高野公彦秀歌鑑賞その二



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歌集「水木」・昭和59年2月7日発行・短歌新聞社・287首・21歳〜28歳・第三歌集であるが、最も初期の作品が収められている。

夏まひる木を挽きつくししんしんと丸のこぎりは回りけるかも    歌集「水木」

夏の(暑い)真昼間、木を切りつくし、しんしんと丸ノコギリは回っていることだ」、という意味である。丸ノコギリが次々と木を輪切りにしていくのである。夏の暑さを、次々と切られる木が増幅しているように感じる。なお「しんしん」は茂吉がよく使う言葉である。

真夜中に救急車西へ走り去りぬ西には窓ふかき病院ありき     歌集「水木」

真夜中に救急車が西に向かって走り去った。(確か)西の方角には窓が奥まっている病院があった」、という意味である。西という方角を示している点が一つの詩的発見である。これは応用がききそうである。

青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき    歌集「水木」

「青春とは、水木の下を通り過ぎる風であり、遠い線路の輝きである」、という意味である。歌集の題となった歌である。水木という樹木は、 ミズキ科の落葉高木であり、枝を横に伸ばす。5月ごろ白い小花を散房状につけ、黒い実を結ぶ。根から水を吸い上げる力が強く、春には多量の水を含む。材は白く、こけしや盆・箸などに用いるそうである。この歌は写実歌というより事実歌であろう。実感として作者がそう感じたのである。この歌は青春を少し過ぎた作者の想いであろう。

平和説きて争ふ如ビラ貼られありそのどれもどれもいつはりは無き    歌集「水木」

「平和を説いて争うようにビラが貼られてある。そのどれも(書かれている内容に)偽りは無い」、学生運動の激しい頃の歌である。学内には多くのビラが貼られていた。内容には偽りが無かったが、現実感に乏しかったのである。

打ち寄する大波巌をせりあがり落ちゆくまでの暗きその腹     歌集「水木」

「打ち寄せる大波は、岩をせり上がり落ちて行くまでの間に暗い腹を見せている」、という意味である。確かに大波の内側は日の当たる外側よりも暗い。よく観察して歌を詠んでいる。万葉集のような雰囲気が感じられる。

熱帯魚のうすき身は灯に透きとほり腹に呑みたるものの影見ゆ   歌集「水木」

熱帯魚の薄い身は灯に透き通り、腹の中に呑み込んだものの影が見える」、という意味である。私も半透明な熱帯魚がミジンコなどの微生物を呑み込んでそれが見える姿を見たことがある。世の中には不思議な生き物もいるものだと思った。そんな不思議を素直に歌にすればいいのだろう。

発ちてゆくデモを瞻(まも)りて午すぎを校舎に凭(よ)ればわが背なか冷ゆ   歌集「水木」

「出発してゆく(学生の)デモ隊を見送りて午過ぎを校舎にもたれかかっていると、私の背中が冷えていく」、という意味である。デモに参加しなかったことに後ろめたいものを感じている作者なのかも知れない。

悲しみを書きてくるめし紙きれが夜ふけ花のごと開きをるなり    歌集「水木」

「悲しみの詩歌を書いてまるめた紙きれが、夜更けに花の如く開いていた」、という意味である。気に入らなかった詩歌の書かれた紙をポイと捨てることが私にもある。それでおしまいなのであるが、その紙きれを歌にしたことがうまいと感じた。

この路地のぬくき日差に青年工銀色(ぎん)のボルトを選り分けてをり    歌集「水木」

「この路地の温い日差を浴びて、青年工員が銀色のボルトを選り分けていた」、という意味である。下町の工場の一場面であろう。外で仕事をしていたのだろう。銀色のボルトが詩的であり、この歌の重要な要素である。

線路を見おろす家に吊干しのワイシャツひとつ昼を戦げり    歌集「水木」

「線路を見下ろす家に、つり干してあるワイシャツが一つ昼間そよいでいた」、という平明な意味である。白いワイシャツが一つふわふわとそよいでいる風景が詩的である。

ギリシャ悲劇観てゐる君の横がほに舞台の淡きひかり来てをり   歌集「水木」

「ギリシャ悲劇観ている君の横顔に舞台の淡いひかりが来ている」、という平明な意味である。デートの一場面である。「君の横顔に淡い光」という甘い雰囲気がいいのであるが、私はこんなデートをしたことがないので、こういう歌を残せた作者が羨ましいと思う。若い頃は女性にもてたのであろうか。

ことば無く君と見てゐるくれなゐの絖(ぬめ)のやうなる夜の噴水を   歌集「水木」

「言葉無く君と見ている、くれないの絖のような夜の噴水を」、という意味である。ぬめとは、生糸を用いて繻子織(しゅすおり)にして精練した絹織物であり、生地が薄く、滑らかで光沢があり、日本画用の絵絹などにもちいるものである。これが分からないと歌が理解できないであろう。くれないの夜の噴水ということだから、夕焼けに染まったということではないであろう。赤いひかりが中から発光されている噴水であろうか。この歌の場合、「君」はそれほど重要でもない感じがする。

東京にひとり棲みつつ寒き夜はあかき毛布にくるまり眠る  歌集「水木」

「東京に一人住みながら寒い夜は、赤い毛布にくるまり眠っている」、という意味である。独り者の感じがうまく表現されている。私の感覚では、茶色い毛布としてしまうが、「赤い毛布」がこの歌のポイントである。

基地に入りしデモに合唱を呼びかけて先駆(が)くる学生党員の声   歌集「水木」

「(横田)基地に入ったデモ隊に合唱を呼びかけて、先駆けて(基地に)入る学生党員の声」、という意味である。学生運動の激しかった頃のことである。共産党に入党した学生もおり、党からの指示で動いたようである。

スクラムを組みつつ触れしひとの乳房やはらかかりき罪のごとくに  歌集「水木」

「デモでスクラムを組みつつ腕に触れた女性の乳房がとても柔らかかった。罪のように感じた」、という意味である。デモ突入の緊迫した状態でそんなことを感じたのであるから、「罪の如くに」と思ったのであろう。だが男なら分かる感覚である。

報道のカメラの前を仮面なき我らつぎつぎ写されてゆく    歌集「水木」

「報道のカメラの前を(デモをして)仮面を被っていない我々が次々写真に写されてゆく」、という意味である。仮面を被らないという点がこの歌のポイントである。学生運動がさらに激しくなると顔を隠して角材などを振り回し、機動隊と衝突していたのである。

行き暮れて野の涯の雲にんげんのはらわたのごと赤く照るを見つ  歌集「水木」

「(激しいデモの後)暮れた野のはてに広がる雲は、人間のはらわたの如く赤く照っていて、それを見ていた」、という意味である。普段は夕焼け雲をはらわたのようには感じないであろう。しかし、機動隊という権力に敗れた学生にとってはそのように見えたのであろう。空しい憤りが感じられる。

六階の部屋の外(と)よぎる夜の風の暗くさみしき空中のおと     歌集「水木」

「六階の部屋の外を吹いている夜の風の暗くて寂しい空中の音(を聞いている)」、という意味である。風は地上にも六階にも吹くのであるが、その音はどこか違うのであろう。大気圧の関係かも知れないが、詩人の感性がそう感じたのかも知れない。

西日さす車窓に凭(よ)りてねむりゐるにんげんの耳あかく透きたり    歌集「水木」

「西日が差している車窓に寄りかかって眠っている人間の耳が赤く透き通っている」、という意味である。人間の耳は一番薄い皮膚であり、西日で赤く透けてしまうのである。観察の鋭い歌である。

水底の朽木を抱いていろあかきざりがに一つ動かずに居り    歌集「水木」

「水の底で朽ちた木を抱いて色の赤いザリガニが一匹動かずにいる」、という意味である。よく観察された歌であり、朽ち木とアメリカザリガニの対比がよいように感じられる。

低き灯にもの書きいます宮柊二の額(ぬか)垂り髪を真夜おもふなり    歌集「水木」

「低い灯の中でものをお書きになる宮柊二の額に垂れている髪の毛を、真夜中に思い出している」、という意味である。宮柊二は作者の歌の師匠であり、人生の師でもある。髪を垂らしている姿が印象的なのであろう。

犬捕(いぬとり)の去りし広場にじりじりと銅像一基灼けてゆくなり    歌集「水木」

「(保健所の)犬の捕獲員が(犬を捕まえて)去った広場に、じりじりと銅像一基が夏の暑い日差しに灼けていく」、という意味である。昔は野良犬がたくさんいたので、よく捕獲されていたが、作者は犬の捕獲に抵抗感を持っているようである。じりじりと灼けていく銅像にその意図が感じられる。

線路わきに出せる骸(むくろ)と駅員がしづかに電車の通過待ち居る   歌集「水木」

「線路脇に(電車に轢かれた)遺体と駅員が静かに電車が通過するのを待っている」、事故なのか自殺なのか分からないが、遺体が線路脇にあった。駅員だけでなく遺体も電車の通り過ぎるのを待っているという表現が詩的である。こういう歌は体験してもなかなか詠めるものではないと思う。

デモの列暗くひしめく街のうへに白蝋(はくらふ)の月ひかりをたもつ  歌集「水木」

「デモ隊の列が暗くひしめいている街の上に、白い蝋燭のような月が光っている」、という意味である。地上の騒々しく暗い風景と上空の静かで明るい月との対比が見事である。動と静、暗と明との対比が歌を明瞭にしている。

デモ集ふ夜の衢(まち)に向き交番のなか明るくて花の鉢あり    歌集「水木」

「デモ隊が集う夜の街に向いて交番があり、その中は明るく花の鉢が飾られてある」、という意味である。交番の中が明るく、花が飾られていたという点に作者は心が動いたようである。何か意外な感じがしたろだろうと思われる。

白き花を胸にかざりて進みゐし少女をも呑みデモなだれゆく    歌集「水木」

「白い花を胸に飾りながら進んでいった少女をものみこんでデモ隊は(激しく)なだれ込んでいく」、という意味である。白い花の少女が印象的であるが、場違いな感じもする。お嬢さんなのであろう。それが歌になった。

夏みかんの真白き花を雨洗ふ父のふるさとに一夜ねむりぬ    歌集「水木」

「夏蜜柑の真っ白な花を雨が洗うように降っている。父のふるさと(愛媛県西宇和郡)に一晩眠った」、ふるさとに帰った時の歌である。上句の情景が印象的である。私のふるさと新潟では蜜柑類はほとんど栽培されていないので、蜜柑畑を見てみたいと思う。

姉の墓浄めてをれば昼さがり羽光りつつばつたが飛べり    歌集「水木」

「死んだ姉の墓を清掃している昼下がり、羽根光りつつバッタが飛んだ」、という意味である。お盆の頃であろうか。羽根を光らせ飛んでいった飛蝗は姉のたましいだったのかも知れない。

理学部の窓の内にてフラスコの底あぶる火のくれなゐの穂よ   歌集「水木」

「理学部の窓の内側を覗くと、フラスコの底を炙っている紅の火の穂が見える」、という意味である。卒業という小題が付いている。蛍の光ではないが、炎が揺れて卒業が近い感じがする歌である。

大学の池に棲みふる真鯉ひとつしづけきを見て我が卒業す    歌集「水木」

「大学の池にずっと以前から棲んでいる一匹の真鯉が静かに佇んでいるのを見て、私は卒業する」、という意味であろう。この池に作者は何度も訪れて、真鯉を見ながらゆったりと詩作にふけっていたのであろう。そういえば作者には鯉の歌がいくつかある。鯉が好きなのであろう。

死にし鶏軒に吊され回りをりこのしずけさに山の蝉啼く     歌集「水木」

「死んだ鶏が軒に吊されてくるくる回っている。周囲は静かであり、この静けさの中を山の蝉が啼いている」、人どおりの多い街の中では、不気味すぎてクレームも出ようが、田舎では普通の景色なのかも知れない。蝉の鳴き声しか聞こえないと静かな感じがする。これが詩人の感性であろう。

こぼれ落ちしボタンが床に光りをり寒きかな獄はゆふべとなりて    歌集「水木」

「零れ落ちたボタンが床に光っている。寒いなあ、監獄は夕べとなった」、という意味である。学生運動をやりすぎて捕まったのであろうか。政治犯ということである。少しかっこいい感じがしないでもない。文学には学生運動が似合うように思う。

人の世のものの音なし獄ふかく襤褸のわれと朱の菌(きのこ)ゐる    歌集「水木」

「人の世の物の音が聞こえて来ない。監獄の奥深く、ぼろ切れの我と(隅に生えた)朱色のキノコと一緒にいる」、という意味であろう。学生運動で捕まり、監獄の奥に入れられた作者である。監獄を楽しんでいる感じがしないでもない。

終電にしんぶん拡げかくれつつ青年嗚咽をしつづけてをり    歌集「水木」

「終電に新聞誌を拡げて周囲に隠れながら一人の青年が声をつまらせて泣き続けている」、という意味である。何で嗚咽しているのだろう。失恋であろうか。それとも革命の夢に破れたからであろうか。ここでは何も示されていない。もしかしたら本人かも知れない。

ストーブの鉄板赤く灼けとほり青春後期われに来てをり   歌集「水木」

「ストーブの鉄板が赤く灼けており、それを見ていると、私に青春後期が来ているように感じられる」、という意味である。若くはないということであり、自分自身を振り返り、そろそろ学生運動も卒業するべきであろうと思っていたのかも知れない。

議事堂裏ゆけばしきりにわがかほに飛びかかりくる冬木らの影   歌集「水木」

「国会議事堂の裏を行くと、しきりに我が顔に冬木の影が飛びかかって来るようだ」、という意味である。木々の間間に冬の西日が差し込むというならば普通の感覚であるが、その反対に冬木の影が飛びかかって来るという表現が詩として素晴らしいと思う。

耳のごと把手(ノブ)ひとつづつ光りつつアパートはさむき日曜日なり    歌集「水木」

「耳のように見えるドアのノブが一つずつ光っているアパートは、寒い日曜日である」、という意味である。確かに曇り空の日には、ノブが光っているようにも見える。これもよく観察された写実の歌である。

金網の目の一つより基地といふ広き〈外国〉を我れさしのぞく    歌集「水木」

「金網の目の一つより、アメリカ軍の基地という広い外国を私は覗いている」、という意味である。学生のデモに参加していた作者であり、この当時は反戦思想の持ち主であったようである。入ることのできない日本におけるアメリカ軍の基地をどのような気持ちでながめていたのであろう。

横須賀の端に口あく隧道にひらひらと蝶吸はれゆく見ゆ    歌集「水木」

「横須賀の端のほうにある、口を開けているトンネルにひらひらと蝶が吸われていくのが見えた」、という意味である。「横須賀の端」にも何らかの意味はあるのかも知れないが、ひらひらと蝶がトンネルに吸われていった場面が印象的である。

みどりごの死を告ぐるこゑ金属のひびきをもちて電話にきこゆ    歌集「水木」

「生まれたばかりの子の死を告げる声が、電話の向こうから金属音の響きのように聞こえてきた」、という意味である。金属の響きとはどんな感じであろう。機械的な音のような感じなのであろうか。兎に角、悲しみを伴っている筈である。そんな響きとなるのであろうか。

蝙蝠の飛び去りしあと江戸川の夕輝きは海のごとしも     歌集「水木」

「コウモリの飛び去った後の江戸川の夕焼けの輝きは、海のように見える」、という意味である。河口近くであろうか。私の住む近くに信濃川があり、河口近くになると海のように見える。夕焼けに染まった大きな川は橋とともに美しく見える。

風いでて波止(はと)の自転車倒れゆけりかなたまばゆき速吸(はやすひ)の海   歌集「水木」

風が出て、波止場にとめてあった自転車が次々倒れていった。彼方には眩しく光る速吸とよばれる海が見える」、という意味である。近くに「速吸」と呼ばれていた海峡があるとのこと。速吸という言葉がいい感じを与えている。

しんしんと鏡地獄に千人のわれに囲まれつつわれ一人     歌集「水木」

「しんしんと鏡ばかりの地獄に、鏡に映る千人の我に囲まれて我は一人である」、という意味である。遊園地などに四面鏡に囲まれたアトラクションなどがある。その中に入ると不思議な感じがするが、自分は一人なのである。自分はやはり一人しかいないのである。

夜の底にたましひ一つづつ光り一つづつ罪量(はか)られゐたり  歌集「水木」

「夜の底の闇に魂が一つずつ光っていて、その魂の罪が量られている」、という意味であろう。死んだ人間が天国へ行くのか地獄に堕ちるのか調べられているのだろう。天国か地獄かの二者択一である。中間がない処が本当に恐ろしいのである。

青き水の底より徐々に浮かびくるにんげんのかほ瞳を開きをり    歌集「水木」

「青い水の底より、だんだんと浮かんでくる人間の顔は瞳を開いていた」、という意味である。青い水の中で瞳を開いているという発見が見事である。詩人としての発見があるとよい歌になると思う。

わが電車がすれちがふとき無人電車夜(よ)を灯りつつ広き床あり   歌集「水木」

「私が乗っている電車がすれ違う時、夜の無人電車の蛍光灯の光のあたっている広い床が見えた」、という意味である。「床が広い」という点が作者の発見であり、これで歌が成立している。人によっては亡霊が乗っていたとか、過去へ向かう電車だとか、分身が乗っていたとか空想する人もいるように思う。いろいろな歌ができそうである。

冥土には持つてゆけない家一軒建てて内なるくらがりに老ゆ    歌集「水木」

「冥土には持っていくことのできない家を一軒建てて、その家の暗がりに老いていく」、という意味であろう。比較的若い時期に家を建てたようである。借金を返済しながらだんだんと老いてゆく自分が嫌なのであろうか。尾崎放哉に憧れるくらいだから多分そうなのであろう。

いちにちの長さに耐へて憩ふ老い冬日広場にとびとびにゐる   歌集「水木」

「一日の長さに耐えかねて(ベンチなどに)憩っている老人が冬日の広場にとびとびにいる」、という意味である。こんな老人が多いのだろう。そうならない為にも趣味を持つべきである。短歌が趣味ならば、公園を歩き回って短歌を詠んでいることだろう。憩う暇もないのである。

牛の血のいろのゆふやけ橋を染めきらきらと無人自転車ゆけり    歌集「水木」

「牛の血の色をした夕焼けに橋が染まり、きらきらとその橋の上を無人の自転車が行く」、という意味である。誰が乗っているのであろう。恐らく亡霊であろう。おどろおどろしい歌ではあるが、寺山修司の歌とは異なり、どこか明るい感じもする。

ゆふひかり差すをみなごの首すぢをちかぢかと見て我は添ひ立つ   歌集「水木」

「(電車の窓から)夕日が差して若い女の首筋を染めている。それを見ながら私は隣に立っている」、という意味であろう。このような場面を私も経験したことがある。男なら分かる感覚であろう。

爪切りと広げしままの新聞と夕日が居らむわが居らぬ部屋    歌集「水木」

「爪切りと広げたままの新聞と夕日が差し込んでいる、私がいない部屋に」、という意味である。爪切りをして出掛けたのであろう。そうすると切られた爪も転がっているのであろう。独身男性の侘びしい部屋という感じがする。

                       
作成中by 小山