分からなかったのであろう。何処かに静かに消えていくと思われていたのであろうか。


117  朝霧に立ちこめられしもみぢ葉のかすかに見ゆる寺の山かも

「朝霧に覆われた山の紅葉が、(霧の間から)かすかに見える山のお寺であることだよ」と解釈できる。山寺とは国上寺であろう。美しい景色が想像できる歌である。秋は国上山一面紅葉に染まり、とても華やかなお山となる。11月上旬には、火渡りも見られる。五合庵の庭にも落ち葉が転がるのである。


118  をつつにも夢にも人の待たなくに訪ひ来るものは老いにぞありける

「現実においても夢においても人は待っていないのに、訪ねて来るものは老いであることよ」と解釈できる。どのような人にも老いは平等にやって来る。これを逃れることは絶対にできないのである。やって来る老いを全うしたいものである。しかし、全うできない者が昔は多かったのである。


119  筆持たぬ身はあはれなり杖つきてけさもみ寺の門叩きけり

「毛筆を持たない自分は哀れである。杖をついて今朝もお寺の門を筆を借りるために、たたいたことだ」と解釈できる。晩年の島崎時代の頃の歌である。毛のすり切れたような毛筆を使うことが多く、普段からまともな筆を持っていなかったようである。正式に書く時は借りたりしたのであろう。


120  わが宿に一本(ひともと)植ゑしすみれ草いまは春べと咲き初めぬらむ

「わが庵に一本植えたすみれ草は、今が春だと咲き始めたことよ」と解釈できる。平明な歌である。すみれ草は菫のことではなく、一般的な春の草花を示しているかも知れない。庭といっていないので、鉢にでも株を植えていたのかも知れない。菫に似た雪割草の可能性もある。花が咲くのをとても楽しみにしている良寛様であった。


121  わが宿の垣根に植ゑし萩すすき道もなきまで茂りあひけり

「わが宿の垣根周辺に植えた秋萩や薄が通路が見えなくなるまで生い茂ったことだ」と解釈できる。五合庵であろうか。大好きな植物が生えるのは嬉しいが、伸びすぎるのは困りものである。しかし、眺めながら楽しんでいたのであろう。


122  弥彦(いやひこ)の森のかげ道踏み分けてわれ来にけらしそのかげ道を

「弥彦の森の中の陰道を踏みしめて私は来ましたよ。その陰道を。」と解釈できる。意味は平明であり、「かげ道を」のフレーズを二度使用し、リズム感を出している。意味よりも調べを重視した歌である。


123  飯乞ふとわが来しかども春の野にすみれ摘みつつ時を経にけり

「托鉢をするつもりてやって来たけれど、春の野にすみれをの花を摘みながら時間を過ごしてしまったよ」と解釈できる。仕事である托鉢よりも、すみれ摘みに夢中になってしまった良寛様である。すみれは食用にもでき、葉はてんぷらにしたり、茹でておひたしにしたり、花の部分は酢の物にもできる。すみれを山菜として食べてもいるのであろう。


124  時雨の雨間なくし降れば我が宿は森の木の葉に移ろひぬらむ

「時雨の雨が間なく降り続くので、わが庵は森の色取りどりの葉に染まってしまうであろう」と解釈できる。庵の屋根や庭に落ち葉が散って、初冬の雰囲気の漂う雰囲気であろう。もうすぐ厳しい冬がやって来るのである。物憂い気分になったことであろう。所で現在ある五合庵で冬を越すことができたのであろうか。狭すぎてまず無理であるように思う。


125  ひねもすに待てど来ずけりうぐいすは赤き白きの梅は咲けども

「一日中待っていたけれど、鶯は来なかったよ。赤き梅、白き梅は咲いていたけれど」と解釈できる。河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」を思い出す。赤、白の梅の色彩のよく見える歌である。


126  小やみなく雨は降り来ぬ久方の天の河原の堰や崩(く)ゆらむ

「絶えず雨は降り続くことだ。天の川の河原の堰が崩れてしまったのであろうか」と解釈できる。前半は写実の、後半は空想の歌であり、古今調の歌である。織り姫彦星伝説も片隅にあったのかも知れない。このような空想の歌は晩年にはほとんど見られなくなった。


127  われのみぞ憂きと思へど雲ゐにも雁鳴きわたる秋の夕暮れ

「私だけが辛いのかと思ったが、遠くの雲を雁が(つらそうに)鳴きながら渡っていく秋の夕暮れであることよ」と解釈できる。独りで生活していると病気になっても看病してくれる人もなく、食事もろくに取れず、とても辛いであろう。山の生活では辛いことがたくさんある。それを癒してくれるのが山の動物や植物だったのかも知れない。


128  あしひきの山立ち隠す白雲はうき世を隔つ関にこそあれ

「国上山を隠す白雲は、人の住む里とこちらとを隔てる関所であることよ」と解釈できる。国上山はうき世ではなく、あの世でもなく、その中間の場所なのであろう。時々良寛様はうき世におりて、酒を飲んだり、煙草を吸ったり、手鞠をついたり、踊ったりしたのである。「あしひきの」は山の枕詞。


129  春の日に海の表(おもて)を見渡せば霞に見ゆる海人(あま)の釣舟

「春の日に日本海を見渡せば、霞のかかった彼方に漁師の舟が見えることだ」と解釈できる。現在でも霞のかった彼方に佐渡島や大型の船が見えることがよくある。昔からそれほど風景は変わってはいないようにと思われる。歌としてはパターン化している。


130  あしひきの国上の山の山吹の花の盛りに訪(と)ひし君はも

「国上山の山吹の花が咲き誇っている時に、貴方はやって来ましたよ」と解釈できる。五合庵の周辺に山吹の花が咲いていたのであろう。お客にその山吹を示しながら、詠んだ歌であろう。調べの整った歌である。「あしひきの」は山の枕詞。


131  世の中にまじはることの憂しとみてひとり暮らせば寂しかりけり

「世の中の人と交わることは煩わしいと思い、一人暮らしをしてみたが、本当に寂しいものだよ」と解釈できる。人との交わりは煩わしいと思いつつも、孤独ばかりも嫌なものだということで、本音の出ている歌である。基本的には、一人で書や詩歌に没頭していることを最も好むのであろうが、詩歌は人と語り合うことでさらにその楽しみが増すのである。


132  世の中は何に譬(たと)へむぬばたまの墨絵に描ける小野の白雪

「世の中を何にたとえたらよいであろう。墨絵で描いた野原の白雪であろうか」と直訳できる。だがどういう意味であろう。白と黒の相対する色が一面的に把握できないように、簡単には世の中をたとえることができないということであろうか。難しい歌である。「ぬばたまの」は墨の枕詞。


133  和泉なる信太が森の葛の葉の岩の間に朽ち果てぬべし

「和泉の国の信太の森の葛の葉が岩の間に絡まって朽ち果てるように、私もそうなるのであろうか」と解釈できる。自分も山の中で、人知れず死んでしまうのであろうかと思っていたのではなかろうか。何度か庵で病気にもなっているのである。朝起きたら、死んでいたということも想像したであろう。死んだら起きることもできないが。


134  思ふどち門田の畔に円居して夜は明かしなむ月の清きに

「親しい者同士が家の門の前の田んぼのあぜに座り込んで夜を明かしましょう。清々しい今宵の月を眺めながら」と解釈できる。「思ふどち」とは親しい者という意味であり、相手は原田鵲斎である。月を眺めながら酒を飲みつつ歌を詠んだのであろう。風流な一時である。


135  鳥は鳴く木々の梢に花は咲くわれもうき世にいざ交りなむ

「鳥は鳴き、木々の梢に花は咲く時節になった。私も下界の世界に行って、さあ交じりあおう」と解釈できる。「有則がもとに宿りて」と但し書きが付いている。有則とは原田鵲斎のことである。春は良寛様の最も好きな季節であり、雪も解け、山を楽に下りることができ、友達の家々にも出かけたことであろう。


136  すみれ草咲きたる野辺に宿りせむわが衣手に染(し)まば染むとも

「すみれ草などが咲いている野原に宿をとることにしよう。私の衣が草花の汁に染まったとしても」と解釈できる。いつも友達の家に泊まれる訳でもなく、野宿することもあったろうと思われる。長い旅路にはよくあったことであろう。野宿も風流に考える良寛様であった。


137  花咲けば待つには久しひさかたの雪踏み分けてわが出でて来(こ)し

「花が咲き始めて雪が消えるのが待ち遠しくて、雪を踏み分けて山の庵を出て来たことだ」と解釈できる。花は桜ではなく早春の梅であろう。冬の間会えなかった友達と会うために、待ち遠しくて雪のまだ積もっている山を下りたのであろう。春を本当に待ち遠しく思っている良寛様であった。「ひさかたの」は雪の枕詞。


138  国上山雪踏み分けて来(こ)しかども若菜摘むべく身はなりにけり

「国上山にまだ残る雪を踏み分けて下界に下りてきたけれど、若菜にひかれ、それを摘む身となってしまったよ」と解釈できる。若菜とは山菜のことであろう。冬には山菜も手に入れることができず、新鮮な山菜を食べたかったのではなかろうか。冬場はどんなものを食べていたのであろう。お米は庇護者から戴いていたとしても、おかずは乾物類や漬け物、味噌などであろうか。


139  終日(ひねもす)に夜もすがらなる法(のり)の道うき世の民に回(ゑ)して向かはむ

「一日中、夜もずっと仏の道に携わっているこの身である。この世の人々に廻向して冥福をお祈りいたしましょう」と解釈できる。一日中仏の道に携わっていたかはともかく、人々のためにお祈りをして行脚していたのである。


140  夢かともまたうつつとも思ほえず君に別れし心まどひに

「夢かまた現実かよく分からないことよ。君と死別して心が乱れていることだ」と解釈できる。君とは、与板町の山田重記のことであり、杜皐の父である。良寛様は山田家と家族ぐるみの付き合いをしていたのである。重記は歌人でもあった。


141  この里の往き来の人は数多あれど君しなければ淋しかりけり

「この里を行き来する人はたくさんいるけれど、君がいないととても寂しいことだ」と解釈できる。君とは三輪左市のことであり、与板町の富豪三輪家五代目長旧の子である。佐市とはとても親しく、心を許した三峰館時代からの学友であり、親友である。


142  ひさかたの雪踏み分けて来ませ君柴のおほりにひと夜語らむ

「雪を踏み分けて貴方に来て欲しい。この庵で一晩語り明かしましょう」と解釈できる。相手は鈴木文台であり、一度五合庵を訪れたが、良寛様は留守であったらしい。江戸で学び、故郷で長善館を開いた人物である。年は良寛様とはだいぶ離れており、良寛様の弟子の遍澄さんとは親友関係にあった。「ひさかたの」は雪の枕詞。


143  世の中に同じ心の人もがな草のいほりに一夜語らむ

「世の中に同じような心を持った人がいてほしい。その人と粗末な庵で一夜語り明かしたいものだ」と解釈できる。特に詩歌の友とは話が進むであろう。詩歌は一夜で語り尽くせぬくらい奥が深く、また楽しいのである。お酒があればなおさら良いあろう。


144  あしひきの岩松が根に宴(うたげ)して語りしをいつか忘れむ

「岩に根が絡みついた松に宴して語り合ったことをいつか忘れるのであろうか。いや忘れないであろう」と解釈できる。学生の歌のようである。三峰館で学んだ学友とは、良寛様が故郷に帰ってきてからもずっと付き合ってきたのである。時には助けられて。「あしひきの」は岩の枕詞。


145  梅の花老いが心を慰めよ昔の友はいまあらなくに

「梅の花よ、老いた私の心を慰めてほしいものだ。昔の友は死んで亡くなってしまったよ」と解釈できる。晩年の作である。三峰館時代からの学友も既に多くが亡くなり、昔話をする相手もいなくなり、寂しさを感じる晩年だったのであろう。そこに貞心尼が現れて、心が若返ったのかも知れない。


146  かぐはしき桜の花の空に散る春の夕べは暮れずもあらなむ

「香りのよい桜の花が空に散っている。このような春の夕べは、暮れないでいてほしいものだ」と解釈できる。平明な内容であり、意味よりも調べを味わう歌である。よくあるパターン化した歌である。


147  春の夜のおぼろ月夜のひと時を誰(た)が賢しらに値ひつけなむ

「春の夜におぼろ月が出ているが、このような一時をだれが利口ぶって値段を付けたのであろうか」と解釈できる。値段を付けそうな人は、新古今集の歌人たちといいたげである。古今集は認めていたようであるが、新古今集は認めていなかったようである。だが新古今集も学んではいたのである。


148  さすたけの君が贈りし新(にい)まりをつきて数へてこの日暮らしつ

「貴方が贈ってくれた新しい毬をついて数えて、一日を暮らしているよ」と解釈できる。君とは、妓楼「ちきりや」の奥さんといわれている。当時から良寛様の女性ファンはたくさんいたようである。「さすたけの」は君の枕詞。


149  子どもらよいざ出でいなむ弥彦(いやひこ)の岡のすみれの花にほひ見に

「子どもらよ、さあ行きましょう。弥彦の岡の香しいすみれの花を見に」と解釈できる。 現代の子ども達なら、すみれを見に行きましょうといっても、行く子はまずいないであろう。あの当時でもいないような気もするのであるが、どうであろう。


150  あづさ弓春はそれとも分かぬまに野辺の若草染め出づるなり

「もう春なのか分からないままに、野原の若草は色づき始めたことだ」と解釈できる。早春の風景であり、所々には残雪も見られるのだろう。春になると良寛様は心がうきうきとして、早く庵を出て下界に行きたいと思ったことであろう。「あづさ弓」は春の枕詞。


151  いまよりはつぎて白雪積もるらし道踏み分けて誰(たれ)か訪ふべき

「これから次々と白雪が積もるようだ。道を踏み分けて誰がこの庵を訪問するであろうか。誰もいないであろう」と解釈できる。これから冬に向かって山が白雪で閉ざされようとしている。寂しく厳しい冬に向けての一首である。ため息をつきながら詠んだのであろう。


152  十日あまり早くありせばあしひきの山のもみぢを見せましものを

「もう十日ほど早く来てくれれば、山の美しい紅葉を見せることができたでしょうに」と解釈できる。紅葉を時期を過ぎると美しいというよりも、侘びしい雰囲気が出てくるように思われる。紅葉も見る時期が大切であるということだろう。


153  萩の花いま盛りなりひさかたの雨は降るとも散らまくなゆめ

「萩の花はいま盛りである。雨が降っても散らないでほしい」と解釈できる。平明な意味であり、時間をかけて詠んだ歌ではなく、ふっとできた歌であろう。「ひさかたの」は雨の枕詞。


154  いまよりは野にも山にもまじりなむ老いの歩みの行くに任せて

「今からは野原や山に入って行きましょう。年取った身の歩くに任せて」と解釈できる。目的もなく、自由気ままに野や山を散策するということで、自由人良寛様らしい歌である。


155  あしひきの国上の山の山畑に蒔きし大根(おほね)ぞあさず食(を)せ君

「国上の山の畑に蒔いて育てた大根である。残さず貴方に食べてほしい」と解釈できる。君とは庇護者で歌人の阿部定珍である。五合庵の近くに山畑があり、そこで大根を良寛様は育てていたのだろう。良寛様の作った大根はどんなものだろう。山畑であるから、折れ曲がった大根なのだろうか。「あしひきの」は山の枕詞。


156  あしひきの国上の山のほととぎすいまを盛りとふりはへて鳴く

「国上の山の(初夏を伝える)ほとどきすが今を盛りと、ことさらに鳴いていることよ」と解釈できる。「ふりはへて」以外分かりやすい歌であり、またパターン化した歌でもある。ほとどきすは初夏を伝える鳥であり、国上山ではよく鳴いている。


157  秋もやや衣手寒くなりにけり綴(つづ)れ刺せてふ虫の告ぐれば

「秋もだんだんと深まり、衣の袖のあたりも寒くなってきたものだ。着物の破れを縫えと虫が鳴いていることよ」と解釈できる。虫の鳴き声はいろいろに解釈できる。「綴れ刺せ、綴れ刺せ」と鳴いているのだろう。ユーモアのある歌である。


158  百鳥(ももとり)の木(こ)伝うて鳴くけふしもぞさらにや飲まむ一杯(ひとつき)の酒

「たくさんの鳥が木の枝を飛びながら鳴いている今日こそは、さらに飲もう一杯の酒を」と解釈できる。鳥の鳴き声を聞きながら、昼から酒を飲み、和歌をたしなむとは、じつに風流である。一般庶民からみれば、ひんしゅくものであろう。風流とはそんなものかも知れない。


159  白雪は降ればかつ消(け)ぬしかはあれどかしらに降れば消えずぞありける

「白雪は降れば消えていく。しかしながら、頭に白いものが降れば消えないで残りますよ」と解釈できる。頭の白いものとは、白髪のことであるが、上質のユーモアのある歌である。良寛様にはその白いものは降らなかったかも知れない。


160  白髪はおほやけのものぞ尊きや人のかしらも避くと言はなくに

「白髪は公のものであり、尊き人や一般の人の頭にも平等にやって来るもので避けることはできないのである」と解釈できる。白髪、すなわち老いは全ての人間に平等にやって来るもので、老いや死からは誰も逃れることができないということである。


161  いまよりはつぎて会はむと思へども別れと言へば惜しきものなり

「これから、ひき続き何度か会おうと思うけれど、さあ別れると言えば心残りであることよ」と解釈できる。親しい人との別れはこれでよいということはなく、どこか寂しく心残りなものである。その気持ちをうまく歌にしていると思う。


162  白雲よ立ちな隠しそさすたけの君があたりを見つつしのばむ

「白雲よ広がって隠さないでほしい。貴方の住んでいた辺りを見ながら忍びたいものだ」と解釈できる。君とは原田鵲斎のことであり、真木山付近であろう。ここを引き払い、中島に移住したのである。また晩年は加茂に隠居したのであるが、だんだんと良寛様とは疎遠になっていったように思う。


163  道の後(しり)越の浦波たち返りたち返りみる己が行なひ

「(京都から見て)北陸道の後ろにある越後の海岸に打ち寄せる波が押しては引いてを繰り返すように、自分の行いを振り返りなさい」と解釈できる。人に道を示す和歌であり、道歌ともいう。お坊様であるから時には道歌も詠んだのである。


164  いかなれば同じ一つに咲く花の濃くも薄くも色を分くらむ

「どうして、同じ一つの季節に咲く花に、濃い色もあれば、薄い色もあるのだろうか」と解釈できる。この見方考え方は学者の姿勢である。何故そうなのかを疑問にもつことが、研究には重要である。そういう意味では珍しい歌である。


165  世の中の憂さを思へば空蝉のわが身の上の憂さはものかは

「世の中の人々の辛さを思えば、わが身の辛さはたいしたものではない」と解釈できる。「ものかは」は、たいしたことではないという意味。飢饉で多くの人々が死んだり、あるいは幼い子どもたちが身売りされたりしている時代である。そのような時に自分の辛さなど、たいしたものではないと実感したのであろう。


167  ともしびの消えていづくへ行くやらむ草むらごとに虫の声する

「灯火の消えて虫たちはどこへ行くのであろう。草むらごとに秋の虫の音が聞こえてくるよ」と解釈できる。秋の虫のはかなさが出ている調べのよい歌である。あまり知られていない歌であるが、写生の秀歌である。


168  わが待ちし秋は来ぬらし今宵しも糸引虫の鳴き初めにけり

「私が待っていた秋がやって来たようだ。今宵もこおろぎが鳴き出したことよ」と解釈できる。春と秋は良寛様の好きな季節である。こおろぎも好きな虫の一つであり、この虫の歌をたくさん詠んでいる。


169  緑なる一つ若葉と春は見し秋はいろいろにもみぢけるかも

緑の若葉に春は染まるように見えるが、秋はいろいろな色に染まり、紅葉していることよ」と解釈できる。初夏に近い春と秋との比較の歌である。良寛様は両方好きな季節であった。クーラーや暖房機の無い時代である。多くの人々も夏と冬は嫌な季節だったと思われる。


170  ひとつ松の人にありせば笠貸さましを蓑着せましを一つ松あはれ

「一本松が人であるなら、笠を貸しましょう蓑を着せましょう。一本松はいとおしいことだ」と解釈できる。この松は岩室に立っている松であり、歌碑もその脇に建っている。松を擬人化して歌っており、雨にあたっている姿が遠くから見ると自分の姿に見えたのかも知れない。


170  小夜更けて高根の鹿の声聞けば寝覚め寂しうものや思はる

「夜が更けてから高い尾根にいる鹿の声を聞くと、目覚めて寂しくなり、しみじみといろいろな事を考えてしまうことよ」と解釈できる。五合庵のある国上山やそれに連なる弥彦山には現在、鹿などの大型の動物は存在していない。死に絶えてしまったようである。あの当時、どんな風に鳴いていたのであろう。


171  秋風よいたくな吹きそあしひきのみ山もいまだもみぢせなくに

「秋風よ、激しく吹かないでほしい。山は未だ紅葉していないのだから」と解釈できる。「な〜そ」で禁止の意味。現代短歌ではほとんど使用していない文法である。良寛様は紅葉を好み、よく歌の題材に使用している。


172  飯乞ふと里にも出でずなりにけりきのふもけふも雪の降れれば

「托鉢をしようと思いながらも、里にも行かなくなってしまったことよ。昨日も今日も雪が降り続くので」と解釈できる。雪が降ったら五合庵に閉じこめられてしまうのである。冬は庵で何をしていたのであろう。じっと寒さに耐えていたのであろうか。坐禅をしたり、詩歌を詠んだりしていたのだろうか。


173  雪あられ槇(まき)の板屋に降る音を聞きてすすめむ一杯(ひとつき)の酒

「雪や霰が杉の板の屋根に降る音を聞きながら、君に勧める一杯の酒であるよ」と解釈できる。寒い冬に友達と熱燗を飲む酒はとてもうまいのである。歌も一緒に詠み合うのであろう。実感として理解できる。何と幸せなことであろう。最初気づかなかったが、これはなかなかの秀歌である。


174  み山辺のけさの白雪踏み分けて草のいほりを訪ひし君はも

「国上山に積もった今朝の白雪を踏み分けて、この粗末な庵を訪れてくれた君に感謝することよ」と解釈できる。麓に住む歌友の阿部定珍であろうか。冬は訪れる人が少なく、寂しい毎日であったろうが、訪れてくれてとても嬉しかったと思われる。


175  蝦夷嶋に君渡りぬとみな人の言ふはまことかえぞが嶋辺に

「北海道に君は渡ったと人がみな言うことは本当なのだろうか。あの北海道に」と解釈できる。君とは弟の由之である。由之は良寛様と同じように旅を好み、実際北海道にまで足を伸ばしている。また良寛様も東北地方を旅している。この兄弟は旅好きだったのである。


176  もたらしの園生(そのふ)の木の実珍しみ三世の仏にはつ奉る

「あなたがもたらしてくれた庭でできた木の実が珍しいので、三世の仏様にまずお供えいたしましょう」と解釈できる。三世の仏とは過去、現在、未来の仏様ということである。木の実は石榴のことであり、弟の由之が贈ったものである。


177  大殿の森の下庵夜明くればからす鳴くなり朝清めせむ

「観音堂の森の中にある庵にいて、夜が明けると鴉が鳴く。さて清掃をいたしましょう」と解釈できる。鴉の鳴き声が朝の仕事を始める合図であろうか。日の出とともに起き、日の入りとともに寝る生活を送っていたのだろう。高値なロウソクはあまり使用していなかったと思われる。なお、大殿とは旧寺泊町の照明寺の観音堂のこと。


178  霞立つ長き春日をこの宿に梅の花見てけふも暮らしつ

「霞がたなびく長い春の日をこの家に泊まり、梅の花を見つつ今日も過ごしたことだ」と解釈できる。有名な歌、「霞立つながき春日に子供らと手鞠つきつつこの日暮らしつ」と上句は同じである。やはり子供の方が良い。しかし梅の花も良寛様の好きな花である。


179  手もたゆく植うる乙女子が唄の声さへやや哀れなり

「手も疲れてだるそうに稲を植えている娘たちがうたう歌さえ、とても哀れに聞こえることだ」と解釈できる。暑い日なのだろう。機械もない時代であるので、田植えはとても重労働だったと思われる。軽やかに歌いながら田植えをしている姿は、映画の世界だけなのかも知れない。


180  さけさけと花にあるじを任せられけふもさけさけあすもさけさけ

「酒(咲け)、酒(咲け)と花を主人にしたために、今日も酒(咲け)、酒(咲け)、明日も酒(咲け)、酒(咲け)といわれそうだ」と解釈できる。さけは「酒」と「咲け」の掛詞である。良寛様の歌に掛詞は珍しく、新古今調である。ユーモアのある歌。


181  わが宿の軒端に植えし芭蕉葉に月はうつりぬ夜はふけぬらし

「わが家の軒端に植えた芭蕉の葉に月の光が当たって輝いている。夜はふけてしまったらしい」と解釈できる。この宿とは五合庵か乙子神社であろうか。芭蕉が雪の多い場所に成長できるのかどうかやや疑問である。五合庵と芭蕉の葉はやや違和感を感じる。


182  わが門の刈田の面にゐる鴨は今宵の雪にいかがあるらむ

「わが家の門の前の刈り取った田んぼにいる鴨たちは、今宵の雪の中でどうしているのだろう」と解釈できる。雪の降る中を鴨たちはどうしているのか心配している歌であるが、自分も鴨のような存在と思っているのかも知れない。


183  世の中は供へとるらしわが庵は餅を絵に描きて手向けこそすれ

「世の中は、お餅を正月のお供えをしているだろう。私の庵では、お餅を絵に描いてお供えとしたよ」と解釈できる。物理的には貧しいながらも精神的にはゆとりのある歌である。良寛様らしい歌と思う。


184  小夜ふけて岩間の滝津音せぬは高嶺のみ雪降り積もるらし

「夜がふけて岩の間から落ちる滝の音がしないのは、山の高根に雪が積もったからであろう」と解釈できる。乙子神社の近くに赤谷川があり、小滝がある。その滝の音が普段は聞こえるのであるが、雪が積もる冬場は凍結するのかも知れない。自然の細かい部分まで観察している良寛様である。


185  憂きわれをいかにせよとか若草の妻呼びたてて小牡鹿鳴くも

「憂鬱な私をいかにしようというのか、雄鹿が雌鹿を大きな声で呼んでいることだ」と解釈できる。良寛様が庵でうつ気分でいる時に、雄鹿のうるさい声を聞くとますます落ち込むのである。孤独好きでも時には独りは嫌になるようである。


186  百草の乱れて咲ける秋の野にしがらみ伏せて小牡鹿の鳴く

「多くの草花が乱れて咲いている秋の野原に、足をおり伏せて雄の鹿が鳴いていることだ」と解釈できる。現在、鹿は国上山周辺に見られない。絶滅したのかも知れない。昔はいろいろな動物が国上山周辺にはいたのであろう。


187  手を折りてうち数ふればこの秋もすでに半ばを過ぎにけらしも

「手を折って数えて見れば、この秋も既に半分ほどすぎてしまったようだ」と解釈できる。これは良寛様が病気になって、与板町の豪商の三輪家で寝込んでいる時の歌である。多くの庇護者に支えられている良寛様である。この歌に似たものとして、「手を折りてかき数ふればあづさ弓春は半ばとなりにけるかも」がある。


188  打ち寄する浪の別れはおもしろし人の別れは今ぞ悲しき

「打ち寄せる波が岸や浜を離れるのはおもしろく感じるが、今まさに人との別れはとても悲しいことよ」と解釈できる。浪の別れと人との別れとの比較はおもしろい。「海辺で旅立つ人を見送る」との但し書きがついている。


189  秋の野に咲きたる花を数へつつ君が家べに来たりぬるかも

「秋の野原に咲いている花を数えながら、君の家にやって来たことだよ」と解釈できる。友達の家を訪れた時の歌である。一本二本と花を数えるというよりもどんな種類の花が咲いているのかを数えていたように思う。


190  長き夜に寝覚めて聞けばこの宮の林に響く山鳩の声

「なかなか明けない夜に、目覚めて耳をすまして聞いていると、この乙子神社の林に山鳩の声が響いていることだ」と解釈できる。眠れない夜もあるのだろう。そういう時は詩歌の感覚が研ぎ澄まされるのかも知れない。


191  秋風になびく山路のすすきの穂見つつ来にけり君が家べに

「秋風に山路の両側に薄の穂がなびいているのを見つつ、貴方の家にやって来たことだ」と解釈できる。良寛様が芒ヶ原の一本道を歩いている様子が眼に浮かび、作者の行動のよく見える歌である。


192  いにしへの人の踏みけむ古道は荒れにけるかも行く人なしに

「昔の人々が踏みかためた古い道は、荒れ果ててしまったことよ。通る人も今はもういない」と解釈できる。これは比喩の歌である。古道は昔からの教えのことであり、それらが忘れ去られてしまって残念であるという意味が込められている。警鐘を与える歌である。


193  秋の夜はながしと言へどさすたけの君と語れば短くもあるか

「秋の夜は長いと人は言うけれど、貴方と語り合えば、夜が短く感じられるよ」と解釈できる。恐らく詩歌のことについて語り合ったのだろう。同じ趣味をもった方との話しは尽きることがなく、とても楽しいものである。酒が入るとさらに楽しくなるが。


194  いその上(かみ)ふる里びとの音もなし日に日に雪の降るばかりして

「ふるさとの人からの音信も訪れもない。日に日に雪が降るばかりであるよ」と解釈できる。雪が降り続けば、五合庵を訪れたくても訪れることができないのであるが、誰が来て欲しいと思う良寛様であった。「いその上」はふるの枕詞。


195  降る雪にまがへて梅の花咲きぬ香さへ散らずば人知るらめや

「雪が降っているのに間違えて梅の花が咲いてしまった。香りさえ広がらなければ人は知らないであろう」と解釈できる。梅は早春に咲く花であるから咲いている時に雪が降ることがある。白梅ならば、気がつかないであろう。なかなか風情のある風景ではある。


196  うばたまの夜の闇路に惑ひけりあなたの山に入る月を見て

「彼方の山に沈む美しい月を見ていて、夜の暗い道に迷ってしまったことだ」と解釈できる。良寛様は月に心を奪われて道に迷ったのであり、一旦集中すると他に注意が向かわなくなるような所があったのである。「うばたまの」は夜の枕詞。


197 ひさかたの雲ゐを渡る雁がねも羽根白妙に雪や降るらむ

「上空の雲を渡って行く雁たちの羽根にも、白く雪が降っているのであろう」と解釈できる。空には雪が降っており、雁の姿は地上から全く見えないが、そのように想像したのであろう。ちなみに良寛様の和歌に白鳥を歌ったものはなく、その当時、出雲崎や分水周辺には白鳥が飛来しなかったということであろうか。現在、白鳥は越後平野に飛来している。


198  ひさかたの雲居の上に鳴く雲雀いまは春べと籠ぬちに鳴く

「雲の中に鳴いていた雲雀が、今は春だと籠の中に鳴いていることだ」と解釈できる。「籠の中の雲雀を見て」と但し書きがついている歌である。籠の中の雲雀はかわいそうだという気持ちも込められている歌である。「ひさかたの」は雲の枕詞。


199  晴るるかと見れば雲れる秋の空うき世の人の心見よとや

「晴れるかと思えば曇ってしまう秋の空のように、この世の人々の心は同じように変わりやすいものだ」と解釈できる。女心と秋の空ということわざがこの時代にあったかはともかく、人の心は移ろいやすいと思う良寛様であった。


200   秋の野の草葉の露を玉と見て取らむとすればかつ消えにけり

「秋の野原の草の葉についている白露を玉と見て取ろうとすれば、すぐに消えてしまったことよ」と解釈できる。白露はきらきらと光り、自然の作り出す玉のようであるが、儚く消えるのである。全ては儚く消えるものであるという意味も込められているのであろうか。


201  天竺の涅槃の像と良寛と枕くらべに相寝たるかも

「古代インドの寝姿のお釈迦様の像と良寛と枕を並べて寝たことであるよ」と解釈できる。「涅槃の像」とは、お釈迦様がお亡くなりになる時、横になって寝ている姿であり、その回りには多くの人々や動物が集まって悲しんでいるのである。死んだらお釈迦様の元へ行きたいという願いが込められている歌である。ちなみに、良寛様は小さなお地蔵様を枕にして寝ることがあったと伝えられている。


202  音に聞く佐渡のみさきの桜花よく見てきませ人の語りに

「有名な佐渡の岬に咲いている桜の花をよく見てきてください。我々への土産話として」と解釈できる。この歌は佐渡に渡った弟の由之に贈った歌と言われている。佐渡は母親の生まれ故郷であり、良寛様も一度は行きたかったと思われる。なお佐渡へ行ったという記録は残っていない。


203  妙なるや御法(みのり)の言(こと)に及ばねばもて来て説かん山のくちなし

「とてもすばらしい仏の教えは言葉でなかなか表現できないので、山のクチナシを持ってきて無言に教えを説きましょう」と解釈できる。なかなか解釈の難しい歌である。「くちなし」は植物の梔子と口無しを掛けている詞である。無言の説教は、良寛様が由之の長男の馬之助を説諭しようとする際の「涙の説教」にも似ている。


204  世の中を何に譬(たと)へむ山彦の答ふる声の空しきがごと

「世の中を何にたとえたらよいのだろう。山彦の帰ってくる声の空しさにたとえられることだ」と解釈できる。たとえがおもしろく、的確である。世の中を空しい存在と悲観的に眺めていたようである。


205  いまの世ははかなきものと知るからに背けば疎し背かねば憂し

「今の世の中は儚いものと知っているので、人に逆らえば疎まれるし、逆らわなければ憂鬱になるものだ」と解釈できる。世の中は儚きものと良寛様は見ているのである。人との関わりも積極的には好まなかったのかも知れない。


206  あらたまの長き月日をいかにして明かし暮らさむ麻手小衾(あさでこぶすま)

長いこれからの月日をどのようにして暮らしていこうか、粗末な麻の夜具しかないのに」と解釈できる。良寛様は生活に必要な最低限なものしかなかったようである。つつましいというよりも、ぎりぎりの生活であったらしい。「あらたまの」は月日の枕詞。


207  行き返り見れども飽かずわが宿のすすきが上に置ける白露

「行き帰りの際に見ているけれど、飽きることがないことよ。わが家の庭にさく薄の上にある白露は」と解釈できる。良寛様の庵の庭には薄が生い茂っていたということであろう。五合庵は薄で覆われていたのであろうか。想像すると楽しくなる。


208  百鳥の鳴く山里はいつしかもかはづの声となりにけるかな

「いろいろな鳥が鳴いている山里は、いつの間にか蛙の鳴く頃になっていたことよ」と解釈できる。鳥と蛙との間は朝と晩の短い時間の違いではなく、季節の移り変わりを示しているのだろう。俳句では蛙は夏の季語である。春から夏の移り変わりを歌にしたものと思われる。


209  山吹の花を手(た)折りて思ふ同士(どし)かざす春日は暮れずともがな

「山吹の花を手で折って眺めて楽しむ、気の合う者たちにとって、春の日は暮れなくてもよいことよ」と解釈できる。「本覚院に集ひて詠める」との但し書きがついている。この気の合う者とは詩歌の友であろうか、それとも僧侶であろうか。親しい仲間との語らいはやはり楽しいものである。寺院なので、お酒は出なかったと思われる。


210  うぐひすもいまだ鳴かねば御園生(みそのふ)の梅も咲かぬにわれは来にけり

「鶯もまだ鳴いていないし、貴方の庭の梅の花も咲いていないけれど、私はやって来ましたよ」と解釈できる。この庭は国上山の麓の阿部定珍の家にあり、良寛様は雪が消えるのもまっておられず、山を下りて定珍の元を訪れたのである。早春の良寛様の喜びが感じられる歌である。


211  うま酒に肴持て来よいつもいつも草のいほりに宿は貸さまし

「美味しいお酒と肴をもって来なさい。いつものように草の粗末な庵を貸しましょう」と解釈できる。素直に詠んだ歌であり、良寛様の気持ちが良くてでいる歌である。私の好きな歌の一つである。


212  けふ別れあすは会ふ身と思へども量りがたきは命なりけり

「今日別れ、明日会うことになっているこの身ではあるが、予測できないことは、命であることよ」と解釈できる。今日元気でも明日はどうなるか分からないのが人生である。一期一会を大切にしなさいと言う意味が込められている歌である。


213  もろともに踊り明かしぬ秋の夜を身に病(いたづ)きのゐるも知らずて

「人々と一緒に秋の夜を踊り明かしたものだ。体に病気のあることも知らずに」と解釈できる。晩年の歌である。良寛様は盆踊りが大好きであり、踊り明かしたこともあった。その頃から病気に冒されていたのである。現代では大腸癌ではないかと言われている。


214  ゆくりなくひと日ひと日を送りつつ七十路まりになりにけらしも

「何気なく一日一日を送っていたが、七十歳あまりになってしまったことだ」と解釈できる。「月日を過ぐるを惜しみて詠める」の但し書きがついている。一日一日を大切にして行きなさいという意味が込められている歌である。確かに年を取るとそんな気がしてくる。


215  あしひきの山田の田居に鳴く鴨の声聞く時ぞ冬は来にける

「山あいの田んぼに鳴いている鴨の声を聞くと、冬がやって来たと実感することだ」と解釈できる。助詞の「の」をいくつか使用し、調べを整えている歌であり、朗詠に向いていると思われる。「あしひきの」は山の枕詞。「あしびきの」としている場合もある。


216  去年(こぞ)植ゑし野菊の花はこの頃の露に競ふて咲きにけるかな

「去年植えた野菊の花は、この頃の草におりる露と競い合って咲いていることよ」と解釈できる。新潟では観賞用の菊と食用の菊があり、良寛様はどちらを植えていたのだろう。恐らく食用菊だろう。茹でて醤油をつけて戴くのであるが、酒の肴としてはなかなかよい。


217  むらぎもの心悲しもあらたまの今年のけふも暮れぬと思へば

「もの悲しく感じられることだ。今年の今日一日が過ぎ去っていくと思えば」と解釈できる。晩年の歌である。一日一日を大切に生きているのであろう。その一日が過ぎ去ることは、死へとまた一歩近づくのである。この対となる歌として、「むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば」の歌がある。まだ人生への喜びが感じられる歌ではある。


218  つれづれと眺め暮らしぬ古寺の軒端を伝ふ雨を聞きつつ

「ぼんやりと外を眺めながら暮らしているよ。古寺において、その寺の軒端を伝わる雨音を聞きながら」と解釈できる。良寛様は五合庵や乙子神社だけでなく、旧分水町の観照寺(現在は廃寺)などにも仮住まいしていることもあり、その時の歌であろうと思われる。


219  こと足らぬ身とは思はじ柴の戸に月もありけり花もありけり

「満ち足りない自分の生活とは思はない。粗末な庵の戸口から月も見えるし、花も見えることよ」と解釈できる。詩歌を愛する者には月や花があれば事足りるということであろうか。やや現実離れした歌ではある。


220  宮酒は近しとぞ聞くその日にやわれはい行(ゆ)かむ宮酒たうべ

「お祭りの神社のお酒がもらえる日は近いと聞いた。その日には私は行こう。神社のお酒を飲むために」と解釈できる。率直に気持ちが出ている歌である。本当に良寛様はお酒が好きであった。


221  出づる息また入る息は世の中のつきせぬことのためしとを知れ

「口から出る息、入る息は、世の中の出来事はつきることがないということの証拠であることを知るべきである」と解釈できる。人々を導く道歌であり、お坊様らしい歌である。


222  よろづよに仕へまつらむ弥彦の杉の下道い行きかへらひ

これからもずっと弥彦神社の神様にお仕えしましょう。弥彦の森の杉の下を行ったり来たりを繰り返しつつ」と解釈できる。良寛様は曹洞宗の僧侶ではあるが、神社の神様にも仕えるというのは、やや矛盾しているように思われるが、良寛様は基本的に多神教の方だったのである。ちなみに父親の以南は名主と石井神社の神官を兼ねていた。


223  唐衣たちても居てもすべぞなき海人(あま)の刈る藻の思ひ乱れて

「立っていても座っていてもどうすることもできない。漁師の刈る藻のように、心が思い乱れることだ」と解釈できる。何か心配ごとがあったようである。何であろう。理由は何も示されていない。「唐衣」はたつの枕詞。


224  ぬばたまの夜のふけ行(ゆ)けばしきたへのわが手(た)まくらに匂ふ梅が香

「夜が更けていくと、私の手枕の辺りまで、梅の香りが漂ってくることよ」と解釈できる。「ぬばたまの」は夜の枕詞であり、「しきたへの」はまくらの枕詞である。二つも枕詞を使用している点が珍しい歌である。良寛様は枕詞が好きだったようである。


225  ます鏡手に取り持ちてけさ見れば頭の上に雪ぞ降りける

「きれいな鏡を持って今朝、自分の顔を見たら頭の上に雪が降ったように白髪が見えたことだ」と解釈できる。晩年の歌である。白雪を白髪に見立てた比喩の歌であり、ユーモアが感じられる。


226  うつしみの人の裏屋に宿借りてひと日ふた日と日を送りつつ

「人の家の裏の小屋に宿を借りて一日二日と日々を過ごしていることよ」と解釈できる。晩年、木村家の裏の小屋に宿を借りた最初の頃の歌である。当初、人の出入りの多い木村家にずっといるつもりは無かったようで、寺泊の照明寺の密蔵院にも出かけて、何ヶ月か仮住まいしている。「うつしみの」は人の枕詞。


227  塩之入の坂をかしこみこのたびは大川の辺を回(た)みて来にけり

「塩之入の峠を恐れて、この度は信濃川の辺りを迂回してやって来たことよ」と解釈できる。塩之入の峠は与板と島崎の間にある峠で、とても険しく、年取った良寛様にとっては通るのがとても大変だったのである。現在はトンネルが通っている。


228  わが宿の竹の林をうち越して吹きくる風の音の清さよ

「私の家の近くにある竹林を越えて、吹いてくる風の音の清々しいことよ」と解釈できる。詠んだ場所は、竹林のあった五合庵か中山の西照坊であろう。「竹の子の話」もこのどちらかと言われている。


229  わが宿の草木にかくる蜘蛛の糸払はんとしてかつはやめける

「わが家の庭に草木にかかる蜘蛛の巣を取り払おうとしたが、すぐにやめてしまったことよ」と解釈できる。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出す。良寛様もかわいそうに思って、取り払わなかったのであろう。


230  唐国の賢き人の親仕へ聞けば昔の思ほゆらくに

「唐の国の賢い人の親孝行の話を聞くと自分が昔、親に対してどのような態度を取ったか、反省されることだ」と解釈できる。若い頃は、家の跡をつがなかったり、家出したりして親に甚だ迷惑をかけた良寛様である。年を取っても反省されるのだろう。


231  鉢の子をわが忘るれども取る人はなし取る人はなし鉢の子あはれ

「大切な鉢の子を私は忘れてきたが、持っていく人はいない。取っていく人はいない。鉢の子のいとしいことだ」と解釈できる。鉢の子は、乞食(こつじき)にとって大切なものであり、普通忘れるものではない。良寛様は忘れ物がとても激しい方であった。


232  われだにもまだ食ひ足らぬ白粥の底にも見ゆる影法師かな

「私がまだ食いたいと思う白粥のお椀の底の残り汁に、私の姿が映っているよ」と解釈できる。なかなかおもしろい歌である。また、このようにはなかなか詠めない歌である。この歌はほとんど知られていないが、良寛様らしい歌であると思う。


233  鳥辺野の煙絶えねばうつせみのわが身おぼえて哀れなりけり

「鳥辺野の火葬場の煙が絶えないのを見て、この世に生きている私自身のことが思われて、しみじみと感慨にふけることであるよ」と解釈できる。煙を見ながら、生きることの素晴らしさ、死ぬことの空しさなどをしみじみ感じているのだろう。我々も火葬場の煙を見ると何かを感じるであろう。


234  老いもせず死にせぬ国はありと聞けど尋ねて往なむ道の知れなく

「年を取らず死ぬこともない国があると聞くけれど、尋ねて往こうと思うが、道が分からないことよ」と解釈できる。不死不老の国は、神の住む国ということであろうか。人間には行けない国であると知っての歌であろう。


235  心あらば虫の音聞きに来ませ君秋の野らとを名のるわが宿

「気持ちがあれば、虫の音を聞きに貴方よ来てください。秋の野原と名のっている私の家に」と解釈できる。手紙にでもしたためたのであろうか。親しい友達に我が家に来てほしいと願っており、風流を感じさせる歌である。


236  さすたけの君と語りし秋のゆふべはあらたまの年は経れども忘られなくに

「貴方と語り合った秋の夕べは、新しい年になっても忘れることができない」と解釈できる。君とは親しい供であろうが、どのようなことを話し合ったのだろう。恐らく詩歌のことであろう。同じ趣味の人との語らいは、とても楽しいものである。「さすたけの」は君の枕詞。「あらたまの」は年の枕詞。


237  梅が枝に花ふみ散らすうぐひすの鳴く声聞けば春かたまけぬ

「梅の枝に花を踏み散らかす鶯が鳴いている声を聞いていると、春になったと感じることよ」と解釈できる。春の花といえば桜であるが、良寛様は桜の花よりも梅の花が好きだったようで、また、梅の花の、特に匂いが好きであり、その香りが素晴らしいという歌も多い。一般の人よりも臭覚に優れていたようである。


238  わくらばに訪ふ人もなきわが宿は夏木立のみ生ひ茂りつつ

「たまたまさえも訪れる人もいない私の家は、夏木立ばかり生い茂っていることよ」と解釈できる。夏の暑い時期の歌である。そのような時に国上山の庵まで、人は訪れようとは思わないのである。冬のように夏も過ごしにくかったと思われる。


239  さすたけの君と語りてうま酒にあくまで酔へる春ぞ楽しき

「親しい貴方と語り合って飲む美味しい酒に、満ち足りるまで酔える春のひと日は楽しいものだ」と解釈できる。君は不明であるが、親しい友であることは間違いなく、詩歌を詠んで、語り合ったのだろう。「さすたけの」は君の枕詞。


240  早苗ひく乙女を見ればいそのかみ古りにし御代の思ほゆるかも

「田植えをする若い女性を見ていると、昔の御代の頃も同じようしていたのかと思われることだ」と解釈できる。若い女性の田植え姿は、見ていてもあきなかったのかも知れない。田植えは昔から女性の仕事だったのだろうか。「いそのかみ」は古の枕詞。


241  わが宿は人の裏じり夕されば枕にすだくこほろぎの声

「私の家は、人の住む屋敷の裏の端であり、夕方になれば、枕の近くにコオロギがよく鳴くことだ」と解釈できる。この屋敷は晩年を過ごした木村家であり、その庭の片隅の小屋に住んでいたのである。その小屋は、戊辰戦争の時に焼かれて存在していない。記念の杭が立つのみである。


242  岩が根にしたたる水を命にて今年の冬もしのぎつるかも

「根の張った岩よりしたたる水を命の水として、今年の冬も何とか過ごすことができたことよ」と解釈できる。冬は水さえ手に入れる事が大変である。それ以上に煮炊きはもっと大変であったろう。よく国上山の庵で冬を越すことができたものである。病気になったら風邪でさえ命取りではなかったろうか。


243  わが宿は竹の柱に菰(こも)すだれ強ひて食しませ一杯(ひとつき)の酒

「私の庵は、竹の柱に菰のすだれが戸口にたれている粗末な家である。あまりうまくはないが、我慢して飲んでほしい。一杯の酒を」と解釈できる。歌友の内藤久敬禅師に贈った歌である。歌友との交わりはとても楽しかったのであろう。


244  水茎の筆紙持たぬ身ぞつらききのふは寺へけふは医者どの

「筆や紙を持たない貧しい身は、辛いことだ。それらを借りに昨日はお寺に、今日はお医者様に行ったことだ」と解釈できる。良寛様がまともな筆や紙を持っていないことがとても不思議である。それほど貧しかったのであろうか。この歌は木村家での作であり、お寺は近くの髏寺、お医者も隣りの桑原家であろう。「水茎の」は筆の枕詞。


245  この山のもみぢもけふは限りかな君し帰らば色はあるまじ

「この国上山の紅葉も今日で終わりであろう。君が帰ったならもう色も失せるであろう」と解釈できる。君とは、歌人の原田正貞であり、鵲斎の子である。父親と同じように良寛様と親しく交わっていた。また、正貞は山本馬之助と義兄弟の契りを結んでいた。


246  われながら嬉しくもあるか御ほとけのいます御国に行くと思へば

「我ながら嬉しく思う。仏様のいらっしゃる極楽浄土に行けると思えば」と解釈できる。阿弥陀仏を信じておれば、極楽浄土へ行けると信じていたようである。良寛様は曹洞宗のお坊様であるが、浄土真宗も信仰していたようである。


247  いかにして暮らしやすらむこれまでは今年の冬はまこと困りぬ

「どのようにして暮らしてきたのだろうか、これまでの冬は。今年の冬は本当に寒くて困ったものだ」と解釈できる。五合庵でどのように冬を過ごしたのであろう。もしかしら、すぐ下の本覚院のお世話になったりしたのではなかろうか。そうでなければなかなか寒くて雪の多い冬を越すことはでくないと思う。


248  桜花降るとばかり見るまでに降れどもたまらぬ春の淡雪

「あるで桜の花が降って来ると思うばかりに見えるまで、降って来るのであるが、積もることのない春の淡雪であることよ」と解釈できる。桜の花が雪に見えるという技法の歌はよく見られるが、良寛様も好きな技法だったようである。


249  松の尾の葉びろのつばき椿見にいつか行かなむその椿見に

「松野尾地区の葉が広く生い茂った椿を見るために、いつか行こうと思う。その椿を見るために」と解釈できる。松の尾とは、新潟市の松野尾地区の地名である。良寛様はこの地区へ実際に訪れている。この歌の碑が松野尾地区に建てられている。


250  何となくうら哀しきはわが門(かど)の稲葉そよげる秋の夕暮

「何となくしみじみ哀しく感じられるものは、私の家の前の稲葉が戦いでいる秋の夕暮であることよ」と解釈できる。「何となく」のフレーズは、石川啄木が好んだものである。たしかに理由ははっきりしないが、何となく感じることはある。秋の抒情などはそういうものだろう。


251  不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば何をこの世の思ひ出にせむ

「人間の考えでは計り知れないほどの阿弥陀様のお誓いがなかったならば、何をこの世の中の思い出にしようか」と解釈できる。「不可思議」は、仏教用語であり、阿弥陀の叡智は、人間には推し量ることができないくらい大きなものであるという意味であり、この歌は道歌といえる。なお歌碑が、浄土真宗大谷派の三条別院(東別院)の庭に建っている。


252  極楽にわが父母はおはすらむけふ膝もとへ行くと思へば

「極楽浄土に私の父と母がいらっしゃるであろう。今日その膝元に行くと思う思うと安らかになれる」と解釈できる。晩年の歌であり、いつ死んでもよいと思っていたのかも知れない。


253  草の庵に寝ても覚めても申すこと南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

「粗末な庵に、寝ても覚めても唱えることは、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏だけです」と解釈できる。南無とは、「帰依する」という意味であり、南無阿弥陀仏は、「阿弥陀仏に帰依します」ということである。阿弥陀仏は、仏教の全ての神様の統括者であり、現世をあまねく照らす光にして、空間と時間の制約を受けない仏様である。良寛様はこの阿弥陀仏に心から帰依していたのである。


254  み仏のみ法の道に仮だにも契る心はうれしからまし

「仏様の教えの道に、仮だとしても、誓うことのできる心はとんなにか嬉しいことであろう」と解釈できる。僧侶らしい歌であり、心から阿弥陀仏を信じている歌である。


255  それは蓑これは笠とて除け見ればあとの案山子は何かなるらむ

「それは蓑、これは笠だと取り除いてゆけば、後に残った案山子は何であろうか」と解釈できる。「女性の人相を見る時の心持ち」との但し書きがついている。女性から美しい着物や飾りを取り除いたら、ただの棒ではないかということであろう。外見の美しさで騙されてはいけないということであろう。


256  君や忘る君やかくるるこのごろは待てど暮らせど音づれのなき

「貴方は忘れたのでしょうか。貴方は隠れてしまったのでしょうか。この頃は待てど暮らせど、貴方からの知らせのないことよ」と解釈できる。貞心尼への相聞歌である。今で言うラブレターであるが、良寛様の心は貞心尼に奪われてしまったようである。悟りの心とはかけ離れた良寛様であった。


257  いづくより春は来ぬらむ柴の戸にいざ立ち出でてあくるまで見む

「何処より春は来るのだろう。庵から戸外に出て、春になるのをずっと眺めていよう」と解釈できる。春の来るのが待ち遠しい良寛様である。さて春は一体どこからやって来るのだろう。見えるのであろうか。詩人の良寛様には見えるのかも知れない。


258  夜もすがら爪木(つまぎ)たきつつまろゐして濁れる酒を飲むが楽しさ

「夜通し、たき木を燃やしながら、まるくなって座り、濁り酒をみんなで飲む楽しさよ」と解釈できる。酒好きならば、この楽しさは現代の人間でもよく理解できる。特に同じ趣味の人たちとの飲み会は、さらに楽しいものである。


259  むらぎもの心さへにぞ失せにける夜昼いはず風の吹ければ

「私の心さえ、なくなってしまうことだ。夜昼といわず風が吹き続けるので」と解釈できる。良寛様は病気がちであったようで、台風のような大風は不安にさせたと思われる。乙子神社晩年の作であり、里に下りる原因の一つであった。「むらぎもの」は心の枕詞。


260  団扇とてあまり丸きは見よからず扇の角を少し加へて

「団扇といってもあまり丸すぎるのはよくない。扇の角が少しあるような団扇がよい」と解釈できる。喧嘩の絶えない夫婦に、両側を少し切った団扇に書いておくった歌という。夫婦といっても少しは遠慮しなさいということらしい。団扇は内輪との掛詞。


261  白髪と雪はいづれと分かねども春日の照れる時にぞ著(しる)ける

「白髪と頭に降った雪とはどちらか分からないけれど、春日が照った時にはっきりと分かることだ」と解釈できる。実際分からないことはないが、ユーモアに富んだ歌である。ユーモアの中にも、春を待つ気持ちが感じられる。


262  幾むれか鷺のときれる宮の森有明の月雲隠れつつ

「幾つかの鷺の群れがとまっている宮の森の上空を明け方の月が雲にゆっくりと隠れつつあるよ」と解釈できる。鷺を対象にした歌は少ない。そういう意味では珍しい歌である。宮の森は、旧和島村の宇奈具志神社であろう。子どもたちと手まりをついて遊んだ所とされる。晩年の作である。


263  越路なる三島の沼に住む鳥も羽がひ交して寝(ぬ)るちふものを

「越路にある三島の沼に住む鳥も羽根を重ねて寝るというのに・・・」と解釈できる。・・・には、「人も当然、仲良く寝てほしいものだ」という意味があろう。仲の悪い夫婦にでもおくった歌であろうか。


264  我がごとやはかなき者はまたもあらじと思へばいよよはかなかりけり

「私のように情けない者は他にいないであろうと思うとますます情けなくなることよ」と解釈できる。落ち込む時は悪循環を繰り返し、ますます落ち込んでいくということである。独りで考え込む時は特にそうである。良寛様は何か精神的に落ち込むことがあったようである。


265  今よりは何を頼まむかたもなし教へて給へ後の世のこと

「今から何を頼りにしたらよいだろう。何も浮かばない。教えてください。死んでからのあの世というものを」と解釈できる。264の次に記載されている歌である。本当に心細くて仕方のない歌である。しかし歌うことによって、救われる。歌は自分の心を客観的に眺めることができるのである。歌はよい趣味である。


266  いづこにも替へ国すれどわがこころ国上の里にまさるとこなし

「あちらこちらに国を替えて住んでみたけれど、私の心は、国上の村に勝るところはないよ」と解釈できる。良寛様は、国上山の五合庵に約20年、麓の乙子神社に約10年生活していたのである。修行を終えて西国を放浪し、越後に帰ってきて、この国上山に約30年過ごしたのであり、とても気に入っていたのである。良寛様は古里を愛する歌人である。


267  けさの朝わがとく行けば蛇塚のお諏訪の杜は色づきにけり

「今朝、私が急いで出かけて行くと、蛇塚にある諏訪神社の森が紅葉していたよ」と解釈できる。旧寺泊町蛇塚に諏訪神社がある。近くには大河津分水が流れている。小さな神社であり、歌碑もなくひっそりとしているが、秋になると周囲が美しく紅葉する。


268  いざここにわが世は経なむ国上のや乙子の宮の森の下庵

「さあここに、私は住み続けよう。国上山の乙子神社のある森の中の庵に」と解釈できる。最初五合庵に住んでいたが、年を取って山での生活が大変となり、麓の乙子神社に居を移したのである。ここは住みやすかったらしく、書や詩歌の充実期でもある。十年余りここで生活している。


269  乙宮の森の下屋にわれ居れば鐸(ぬて)ゆらぐもよ人来たるらし

「乙子神社の森の庵に、私が住んでいると神社の鈴が鳴った。どうやら人がお参りに来たようだ」と解釈できる。良寛様は乙子神社のすぐ脇の小屋に住んでおり、管理人のようなこともしていたようである。名主の父親も出雲崎の石井神社の神主を兼ねていたので、違和感はなかったと思われる。


270  人問はば乙子の森の下庵に落葉拾ひて居ると答へよ

「人が尋ねたならば、私は乙子神社の森の下の庵に、落ち葉を拾って暮らしていると答えてほしい」と解釈できる。乙子神社の社務所のような所で生活していた。弟子の遍澄さんもいて、生活にはややゆとりがあったのである。


271  ひさかたの長閑(のどけ)き空に酔ひ伏せば夢も妙なり花の木の下

「のどかな空が広がる屋外で酒に酔って寝ころべば、桜の花の下、夢も不思議なくらいすばらしいものであることよ」と解釈できる。何とすばらしい一日であろう。私も花見をしながら酔って野原に寝ころびたいものである。でも、できないであろう。良寛様だからできることである。


272  あしひきの山田の田居に鳴く蛙(かはづ)声のはるけきこの夕べかも

「山間の中の田んぼに鳴いている蛙の声が、はるか彼方から聞こえてくるような夕べであることよ」と解釈できる。田舎に住んでいると、確かにこのような情景に出逢う。懐かしい風景である。「死に近き母に添寝の しんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」という斎藤茂吉の歌を思い出す。茂吉も良寛様の歌を絶賛した1人である。


273  夜もすがら草のいほりにわれをれば杉の葉しぬぎ霰降るなり

「一晩中、粗末な庵に私が起きていると、杉の葉をすりぬけて、霰が激しく降っていることよ」と解釈できる。霰の激しい音でずっと寝れなかったのであろうか。そうそくもつけずに、粗末な布団の中でずっとその音を聞いていたのであろう。


274  おほかたのよ(四)を六つまじ九渡りな(七)ば十に(二)一つも不足なからん

「「普通に世の中を睦まじく生活したならば、十に一つの不足もないであろう」と解釈できる。この歌には一、二、四、六、七、九、十の数字が読み込まれており、技巧を凝らした珍しい歌であり、寺泊の庄屋、入軽ゐ六右衛門におくった歌である。


275  白雲のたなびく山を越してこよ君に教へむ早蕨の歌

「白雲が横になびいている山を越して私の所に来てほしい。貴方に教えよう早蕨の歌を」と解釈できる。「早蕨の歌」とはどういう歌なのだろう。万葉集の名歌「岩ばしる垂水の上の早蕨の萌え出づる春となりにけるかも」と思われる。良寛様のお気に入りの歌であろう。


276  ひさかたの雪解の水に濡れにつつ春のものとて摘みて来にけり

「雪解けの水に濡れながら、春の山菜として、若菜を摘んで来たものよ」と解釈できる。摘む若菜は、食べるための山菜である。蕗の薹であろうか。冬は新鮮な食べ物は少なく、心待ちの春なのである。


277  寒くなりぬいまは蛍も光なし黄金(こがね)の水を誰かたまはむ

「寒くなって、現在は蛍も光を出せないことだ。黄金の水、つまりお酒を誰かくださいな」と解釈できる。この歌は、旧与板町の町年寄、山田杜皐の妻「およし」におくった歌である。歌でお酒をおねだりしているのである。良寛様とはとても親しく、よく酒や食べ物などを与えている。また良寛様に「蛍」というあだ名を付けている。


278  早苗とる山田の小田の乙女子がうちあぐる唄の声のはるけさ

「田植えをしている山の間の田んぼの乙女たちが、高らかに歌う声がはるか彼方まで聞こえることだ」と解釈できる。若い女性の田植え歌が山の谷間に響き渡り、五月の風が爽やかに吹き、青空が山の彼方まで広がっている景色が目に浮かぶ。調べもなかなかよい歌である。


279  草の庵に寝ざめて聞けばあしひきの岩根に落つる滝つ瀬の音

「粗末な庵に、布団に寝転びながら耳を澄ましていると、岩に落ちている滝の音が聞こえてくることよ」と解釈できる。この歌は、乙子草庵時代の作とされる。現在でも乙子神社の境内にある草庵の裏手に小川が流れている。この川の音を良寛様は草庵の中から聞いて歌を詠んだのであろう。夜だとその滝の音はよく聞こえたと思われる。写実の歌であり、調べもよく、名歌である。


280  秋風の尾花吹(ふき)しく夕ぐれは渚に寄する浪かとぞ思ふ

「秋風が夕暮れの時に薄の穂に吹いてなびく姿は、波打ち際に寄せる波のように見えることだ」と解釈できる。比喩の歌であり、古今調である。比喩はぴたりと決まれば見事だが、外れるとしらじらしく感じられる。これは的確な暗喩法の歌のように思える。


281  国上山杉の下路踏み分けてわが住む宿にいざ帰りてむ

「国上山の杉木立の下路を踏み分けながら、私が住む家に、さあ帰ることにしよう」と解釈できる。この家とは五合庵である。阿部定珍に贈った歌であり、定珍との親しい雰囲気が感じられる。定珍とは家が近く、よく交流している。


282  草枕夜ごとに変はる宿りにも結ぶは同じふるさとの夢

「旅路にあって、夜ごとに泊まる宿は違うけれど、みる夢は同じふるさとのことであるよ」と解釈できる。旅にあっても、ふるさとが大好きで、いつも忘れることがなかったのであろう。良寛様は、ふるさとを愛する、ふるさとの歌人であった。そういう意味では石川啄木と似通っている。「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」は啄木の歌。


283  下よりも上の高嶺を眺むれば霞の内にやどる小桜

「山の下よりも山の峰の方を眺めると、霞の中に小桜がいくつか見えることよ」と解釈できる。小桜は山桜であろう。山桜はかたまって咲くよりも、点在して咲いていることが多い。霞の中の山桜も風情があるのだろう。


284  雲出でし空は晴れけり托鉢の心のままに天の与えを

「雲が出ていた空は晴れ渡った。思いのままに天が与えてくれた恵みに感謝し、托鉢を行おう」と解釈できる。雨が降れば、托鉢は思いのままにいかず、米や食べ物などを得る事ができなければ、生活にも支障が出るのである。晴れることは、托鉢にとって好ましく、まさに天の恵みである。


285  天も水も一つに見ゆる海の上に浮きて見ゆるは佐渡の島かも

「青空の広がる天も青海の水も一つに見える海の上に、浮かんで見えるは佐渡の島であることよ」と解釈できる。美しい情景が浮かぶ名歌である。若山牧水の「白鳥は悲しからずや空の青海のあをにも染まず漂ふ」の短歌を思い出す。


286  よしや君いかなる旅の末にても忘れたまふなしづが言の葉

「たとえ貴方、いかなる旅の果てであっても、忘れないでほしい。いやしい者、つまり私の言葉を」と解釈できる。弟の由之への歌であろうか。それもと阿部定珍であろうか。相手はともかく、親しい者への送別の和歌である。


287  墨染めのわが衣手の広くありせば世の中のまどしき民を覆はましものを

「墨染めの私の衣の裾が広かったならば、世の中の貧しい人々を覆ってやったであろうに」と解釈できる。だができないことであり、残念であるという意味が込められている。良寛様の人間性がしみじみ感じられる歌である。

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